今更みたよジョーカー


今更だけど見ました、 ジョーカー。
重いし、ものすごい痛い映画でした。

努力のしかたがわからない

アーサーはコメディアンになりたいという夢を持っていながら、頭があんまりよくないので、努力のやり方も、有名になるやり方もわからないし、ひどいめにあっても適度な怒り方も、うまい言い訳も、支援の求め方もわからなくて誤解されたり、不公平な思いをしています。親切だし、親孝行で温厚なのに笑ってしまう障害があり、彼をよく知る人たちからもキモがられています。うすら寒そうなニューヨークのどんよりとした空の下、前半はずっとずっと痛い展開が続きます。

拳銃はんぱない


「自分を守れ」と渡された拳銃を得たことで、アーサーは強くなっていきます。「君はダンスがうまいね」と全能感に浸りながらtvの前でダンスを踊り、うっかり壁に穴を開け、もう病室の子供の前に出ることもできません。今までずっと「いい子にしてろ」と言われたとおりにしていたのですが、怒りをあらわにしてウェイン社の社員を銃殺し、街がいよいよ不景気で不穏な雰囲気になっていく中、キモがられていじめられていた自分の怒りが街の不穏さそのものに勝手に変貌していることに気がついていきます。

大野一雄好きは見たほうがいい、無駄に懐かしい


トイレで踊るアーサーは大変な美しさでした。生まれて初めて自分の納得のいくようにふるまえて、自分の世界がようやく自分とひとつになったことを確認するように、最後に鏡の自分にお辞儀をするところは震えるほどの美しさでした。白塗りのせいかピナ・バウシュや大野一雄、暗黒舞踏と言われていた人たちの舞踏を思い出してしまいました。今の若い人は知らなくて当然なのですが、昔、tvの深夜放送では、コミカルなのにどうしようもなく物悲しいピエロの一人芝居や大野一雄の舞台が延々と流されていることがわりとあったので、今50代くらいの人の中には、思い出す人もいたかもしれません。まだ知名度の低かった草間彌生のドキュメンタリーなんかも流されていました。日本より海外でのほうが評価の高かったこれらの暗黒舞踏ですが、わたしが大学生のころは学内でも披露されていましたし、取り組んでいる学生もいたりして「パフォーマンス」の一形式としてはポピュラーでした。

言葉がうまくないアーサーがどれかの感情になる前の情動を表現するのに、ダンスを入れたのは本当にいい演出でした。キレが、いいんだよね・・・。トッド・フィリップス監督はパンクがどんどん意味のわからないハードコア化していったあの8-90年代の匂いを知っているし、ホアキンも同じくらいの年代なので、できるかできないかというと、できるんじゃないかと思いました(なんのこっちゃ)。

その他にも髪を染めながらバスルームで踊るシーンも、今にも落ちそうになりながら階段を降りながら踊るシーンも「どういう気持ち」と表現することのできない何かがこみあげてくるあの感じ、ホアキンほんとすごかったです。ガガさんと撮ってるというミュージカル映画もいいけど、暗黒舞踏、どうすか。個人的にメイクが終わる前の、ピエロ仲間をぬっころすところあたりの白塗りのアーサーが最高に良かったです。

ピエロのお面を外したら、ジョーカーの彼が出てくるところは鳥肌がたちました。「マスクをつけなければ何もできない奴ら」だったはずなのに、それならと大衆のみなさんはマスクをつけて騒ぎを起こしているし、アーサーは素顔でなくジョーカーのメイクで外に出ます。

後半に映画俳優がステージに出てくる様子を研究するシーンがありますが、彼にとって「有名な人物」「すごい人」というのはひょっとして出だしの挨拶までがキマってる人物のことで、演技がどうとか、コメディの内容がどうとかは、実は詳しく考えられなかったのかもしれません。なんでかというと、頭があんまりよくないからです。しかし誰でも、わからないことは、知る余地も考える術も感じる感性もないので、わかる範囲で真似をするしかなくて、アーサーのような痛さをかかえていることには変わりがありません。どっかの事務所のアイドルtv出演の忖度問題にも大いに思うことがありましたがこのシーン、実は誰でもああだろ?と言われているようで大変痛かったです。

アーサーは暴力で富裕層を襲撃するような自分が町中から支持されていることが見えてきてからも、個人的な救いを求めてウェインに息子であることを認めさせようと詰め寄っています。本来、そういうことしか求めていない素朴な人なんですよねえ。

こうすれば人はこう動く、人を試し、そこらへんが天才的だったダークナイトのジョーカーとは真逆でした。アーサーは自分がわけのわからないままそんなつもりはなかったのに市民のカリスマとして祭り上げられてしまいます。逮捕されたけど、みんなが協力してアーサーを助け出してくれました。車の上によろめきながらも立ち上がって、血染めの笑顔を完成させ、大衆にの歓喜の声に答えるのでした。めでたしめでたし(ぇ

この映画全部がアーサーの妄想説とか、いろいろありますがどれでもいいんじゃないかと思っています。カウンセラーは、終番では彼の話を聞いてくれていますし、話も前半で出てきたときより噛み合っています。彼はオオゴトを起こしたので話を聞いてもらえるようになっただけなのでしょうか。彼の話はいつも妄想の中でしか誰とも噛み合っていなかったことを思うと、なんとなくだけど、後半部分のほうがむしろ妄想なんじゃないか・・・

私はアーサーはトーマス・ウェインの本当の息子だと思うなあ。ペニー・フレックが倒れたとき脳梗塞なのに過呼吸で頭を打ったことにされてたり、ウェイン家が消す気まんまんじゃないですか・・・。

レンタル落ちのdvdを買ったので、すりきれるまで観ようと思います。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?