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エネルギーヒーラー ガイド・スピリット・天使からのメッセージをお伝えします 目にしたメ…

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エネルギーヒーラー ガイド・スピリット・天使からのメッセージをお伝えします 目にしたメッセージは偶然ではありません。感じるままにお役立てください。

最近の記事

正義という名の排除

多分どこの職場や学校、人が集まる所にはその場所になじめない人、又は適さない人が少数存在すると思う。 そして、その人たちは集団から少しずつ浮いた存在になり、何か場違いなことをしたり、小さなミスをすることで、その集団から「まっとう」な指摘を受ける。 それが積み重なると、「まっとう」な理論を盾に集団はその浮いた存在の人を「排除」しようとする。表向きはもっともらしい理由だが、本音は「排除」と言われるものだ。 そして、とうとうその浮いた人がその場所からいなくなると、集団は胸をなで

    • 「悪魔」も「闇」も実は神の役割を仰せつかっている

      人権 人間としての尊厳 人として生きる上で必要なこと これらは地球に生まれた瞬間、あって当たり前なものだ。 「働かざるもの食うべからず」 大いなる存在や神様がそんなこと言うわけない 宇宙は豊かさの象徴だ  自然界に生きる者たちは、植物や動物、あらゆる生命体で「働いて」いるものが存在するだろうか? それらは皆、自らの生命をただただ生かすべく命を営んでいる 「人間」もそうできるはずだし、自らの能力を最大限楽しむためにここへ生まれてきたはずなのだ。 極端な富の偏りは

      • 今は絶好のチャンス

        満月ですね。 いろんな物事が満ちるとき・・。 引いて引いて今の状況を見ると、「ものすごいチャンスの時」・・と感じる。 テレビ、ネット、SNS、様々な情報源から繰り出される色とりどりの情報たち。今ほど自分の「選択」を試される、または自由に選択できる時代があっただろうか? 「自由」というのは自分に軸があって初めて機能するように思う。自分を由とするには自分に軸がないとできない。誰かに「自由にしていいよ」と言われてもそれは本当の自由じゃない。 その意味で、今自分の頭で考える

        • ライトワーカーとして

          幼いころから「人と争う」ことや「ケンカ」がほとんど無かった。 一人でいるほうが気楽だったし、「観察」するほうが好きだった。自分といるのが一番リラックスしたし、楽しかった。 小学校のころ仲間外れにされた時も不思議と悩まなかった。もちろん嫌だなぁ・・の感情はあるが、それよりも相手の子のエネルギーに驚いていた。 誰もがそれは「良くない」と知っていることを、「誰も見ていない」と思い、してしまえることへの「驚き」だった。私にとっては「見えない」ことなんてないと「知って」いたから、

        正義という名の排除

          「絶望」というクッション

          真っ暗な闇があるから、小さな小さな光が分かる 世界が薄暗く、グレイな感じの昨今・・ ふと目にしたSNSのことばに光を見出す 「希望」だ 自分が感じていたのは無意識の「絶望」だった。 はっきりと認識した。 あまりにも疲れ、あまりにも呆れ、あまりにも暗い人の目にいつの間にか「希望」を失っていた。 が、一筋の「希望」の光に救われた 自分が絶望していたことさえ分からずにいた 「絶望というクッションで支えられている」とある人が教えてくれた 今その意味が理解できた。

          「絶望」というクッション

          「卒婚」のとき

          卒婚の時期がきた 子どもが成人し、お互い諸事情(単身赴任など)で別々に暮らすようになった。 久しぶりに会うとお互いの気持ちの温度差、また会話のかみ合わなさにびっくりする。 毎日顔を合わせて生活を共にしていると、気づかないふりをしてスルーしてしまう小さな違和感が教えてくれるもの・・・それはもうエネルギーが合わないということ。 それぞれ大切に思うものが「同じ」だった時もあった 今はそれが「違う」 そして「誰かに合わせる」ことのできた特技はすでに失われつつある。もう自分

          「卒婚」のとき

          世の中の喧騒に思うこと・・

          世の中の喧騒を横目にぼーっと思うこと・・。 「みんな自分の頭で考えようよ‥国はあなたを救ってなんかくれないよ・・見りゃあ分かるでしょうよ。菅さんの頼りなげな表情、自分たちの利権しか頭にないお爺さんたちの集まり・・人の上げ足ばかり取ろうとして何かにつけ反対ばかりしている野党・・いったいどこを見て何をしようとしているのか?誰も一般に生活している普通の人の生活に興味もないし、実際の生活も知らない。知っていればすでに解決している問題がいまだに山積みのまま残されている。彼らが興味のあ

          世の中の喧騒に思うこと・・

          感性を育てる

          「ん?なんでおんなじ絵ばっかりなんだろう・・?」 息子が小学校の頃、授業参観で見た作品の絵がみな同じだった。構図も色も何もかも。 「これ見る必要あるのかな・・?何を見るのだろう?絵に正解なんてあるの?お手本通りに描けてきれいに色を塗れたらいいのかな?」 何枚見ても同じ絵が続く中、疑問がぐるぐる頭の中を駆け巡る 衝撃・・だったけれど、それ以上に衝撃だったのは、他の大人がそれに対して何も感じていないことだった。 「うわ・・この国の教育やばくない?何を育てようとしてるのか

          感性を育てる

          心の時代到来

          文字が好きだ 「書くこと」が好きだ 洋画で昔のひとが羽ペンで書く・・あの感じが好きだ 今年は年賀状を出さない・・と決めた が、筆ペンが使いたくなって数枚書くことにした 筆の先から出てくる黒い線に集中しているだけでいい気分だ 「書く」瞑想みたいなものだ 本当に出したい人にだけ書く・・そこにはエネルギーが乗る うわべだけの付き合いや、しょうがなく出すものはそういうエネルギーになる もうそれは終わり お互いを尊重しあえる・・本当のエネルギーを送りあえるそんな関係

          心の時代到来

          これからの師は自分の感覚

          探求・学び・・・の時期が過ぎ いよいよ本当の人生が始まる。世間、親、社会、権威、支配、コントロール、先入観、価値観、様々なフィルターを取っ払って  ただ自分に正直に生きる これからの師は自分の感覚 それを疑わずに生きる  どうなるのかと・・期待もせずに 毎日が練習の日々だろう 今まで「脳」が勝手にリアクションしていたことに、気づく必要がある からだの感じは? 胃のあたり、みぞおちのあたりの感じは? 広がる感じがする? きゅっと縮まる感じ? 背中は? 感じ

          これからの師は自分の感覚

          新しい扉の向こうへ冒険しよう

          夢が叶う怖さってある あんなに夢見たのに いざ叶う・・となると後ずさりしてしまう あの感じ でも勇気を振り絞って こわごわ一歩を踏み出すと 「へ?」 なんだ・・こんなに簡単なんだ・・と拍子抜けする あの最初の一歩を踏み出す「勇気」それだけが必要 慣れ親しんだ所から、未知のどうなるか分からない世界への一歩 その一歩をたくさんたくさん経験したくて ここへ来たのだ 最初の一歩の「勇気」を携えて 新しい扉の向こうへ冒険しよう

          新しい扉の向こうへ冒険しよう

          ニューエイジソウル

          息子は「ニューエイジソウル」だ 地球では「発達障害」と言われる 小さなころから「みんながするから」という理由は通用しない どんなに説明しても全く分からないようだった なので・・育児は驚きと葛藤に満ちていた 「何様?」・・と突っ込みたくなるほど「自分」に正直で それが彼のあたりまえだった (彼にとっては自然なので「何様?」と言われる意味が分からない) 母はぐんと先を行く息子の後を、ハァハァ息を切らしながらついていくのに必死だった。「理解」という杖を頼りに・・。「なん

          ニューエイジソウル

          生活のために働かなくてよいのならあなたは何をしているだろうか?

          子どもの頃何をしていただろうか? 暮らしの心配(衣食住)などしなくてよい頃にしていたことが、本当にしたいことだ。 興味のあること、面白そうなことしか(やらされる勉強は除く)してなかった。 何のフィルターもないから。 たくさん本を読み、絵を描き、外国に憧れ、空想ばかりしていた それはそれはワクワクすることだった いつの間にか「わくわく」が無くなり、生活は「しなければならないこと」で埋め尽くされた 支配とコントロールの渦巻く世界で「社会」というオバケに洗脳されていっ

          生活のために働かなくてよいのならあなたは何をしているだろうか?

          全ての経験は間違いではない

          どんな悲惨な経験であっても どんな苦しくつらい経験であっても それは間違いではない 間違いで経験が起きる・・ほど宇宙はおまぬけではない 人間の領域なんて軽く超えた存在からの視点は 「人間」である私たちに分かるはずがない であるならば・・「理由」なんて本当は誰にもわからない 物事がなぜ起きるのか、どうなるかなんて本当に 「神のみぞ知る」・・だ。 知りたがりの私の脳は、長年探求を続けてきた 結果・・・・行きつく答えが「神のみぞ知る」 一周回って振出しに戻る・

          全ての経験は間違いではない

          「かわいそう」を手放す

          誰かの経験を見て「かわいそうだな」と思うのは感情移入している 宇宙から見れば、またハイヤーから見れば、その人に必要な経験しか与えない。またその人に耐えられない経験を与えない。 客観的な愛は それを知って余計なことをしない・・こと。 そしてもっと言うと「どうでもいい」と心底知ること。 本当に人のことは「どうでもいい」のだ したければできることをすればいい どのひとも責任をとれるのは「自分」だけだ 風の時代は「個」の時代と言われる どのひとも大丈夫なのだと認め合う

          「かわいそう」を手放す

          「自由」とは自分を創造することだ

          朝目が覚めるとき、一瞬「あれ?」 「姉弟がいない 何で?」 脳が働き始めるとともに記憶が再生される。 「ああ・・私はもう結婚してて子どもがいるのだった・・」 夢の中で過去にいたので、実家にいる子どもの頃の自分だったのだ 不思議な感じだった。そうかやはり時間は脳で作り出されるもので、実際はないのだ。 一瞬一瞬ちがうのだ。シフトしているのを脳がつなぎ合わせて「記憶」としているのだ。 本当は「いま」の連続しかなくて、無数のパラレルリアリティが存在する。 「無限の可能

          「自由」とは自分を創造することだ