ロスジェネは夢を見る


2019年の書き初めとして記す。

初めてサッカーをしたのは、Jリーグブームが始まった中学校1年生の時だった。ぼくはいわゆるロスジェネ世代の後ろの方に位置している。
ブームに乗ってサッカー部に入るも、ランニングだけさせられているのが苦痛で半年でやめた。

そして、再び蹴り始めたのは大学院に入った後、30歳近い頃だった。

大学院を出て、文筆業と名乗りはじめ、書籍を出版した。

そして、知らない間に死んでいた。


ああそうだったのだ。ぼくは死んでいたらしい。しかし、今は蘇った。不死鳥のように。

澤山大輔氏の「2018年に刺激を受けた方々」というまとめにぼくも加えて頂いた。えとみほさんは五百蔵さんなどと並べて頂き、大変光栄であった。9番目が私(詳しくは後ほどnote記事にするとのことでワクテカして待っている)。


そして、その選考理由のところに書いてあるのは、「復活力、フェニックス。ロスジェネ仲間」であった。

復活力。
ああ、そうか――。
ぼくは死んでいたのか――。

気づいていなかった。自分が死んでいたことに。

ただ振り返ってみるとよくわかる。サッカーメディアの関係者からはそっとTwitterのフォローを外されているし、最初はファンと言ってくれていた方からも何も期待されなくなっている。

それでも横目には見てくれている方もいて、それは大変ありがたいことだ。そして、次に何かはねた時にまた気にしてくれたらそれ以上に嬉しいことはない。ただ、これは人様から見たぼくの話で、今回の話の本質ではない。

ぼくを殺したのはぼくだ。
他殺ではなく自死である。

いつからか自分に期待が持てなくなっていたのだ。いや、そもそもそういう巡り合わせなのだ。自分が社会に必要とされているとは1ミリたりとも思えない。不要なものとして、拒否され続けてきたからだ。

何とか自分の人生を変えようと必死で東大を受けるも、大学生活にはまったく適応できなかった。

資格試験を志したこともあるが勉強が続かない。就職活動では面接官に怒鳴られて1次面接より先には進めない。

最終面接まで行ったのは海上自衛隊くらいのものだが、こちらも面接で落ちた。もし受かっていたら、江田島で地獄のトレーニングをしていたことだろう。

何とか活路を見いだそうと大学院に進む。

狂った量の努力をした。ただ、大量に集めたデータを前に、途方に暮れた。これをどうやってまとめたらいいのだろうか。

悩むぼくに向かって放たれたのは「おまえに修士論文が書けるとは思えない」という教授(指導教官ではない先生)のアカデミックハラスメントであった。

毎晩怖い先生に否定され続ける夢を見ながら、突如訪れる金縛りにおびえながら、必死に努力を続けた。2011年の1月は平均睡眠時間は1時間程度で、起きている時間はずっと論文を書いていた。

そして、努力が実を結んだ。

ぼくには才能があった。研究の才能は凡庸だったかもしれないが、表現することが出来たのだ。プレゼンテーションでは、ぼくの独壇場だった。

結果、専攻内での首位を獲得し、奨学金の返還免除を勝ち取った。賞金200万円をもらったと言い換えるとわかりやすいかもしれない。

しかし、勇んで進んだ博士課程で見たのは、ポストドクター問題であった。つまり、就職先がないのだ。どの研究所もバブル世代で溢れていて、我々の世代の就職口はほとんどなかった。

であれば、外部に就職すればいいのだが、上の世代は外部に就職するという発想があまりなかった人ばかりなので、アドバイスを受けることも、トレーニングを受けることも出来なかった。

ロストジェネレーション。
失われし世代。

我々はいつもこうなのだ。いつも誰にも必要とされない。努力しても努力が足りないと言われ、ケチをつける理由を念入りに探される。

褒められることはなく、けなされることすらない。ただ存在を否定される。存在している必要がないものと見なされるのだ。

それでも良い就職口を見つけた人もいる。就職が出来なくても頑張って成果を出した人もいる。それによって、成果の出ない人間はされに否定されることになった。

脱出口は狭く、人が殺到していた。他人を蹴落としてでも掴み取ることが出来ればまた話が違ったかもしれない。しかし、ぼくには不可能だった。何故なら、自信もなかったし、そんなことが可能だとすら思ってもいなかったからだ。

ロストジェネレーションに揉まれる中で、自信なんて欠片も持てなくなっていた。自己肯定感なんてほとんどなくなっていた。

大人はとても冷たく、利用しようとしてくるだけだった。誰もぼくの人生には責任を持ってくれない。自己責任であり、努力不足だと告げるだけだ。

研究職の口が一つあるとそこに30名以上の博士号取得者が殺到する。博士号を持っている人はその筋の専門家であり、博士論文は国会図書館に貯蔵される。国の宝なのである。

その宝が、使い捨てにされていくのを見ていた。

ぼくは博士号まで行かなかったので負け犬としてさぞかし馬鹿にされていることだろうが、博士号を取ったとしても、就職口は見つけられなかっただろうし、生涯年収は増えるどころかむしろ減少したことだろう。

2年間の任期付きで月給は20万円、残業代などもちろんない。そんな仕事ですら人が殺到していた。しかし、合格する人は内々に決まっていることも多く、そこを逆転することは、不可能ではないものの極めて難しい。

知り合いの研究者は確か5歳か6歳上だった。ロストジェネレーションの最初のほうの世代だ。彼は子供が2人か3人いたのだが、地方の研究所に半年の任期付きで働いていた。その先の保証などはもちろんない。

そしてそれが自分の未来の姿だった。

そういう状況なので、上の命令には絶対に逆らえないというのがその時の研究業界だった。

15年早ければそれほど苦労せずに研究者にはなれたことだろう。それほど難しい手続きもなく、手を上げれば誰でも研究所に就職できるような時代もあったようなのだ。もちろん、相応の努力をし、相応の結果を出せばである。

しかし、時代は変わった。我々の世代は失われてしまったのだ。

結局ぼくは病んだ。うつになり、ブログに書くことの半分は教授への愚痴などの不平不満で、もう半分がサッカーだった。

思えばぼくはその時も死んでいた。誰も生きているとは思わなかっただろう。活力を完全に失い、人間不信になり、対人恐怖となってしまったため、多くの関係者に迷惑をかけてしまった。

ただ、そこで自分をさらに責めていてはぼくは自殺するしかなくなったことだろう。もう責めず、忘れて、次に進むことにした。

ぼくには夢があった。

作家になるという夢が。

研究職を選んだのも、専門分野があれば本を書くことに手が届くのではないかと考えたからだった。

しかし、研究世界には面白い話は落ちていなかった。というのも、そのあたりの話はみんな大先生が持って行くからだ。もちろん、若いながらも著作を次々と出していく研究者もいる。しかし、それは、あくまでも例外である。よほど優秀じゃないと出来ることではない。

研究者の仕事は、研究と教育、および組織の維持である。書籍を書いて一般向けにPRをするのはたいていの場合、サイドワークである。ぼくは並の体力を持った凡人だ。だから、そんな超人的な労働など出来そうになかった。

鬱々とするぼくを見かねて、学内カウンセラーの存在を教えてくれた先輩がいた。結果として、そのカウンセリングによってぼくが決断をしたのは研究を続けることではなく、研究をやめることだった。そのため、後で一悶着があったらしい。

学生に大学をやめることを勧めるとは何事だというような趣旨のクレームを入れたというような話を遠くに聞いた。しかし、その時のカウンセラーさんにはとても感謝している。アイザワさんという名前も生涯忘れない。カウンセラーは人間を救ってくれる。

ぼくのやりたいことは研究ではなかった。組織のために奉仕することもでなかった。

ぼくは物書きになりたかったのだ。文章が書きたかったのだ。

書きたいなら書けばいいだろうと言う人もいるだろう。だけど、それまではブログに書くのが精一杯だったし、ブログは監視されていたのであまり思うように書けなかった。

隣の部屋のポスドクさんが監視係になっていて、不穏なことを書くと朝一で飛んでくるのだ。それでもぼくは「自分が思ったことは書くべきだ」と言って突っぱねていた。

状況は悪かったが、ぼくが一番やりたいことは書くことだった。カウンセラーさんと話す中で、そのことに気づいた。

文章が書きたい。それでお金を得るんだ。それで暮らしていこう。

子供も生まれることになっていた。無計画な出産だった。しかし、子供ほど大事なものはない。こっちの都合で決められることではないので、とにかく生んで育てることにしていた。

ぼくが文章で稼いだお金で、子供のごはんを買うのだ。おもちゃも買うのだ。

社会経験というものがアルバイトくらいしかないぼくにとって、文章でお金を稼ぐことは、はるか先にある、夢のような目標だった。

その時はnoteは、もちろんない。ブログで稼げるという時代になりつつはあったが、当時は基本的には儲からないものとされていた。2013年の頃である。

「おまえの文章など読みたい人がいるわけがない」

これが研究室で最後に聞いた言葉だった。もちろんこれは、優しさだと思う。文章を売るなんてことが出来るとは、ぼく自信も信じられなかった。

でも、本気で何かを伝えようとすれば……。魂を込めて一生懸命書けばきっと……。そう思って飛び出した。

ぼくを支えてくれたのは、昔どこかで見つけた言葉。

「どんなに稚拙で醜く無価値に思えるものであっても、世界中を探せば3人はファンが出来る」

確かそんな内容だった。3人には愛され、必要とされるのだ。であれば、頑張る価値があるというものではないか。

というわけで、物書きになることに決めたぼくが最初に請け負った仕事は、怪しい仕事依頼掲示板で見つけたものだった。

1000文字の記事が70円。

これが最初の仕事だった。その後、200円とか300円の仕事も受けるようになったのだが、時給に換算すると200円くらいだった。もうこれはビジネスでも何でもない。内職の請け負いである。しかし、文章がお金になったと胸を張った。そのことで、自己肯定感が少しだけあがった。

わずか70円でも大きな成果に感じられるくらいの自己肯定感しか搭載していなかったのだ。

今の時代に書き物を始めた人からは想像も付かないかもしれない。当時は、Googleの検索対策として、バックリンク記事を大量に製作するという仕事があったのだ。

要するにハイパーリンクだけつけていれば内容はなんでもいいというような記事である。今はGoogleも進化して、ゴミ記事からリンクを張られていても評価しない。

しかし、当時はゴミ記事であっても1記事としてカウントされていたのだ。そして、ぼくの仕事はせっせとゴミを作って70円で売ることだった。

しかし、そんなことを続けていても先はないと気づいた。それに気づくのに半年くらいかかったのだが、とにかく気づいた。その期間の収入は、月収で言うと5万円くらいだっただろうか。もっと少なかったかもしれない。それでも250時間は働きづめなのである。

こんなことではダメだ。これを続けていても、自分の書きたいことは書けるようにならない。

文章を書くとか、本を書くとか自分には辿り付けないかもしれない。はるか向こうの目標だ。しかし、夢だけは持ち続けよう。絶対に諦めるのはやめよう。

大人だって夢を目指してもいい。時給200円だって、夢を持っていてもいいじゃないか。

夢は恥ではない。

ブログの冒頭にそんな言葉を掲げた。そして、ようやく手にした収入を捨てて、ブログ「はとのす」に魂を込めて記事を書くようになった。

当時のぼくは文章が上手ではなかった。粗が多く、ミスも多かった。

しかし、感情を込めることだけは出来た。それは喜怒哀楽が激しく、感情が揺れ動きやすいという「欠点」を逆手に取った書き方だった。生きていく上で何の役にも立たないことが、ぼくの唯一の武器になった。

当時は必死だった。妻は産休であり、ぼくの収入はとても細い。それでもアルバイトなどはせずに必死に文章を書いていた。

その中で物書きとしての中村慎太郎は日々力をつけていった。

そして、運命の10月5日。Jリーグの試合を初観戦した。本当につまらない試合だった。しかし、心の底から感動した。

ロストジェネレーション。時代の狭間に生まれた自分が初めて肯定されたような気がした。

ぼろ負けしても応援をやめないFC東京のサポーターを見て、東京に生まれ、東京に住んでいる。ただ、それだけのことで応援してもらえる。支えてもらえる。声援を送ってもらえる。そんな気持ちになったのだ。

これまでは多くの大人に粗を探され、欠点を指摘され、役に立たない不要な存在だと言われ続けた。

しかし、サッカースタジアムにはいてもいいのだ!!

そこでは誰にも否定されなかった。ただ仲間だけがいた。サッカーを愛する仲間たちが。

泣いた。心の底から泣いた。なぜぼくが泣くのか理解できない人も大勢いることだろう。それでもぼくは泣いた。感動した。心の底から安堵した。

そしてそれを書かずにはいられなくなった。

10日間かかった。1つの記事を書くのに10日もかけたのだ。その記事が人生を変えた。

その後、数万に見られるという猛烈なプレッシャーに耐えながらも、記事を作り続けた。すべての記事が注目され、数万PVまで一気に伸びた。

そして、一連の観戦記録を『サポーターをめぐる冒険』として上梓。翌年にはサッカー本大賞も受賞した。

シンデレラのようなストーリーだった。完全に世界が変わったのだ。

しかし、良いことには必ず不吉な予兆が含まれている。

華やかに飛び立ったのはいいが何の戦略もなかった。いずれ力尽きることは目に見えていた。しかし、それが自分ではわからない。

そのまま、2015年と2016年は停滞した。ライター業をいくつかしていたし、だいぶ格が上がったので、70円の記事は書かずに済むようになっていた。俗に言う文字単価というものでいうと、最初は1文字0.07円だった。今はそういう数え方はしないのだが、どんなに安くても1文字あたり5円、割の良いものだと1文字あたり30円になる。

もっとも、そういう仕事は書く以外の前後が大変なので、そのまま楽な仕事というわけではない。

さておき、2015年と16年である。この期間、ぼくは死んでいたらしい。いつ死んだのだろうか。思い出せない。いや、澤山さんのツイートを見るまで自覚すらしていなかったのだ。

今思うとこの期間は育児が大変だった。初めての子供でもあったから、妻と一緒に大混乱していた上、2015年には2歳のイヤイヤ期に突入したのだ。妻も心身とも調子を崩し、在宅ワーカーだったぼくも発狂しそうになっていた。

保育園に預ければ良かったのだが、役所で話を聞くと「あなたのような社会的にまともではない人間は公的なサービスは受けれない」とでも言うような対応をされた。

もちろん、そう言われたわけではない。しかし、見下して、馬鹿にしたような顔。とりつく島もなく、親身になるとはほど遠い。ああ、そうだよ。いつものこれだ。ロスジェネ世代の人間がいつも味わってきたあれだ。

ところで、ロスジェネ世代でお金がないから出生率は低いはずなのに、どうして保育園が混雑しているのか。

お金がないから共働きする夫婦が増えて、その結果保育園の需要も増加しているのだろう。思えば子供の頃は共働きしている家庭は少数派だった。

これもロストジェネレーション。我々は誰にも必要とされず、損ばかりする。

世代のせいにするな。自分の責任だろう。努力が足りない。賢さが足りない。

それはそうだろうし、当時はそう思って頑張っていた。しかし、後から考えるとどう考えてもロスジェネの壁はあったと思う。そのことで上の世代を恨んでも、下の世代にかみついてもしょうがない。

だとしたらぼくらはどうしたらいいんだ?この先どういう精神的態度で生きていったらいいんだ?

何の職業訓練も受けたことがなく、70円の記事で満足して半年間も作り続けてしまうような人間に、ロスジェネの壁は厚すぎた。

そんな中、二人目の子供を授かった。経済的には苦境ではあったが、子供に会うのは最優先だ。そして、その状況で取れる選択は1つ。

どこかに就職をしよう。

これを決めた時点で、物書きとしてのぼくは完全に死んだのだろう。そう見なされたのだろうと思う。

あんまり今読み返したい文章ではないが、当時はこんな記事を書いた。

そして就職先では本当に苦労した。たとえるなら子供が考えたデタラメなゲームの中で、絶対に倒せない設定の敵を倒そうとしていたようなものだろうか。

とにかく職場にいるほぼ全員が、システムの不備と人間関係の不調に苦労していた。そして、改善する方法が存在しなかった。根本から駄目だったのだ。

この時の体験については、必ずどこかでまとめる。

ぼくは最大限の努力をしたと思う。もちろん他にやりようもあったのかもしれないが、努力量だけは注ぎ込んだ。社内的には本当に酷い目にはあったが、現場のスタッフやお客さんは支持してくれた。

お客さんや現場のスタッフに寄り添うことを大事にしない選択肢はぼくにはなかった。だからなるだけ頑張った。しかし、どれだけ個人が頑張ってもどうにもならないことはあるのだ。

書店を維持することだけがミッションになってしまっていた。ぼくの苦手な組織のために奉仕するという状態だ。しかし、ぼくはそこで経営を学んだ。小さなお店なので裁量は大きく何でも出来た。というよりも上からの指示はほぼないか、現場に即していないので、自分たちで考えて行動しなければならなかったのだ。

そこでは、ビジネス系のセミナーも数多く行われていた。IT系が中心だが社長さんやメディアの編集長、様々な著者と知り合った。

それを人脈に使ってどうこうということはあまり考えていないのだが、刺激やアイデアが得られたことは本当に大きかった。

その中からは一生付き合っていけるような縁もいくつか出来た。

ぼくは確かに死んでいた。

月給にすると20万円を切るような仕事をして、それなのに地獄のように忙しかった。酷い月なんて月給8万円しか振り込まれていなかった。後で給料間違ってましたという連絡が来たのだが……。完全なる時給制と化しているのに、勤務時間外に容赦なく連絡が飛んでくる。

人間の処理できる量を超えるので、店長は二回入院して、ぼくも二回ぶっ倒れた。しかし、それに不満はなかった。そもそも、人生で一番高給を取れた瞬間でもあったのだ。ロスジェネの大学院崩れなのだから給料があるだけでも信じられないような幸運だと考えていた。

実質労働時間で換算して時給にすると1000円を切っていたことは間違いないが、今でも額面については特に思うことはない。そもそも最大でも時給換算で1300円くらいで、残業代はない設定だったのだ。お金にはそれ以上の期待はない。だが、得られたものは大きかった。

ビジネスの経験がなかったことが、大学院をやめた後の自分には大きな障害になっていた。だから、ビジネスをする人がどういう言動をするのか、どんな行動をするのか、どんな物腰なのかを観察し続けた。

そして必ず成功する人、成功するようと頑張っている人、失敗する人がわかるようになった。

最終的にうまくいくかどうかは、色々なことが複合的に作用して決まるし、半分以上は運なのだろうと思う。

ただ、成功する人には特徴があった。起業してうまく行く人は天才ではないのだ。

起業家といっても、最初からお金を稼いでいるわけではない。最初は売上なんかなくて、赤字を垂れ流すこともある。しかし、何千万とか何億という投資を集めることで、成功への道を繋いでいく。

これは何の差だ。

問い続けた。

どうして自分はあちら側には行けないのだ。

ある日は、酔っ払った10歳以上も若者に並ばされ「この中には頭のいい人間はいません」などと言われた。そのまま、ステップインして殴り倒してやろうかと思った。

というのは大嘘で、不思議と腹は立たなかった。

その人の人間性には多くの人が疑問を呈していたし、それは失敗へのプレリュードだからだ。ぼくが怒らなくても、どこかで制裁を受ける。それに、ぼくは、並ばされて無価値であると言われることには慣れているのだ。そのほうが当たり前と言ってもいいかもしれない。

就職活動の時は、真っ黒いスーツを着て、何百人も会社に詰めかけていった。何千人、いや、書類選考を入れると何万人だったかもしれない。その列の中で、就職できるのは数人だけということもザラだった。

我々の世代は必要とされていない。今は、とある官公庁の出世コースにいる男は、100社以上落ちて、就職浪人までする羽目になった。それほど優秀な男であっても必要とされなかったのだ。

さておき、ぼくらを並ばせ、頭が良いものなどいないと告げた若者はそうやって、我々の世代を見下してきたのだろう。その若者が尊敬しているのはお金を出してくれる大人だけだった。とてもわかりやすい。

ただ、純然たる意味の、頭の回転とか学識ということでは、何一つ負ける要素はなかった。本人はわからないだろうが、積んでいるエンジンが違う。

しかし、勝負はスペックでは決まらないことを、我々ロスジェネ世代はよく知っている。学歴も、教養も、発想力もあまり役に立たないのだ。

何故ならぼくは持っていなかった。しかし、彼は持っていた。彼はパスポートを所持していたのだ。

そのパスポートの正体は何なのか。それをどこで手にしたのか。業務に追われながらも考え続けた。

そして、理解した。

ぼくが契約社員として入社したのは2月だった。なぜ正社員じゃないのかというと、ぼくのような人間が正社員の待遇を得られるわけがないと本気で思っていたので交渉すらしていないのだ。

これは間抜けな話なので、ぼく個人のことを笑うなら笑っていただければ良い。ただ、こういった低い自己肯定感を持った人間が山積みされているのが、ロスジェネ世代なのだ。文字通り、笑い事ではないのである。

社会から必要とされていないことによって人は精神的なダメージを負うのだ。

さて、ぼくは2月に入ったのだが、少しすると会社から社員がいなくなった。現場に残る数人を残して、どこぞにジョインしてしまったのだ(だからぼくはジョインという言葉が嫌いになった)。

そのあと、会社は存在してはいるものの、存在しているだけという理解が難しい状態で、給料が出るのかどうかもわからないまましばらく働いた。そして、最後はゴミクズのように捨てられた。

とはいえ、ぼくはゴミではない。ゴミ箱に捨てるほうがどうかしている。そういう人とは付き合わないに越したことはない。それはそれでいいのだ。

その時のことをブログなどに書いたら即訴訟するなどと脅されたが、ぼくの大学の友人は弁護士だらけなので、その時だけは頼らせてもらおう。なーに、学生時代のスキャンダルなんか山ほど知っているのだから。

さておき、その若い世代の彼らは自己肯定感が高すぎた。我々の世代とはまったく違う。

とはいっても、たとえばたっけさんのように、ぼくの内面を見て価値を感じてくれて、ずっと付き合ってくれる人もいる。全員がそういう人ではないのだ。世代の話は、あくまでも大まかな流れの話である。

お店については、お客さんやスタッフのことを思うと、まだ続けなければいけないとは思っていたのだが、ある意味自分では辞められない状態だったので、丁度良いといえば良かった。

一緒に頑張ってきた大学生のスタッフは怒ってくれた。本当に苦しい時を一緒に乗り越えてきたのだ。その後も結構頼ってくれて、半年くらいはお店の愚痴を聞かされることになったし、エントリーシートの添削をしてあげたこともあった。二人見て、二人とも大きな会社に入った。それはとても嬉しいことだ。

スタッフのみんなから必要とされていた。その報酬だけもらえたらぼくには十分だった。ロスジェネ世代は、欲張らない。お金よりも、人に必要とされることに価値を見いだしている。それは、ぼくだけかもしれないけど。

そしてぼくは怒る必要などなかった。いやまぁそりゃ少しは怒ったし、訴え出たら勝てそうなくらい杜撰な案件だったのだけど(何せ契約書すら書いていなかったわけだから)、怒ることにはエネルギーを使わなかった。

次に何をしようかと考えた。

ただ……。それは全然うまくいかなかった。何も出来ないうちに時間だけが過ぎていった。何かを変えようと挑戦をしたのだが、それは低レベルなアウトプットにしかならなかった。

当時は無自覚だったが、成功する見込みはついていた。ぼくはもうパスポートを手にしていたのだから。

そんな中、ハリルホジッチ日本代表監督がゴミクズのように捨てられるという大事件があった。それは、既にハリルホジッチ体制のもとで、ロシアW杯を挑むという前提になっていたサッカークラスタの脳を揺さぶった。

あの時受けたショックは筆舌にしがたかった。言葉を失い、取り憑かれたように情報を集めた。何か言おうと思ったが、「ありえない」としか言い様がなかった。起こってはいけないことが起こってしまったのだ。

ワールドカップが終わった後、ハリルホジッチを解任したおかげで日本が救われたという説を恥ずかしげもなく書いているライターもいる。しかし、ぼくの怒りの趣旨は、仕事を積み上げてきた人をゴミクズのように捨てるな、である。勝った負けたではないのだ。

あれから3日か4日か、自宅にこもって混乱し続けていた。そして、ようやく家を這い出て、スーパー銭湯へと向かった。

入館し、入り口の横にあるベンチに座った。そして、ハリルホジッチ解任の件について、重い口を開くことにした。

最初はTwitterに書こうと思い、箇条書きのまとめを作り始めた。しかし、それが止まらなくなり、風呂屋に来たというのに、風呂に入る前に8000字以上を一気に書き上げた。時間にすると3時間かかっていない。

前からざっと書き下していって見直しもしていないのだが、文法的ミスも、誤字脱字もなく、論理的にも整合していた。

半分死んでいながらも物書きであることは諦めず、売れもしない文章をひたすら書き続け、文章力を向上させるための努力が実っていたらしい。

何より筆舌にしがたいはずの出来事を、言語化することに成功したのだ。また「発狂する」という強い語気のコピーをつけ、無意識のうちにバズが起こるような誘導もしていた。

ある条件が整うと必ずバズは起こるのだ。

Pomeraで書き上げ、スマートフォンから記事を投稿した。そして、風呂に入り、あがってくると通知が止まらなくなっていた。

ああ、これは来たな。
二度目に経験する大バズだ。

一度目は10万PVという規模だったが、ハリルホジッチの記事は33万PVまで一気に伸びた。

二度目の革命が起きた。

その炎の中から、物書きとしての中村慎太郎は蘇った。澤山さんの表現を変えるなら、不死鳥のように蘇ったのだ。

ぼくは日本代表について語るのは嫌いだ。知らない人との摩擦が生まれやすい分野だからだ。だから、それまで注意深くツイートなどをしないようにしてきた。しかし、言わずにはいられなかったのだ。

ハリルホジッチの無念、日本社会のひずみ、ロスジェネ世代の自分の哀しみ、色々なものが混ざり合わさり、狂おしい色合いに変わり、激しい炎となっていった。

バズには慣れていた。

記事にTwitterアカウントのフォローを誘導したり、書籍のアフィリエイトリンクを貼るなどの施策を急いで行った。

結果、書籍は200冊以上売れ、フォロワーは4000人くらい増えた。そして、追撃として放った有料記事の売上は結構なものになった(それでも少なすぎるらしいが)。

そこから、まさかの実況・解説者としての仕事を得たり、アンチ本田圭佑ライターと叩かれたり、あるいは、アンチサッカーの野球ライターだと叩かれたりするなど複雑怪奇な出来事が起こったのだが、それもワールドカップだ。

ワールドカップ後は、流石に疲弊して廃人のようになっていた。そもそも東京の夏が苦手で、毎年冷房病で死にかけているのに、ワールドカップで昼夜逆転してしまったらどうにもならない。

そして少し休んだ後、徐々に調子が戻ってきた。

そして、パスポートを使うときが来た。

実は大学院を出た直後は効力の小さなパスポートを持っていた。しかし、期限が切れてしまっていた。

それは、小さな夢だった。
つまり、作家になるという夢だった。

その夢があるときは頑張れたし、多くの人の気持ちを揺れ動かすことが出来た。

そう、パスポートとは夢のことなのだ。起業家は夢を語る。そして、夢が実現するためのビジネスプランを示す。

ビジネスプランがあまりにも現実からかけ離れていては投資は集まらないが、夢が大きく、魅力的なチャンスが得られるかもしれない。

夢を見る。

夢を膨らませる。

夢を語り、夢に巻き込んでいく。

これがパスポートだった。学生起業家が成立するのは、ビジネスプランの頑健さよりも、夢の大きさが評価されやすいからだろうと思っている。夢を前にするとお金を出したくなるのだろう。

あるいはこれは詐欺師やマルチ商法の手口とも似ている。いや、本質的には同じものと言ってもいいかもしれない。手段としては、である。

しかし、目的が違う。詐欺師やマルチの勧誘をする人は自分が儲けるために夢を語り、そそのかす。そうではなく、魅力的な夢を、正しい目的のために描くのだ。

ぼくはロスジェネに生まれ、自己肯定感が低いまま、何の得もしないで、損ばかりして生きてきた。

そんな自分を救ってくれたのはいつもサッカーだった。

大学院でどん底になっているとき、フットボリスタなどでサッカーを学び、夜な夜な練習をし続けたことで人生が切り開けた。

物書きになるという夢も繋いでくれた。

ハリルホジッチの件は、あまりポジティブには語りづらいことなのだが、キャリアの上では新しい境地を切り開いてくれた。

ぼくの隣には常にサッカーがあった。プレーし始めたのは30歳からなのだが、これ以上ないほど大切な存在になっている。

だから、ぼくはサッカーの夢を見よう。2019年にやることはこれだけだ。

サッカーの夢を見て、サッカーの夢を語る。多くの人を巻き込んでいく。そして、必ず実現させる。

ぼくがJリーグを見始めた頃は2ステージ制への移行期で、お金もなく、ファン・サポーターも気が立っていた。しかし、明治安田生命のタイトルスポンサーやDAZNマネーなどが入ったことによって、Jリーグを取り巻く状況は日に日に良くなっている。

「サッカーには夢がある」という言葉も流行った。ぼくがやるべきことは残っていないんじゃないか。そういう気がしていた。

しかし、違う。

まだ足りないものがある。

サッカーはこれ以上ないほど世界的な広がりを持ったスポーツになっている。たった一つの競技で、オリンピックよりも強大なインパクトを持っている。これは、野球にも、バスケにも決して到達できない大きさだ。

そして、サッカーは世界を一つにする。そういう思想がある。サッカーを通じて、世界の人々が交流し、友好的な世界観が醸成されていくというものだ。

それは美しい夢だ。

しかし、ワールドカップを何度やろうと、オリンピックにサッカーを組み込もうと、クラブワールドカップをやろうと、完全な形では達成できない。今のままではサッカーは世界を一つにしてくれないのだ。

だから、ぼくは夢を見よう。

世界を一つにするのは、メッシでも、クリスティアーノ・ロナウドでも、イニエスタでもない。

ぼくが、世界を繋ぐのだ。


そういう仕組みを作ろう。そうやって生きていこう。同じ夢を見る仲間と一緒に頑張っていこう。

今はまだ告知できるところまで詰められていないのだが、今年は「旅とサッカー」についてのnote共同マガジンを展開していこうと考えている。

これがぼくの夢を達成するための具体的な方法になる。

なるべく夢を大きくしよう。魅力的に見えるように膨らませよう。そして、達成するための手段をみんなで必死に考えよう。

このプロジェクトは大金を生むようなものではないだろうと思う。ぼくは大金がほしいわけではない。社長になってチヤホヤされたいとも思わない。

ただ夢を見て、夢のために努力したいのだ。そして、同じ志の仲間とともに生きていきたい。何かを成し遂げたときには祝杯をあげたい。

それがぼくの幸福論。
ロスジェネは夢を見よう。そして、仲間を集めよう。

とても辛い時代を過ごしてきた。理不尽な思いもしてきた。お金も大損してきた。だからこそ、つらさを知っているからこそ、仲間とともに歩めるはずだ。

仲間を得るためには夢を見よう。

大きな、魅力的な夢を目指して全力で生きよう。

我々はアラウンドフォーティー。人生の半分はもう終わりつつある。だから、躊躇している暇はない。誰かをひがんだり、恨んだりしている暇もない。単純に時間がもったいない。

もっともっと美しい夢を見よう。

人間が思い描けるすべてのことは、必ず実現させることが出来る。

方法は考えよう。協力者は募ろう。お金が必要なら集めよう。それが美しい夢ならば、きっと成し遂げられるはずだ。

我々ロスジェネは社会からは必要とされてこなかった。しかし、世界が我々の夢を必要とする日が来る。

辛い時代を耐え抜き、鍛え抜いた能力を駆使して、これからの世界は我々が作っていこうではないか!!!

2019年、平成を丸々生き抜いたロスジェネ世代の書き初め。


作家・ブロガー 中村慎太郎
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この記事は、ハリル解任発狂記事を書いたのと同じ場所にあるベンチで書いた。あの場所にいると記事が長くなる傾向があるらしい。記事内のどこかに書こうと思ったけど、あまり重要な話じゃないので書き忘れた。

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中村慎太郎

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