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他者理解の進め方(ステップ2)

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今日のテーマはこちら!

他者理解の進め方(ステップ2)

他者理解シリーズの2番目です。
前回の記事はこちらからご覧いただけます。 ↓↓↓

前回は、まず自分自身を理解しよう、というものでした。

立てないのに歩けるわけもなく、鉛筆が持てないのに字を書けるわけもないように、自分というものがわかっていないのに他者というものがわかるはずもありません。

とにかく自分を知るために、たくさん遊びましょう!という内容でした。

今回はそこから進んで、いよいよ他者という存在を認知して、理解していくためのステップを、順を追って考えていきましょう。


他者の存在を知る(他者認知)

子どもは、自己中心性の中で生きています。
自分を中心に世界が回っていて、自分の思うように周囲が動いてくれる、という中で安心感を持ち、成長していきます。

赤ちゃんは、泣けば誰かがおむつを替えてくれて、ミルクをくれて、不快な状況を快適なものに変えてくれました。

言葉が出てくると、その言葉に反応して大人が動いてくれます。

自分の思うとおりになるので、もはやそれはパパママではなく、”自分の一部”なのです。

しかし要望ばかり聞いているわけにもいかないので、パパママは次第に、「ダメだよ」や「あとで」といって要求を聞いてくれなくなります。
そうしてやってくるのが、つらいつらい、「イヤイヤ期」です。
ノイローゼになりますね。

ですが、社会性の発達としてはこの「イヤイヤ期」、とても重要です。
「いや!」と思うということは、「なんで自分のいうことを聞いてくれないんだ!」という言葉に置き換えることができます。

今まで、いうことを聞いてくれていた、自分の分身のような存在のパパママが、”どうやら自分の考え通りに動く手足ではないらしい・・・”ということに気づく。
まさに他者を認知し、なんで????となっている瞬間です。
狭義の他者理解のスタート地点と言ってもいいでしょう。

このイヤイヤ期、しっかりと赤ちゃんの間に愛着形成がされているからこそ、パパママは安心できる存在だったということを証明してくれるものです。
私も、こんな言葉をかけられて、「いまつらいんだよ!!!」と思いましたが、今となってはやはり、こういうしかありません。
「そんなときもあったと思える時が来るから、、、頑張って!!!」

イヤイヤ期がないのは、子育てが間違っていたの?

この文面で気になるのは、ではイヤイヤ期がそんなになかった子は愛着形成ができていないのか?とか、安心できない存在だったのか?とか、子育てを否定されたと思われるかもしれません。

特に自閉特性のあるお子さんには、イヤイヤ期がないことがあります。しかしそれは自閉特性がゆえのものです。子育ての方法が悪かったわけではありません。

顔指向性とは?

自閉特性を持っているお子さんは、顔指向性が弱いということが言われています。
顔指向性とは、生まれながらに人の顔らしきものに注意が向きやすいというものです。

このように、3つの点が目と口のように配置しているものを見ると、顔に見えてしまいますね。

こういったことが自閉特性のあるお子さんは弱いとされています。

定型のお子さんは、生まれてすぐにインプリンティング(刷り込み)によって、同種の生物であり、自分を守ってくれる存在だということを認知します。
そこから、日々のかかわりによって早いうちに愛着形成がおこり、イヤイヤ期へと突入していきます。

しかし自閉特性のあるお子さんは、インプリンティング(刷り込み)が起こりにくく、抱っこしてくれている人が同種の生き物で、自分を守ってくれる、安心できる存在だということを認知することが難しいのです。

顔指向性が弱いことから、目が合いにくく、抱っこを嫌がったり、お母さんの言葉に反応しなかったり、共同注意(あそこに○○があるよ!といっても同じ方向を見ない)が弱いということが起こります。

自閉特性の子は愛着形成がおこらない?

では全く愛着形成がおこらないかというとそうではありません
日々のかかわりの中で、定型のお子さんよりは時間が大きくかかりますが、次第に自分の親だ、安心できる存在だという風に認知できるようになって、べったりくっついてくるくらいの愛着が形成されていきます。

だいたい、肌感覚で3年から5年は遅れる印象があります。
ですので、イヤイヤ期がやってくるのもそのころ。
4歳から7歳くらいにイヤイヤ期が来たら、もうそれはかわいいといってられないくらいのものですね。
幼稚園や小学校で、問題行動としてとらえられてしまいます。

しかし、それもその子からしたら、その子なりの成長なんです。
他者という、自分の思い通りにならない存在を、認知した、という証拠です。

そこから、スタートです。

自己と他者を分けて考える(自他分離)

イヤイヤ期真っ只中の時に、子供は次第に、
”どうやら、親は自分の手足でないどころか、そもそも自分ではないらしい”ということに気づき始めます。

自分という存在がいて、そして自分とは違う”他者”という存在がいるんだということを分けて考えることができるようになります。
実はここで、自分、という存在にも同時に気づくことができます。

自分ってなんだろう。
どこからきて、どこへ向かうんだろう。

まだことばでうまく表現することはできませんが、漠然とそのようなことを感じることができた時、前回の記事後半で取り上げた、自分を知るための言葉を使ったソーシャルスキルトレーニングが有効になってきます。

自分とは何かを知る。
他者とは何かを知る。

それによって、自分は他者ではないし、誰かに動かされているわけでもない。自分は自分、という概念を形成していきます。
同時に、他者は他者であって自分ではない、自分の思う通りにはならない、ということも、ゆっくりと学んでいきます。

どうしても、自己中心性のなかで生きているので、自分は自分、ということは理解できても、他者は他者、自分ではどうにもならないということの理解は、相当後の方になって理解が進んでいきます。

大人になっても、そのことが理解できず、相手を変えようと息巻いている大人もたくさんいます。

できるだけ、子供のうちに、わたしたちがかかわりを持てるうちに、習得してほしいと願っています。


今日の内容は以上です。

他者認知、そして自他分離について考えてきました。

次回以降、下記の内容を投稿予定です。
お楽しみに!!!

他者の視点を理解する(他者の視点取得)

他者の気持ちを理解する(気持ちの共感)

他者の考えを理解する(共感的理解)

自分と他者の考えの違いを理解する(誤信念理解)


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