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メモからの引用

 何日か前の日記で、「向こう600日くらいはネタ切れの心配はない」と格好つけたが、よくよく考えたら表にだせないような辛辣なものも抱えているので、そういったものはフィルターにかけたり、ふるいにかけたりしなくてはならないということに、今になって気づいた。

 単に「心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば」という感じのメモであれば、垂れ流しでもかまわないのだろうけれど、そのまま口に出してしまうと確実に角が立つような「事実」も、それなりにある。

 たとえば、初期に書いた『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON 1周目をプレイした感想①』では、「人から与えられた役割を、自分の本質と混同し勘違いする」という表現を用いた部分があるが、これも普段の日常生活の中で他人を見ていて、思ったことだ。
 「人よりも能力や徳のある人間であれば、何らかの社会的地位や役職を得る(※)」という命題は真であるかもしれないが、その逆の「何らかの社会的地位や役職を得ている人間であれば、人よりも能力や徳が高い」という命題は真であるとは限らない。しかし、多くの日本人はそこを勘違いしているように思える―――という解説とセットで、メモに残しているが、この手の「批判」をいくら繰り返しても意味は無い。

(※)厳密には、「人よりも能力や徳のある人間は、結果的により多くの社会的役割を担わされることになる」のほうが個人的にはしっくりくるが、格好つけて命題にするために「地位」の話にしている。

 もっと夢や理想を語ったり、「ゲームのルール」を提示してムーブメントを起こしたりしたほうが、きっと社会にとっては意味があるのだろうと、わたしは思っている。「アクティビティの保存」というテーマ設定も、そのための手段のひとつだ。

 議論や話し合いに意味はなく、重要なのは既成事実を作り上げて引き返せなくすることだ(これもメモからの引用)。

 なんにせよ、さっさと『ホモ・ルーデンス』を読み終えよ、自分。

わたしの活動が、あなたの生活の一助になっているのなら、さいわいです。