挫折、絶望と幸福

人生誰もが1度くらいはがっつり沈み込むことがあると思う。

いわゆる「挫折」

自分は交換留学の前半でそれを味わった。

そして元々その気質はあったが、ニヒリズムに陥った。

中高一貫で暇していたこともあって、中2〜高1も人生つまんないなぁと思っていたが、挫折はなかった。しかし、その時に読んだ、「嫌われる勇気」が私のバイブルとなり、「今この瞬間に強烈なスポットライトを当てて生きる」ことを意識するようにはなった。

しかし、まだまだ私はその意味を理解できていなかったんだなぁと本気で絶望に陥った今ならわかる。

どういう絶望か。

今を生きるのを大切にはしつつも、やはり心の奥底で、自分はこの社会をよりよく変えてやる。自分なら、本気出せばできるはず。と信じていた。方法は、世界的に活躍する心理・脳科学の研究者になって、教育・社会改革をすること。

留学に来て、色々経験して、それが無理だと気づいた。
1. 4年間心理系を学ぶ旧帝大にいたのに、そこで学んだことは、アメリカの大学生の1年生が半年で学ぶことにも満たなかった
2. つまり、テスト・課題・リーディングがかなりキツく、時間をかければできるにしろ成績が取れない。いわゆる天才が結構な数いる。(学びが好きな人、記憶力が高い人が主)
3. この大学で誰よりも英語ができない。一番英語を話せないのは日本人だし、日本人の中でもドベだった。最初の1ヶ月は授業がほぼ聞き取れず、スライドに頼りきり (もちろん英語には自信がある方だった)

4. 自分はアメリカが作っている資本主義・格差社会が嫌いで、北欧のような社会民主主義を世界に広めたいなんて思っていた。しかし、まずもってここで競争に勝ち抜いているアメリカの学生たちと自分にはかなり差がある。

無理だ。
自分の理想は達成されない。

そもそも130億年(13000000000)の宇宙史の中で、こんなちっぽけな自分(80)が何かすごいことを成せるわけがなかった。
https://note.com/haveaniceday_/n/nbf540fac725a

やはり、今を大切に生きるしかない。とアドラーの解釈に戻ってきた。

しかし、なかなか簡単なものではない。
例えば、
じゃあ、好きに生きよう!
自分って何が好きなんだ。。
今を大切にって言っても、普通に今部屋にいて退屈でどっか行きたいんだよなぁ
働きたくなくてもお金はいるよな
留学中なのに勉強したくなくて今を好きに生きるとか流石にむり笑

って感じで
3ヶ月くらい迷走してた

そんな中で、なんとなく行きついたのは、三体
それを読んでいて、(ネタバレになるかも)

あー、本当にこの宇宙は、生命は、真っ暗だな

って

本の中の彼らも絶望を味わっていて、設定は違えどとても共感できる部分だった

そして、ニヒリズムだな、って言葉がふと出てきた
自分は落合陽一さんが好きで、Twitterもおっているが、前に投稿していたお父さんの言葉、「ニーチェを読んでいないやつとは話をしない」も思い出した。
そういえば、ニーチェをきちんと読んだこともないのに、自分は楽観的にニヒリズムとか言ってんの嫌だな

と思い、(まだ留学中ですはい)日本語でニーチェの解説本を読み始めた。

ここで選んだ解釈本が良かった。

飲茶さんの、『最強!のニーチェ』

1 人は必ずニヒリズムに陥る
 もうこの時点でありがとう、受け入れてくれてって感じです。はい笑
2 それを克服するためには、「今、この瞬間を力強く肯定して生きよう!」
 え、アドラーやん。そういう結論か。。しんど。
3 『大事なのは、「生を肯定する意思」』
そうか、実践はやはり難しくて、その意思を持つことで幸福に近づくのか。

哲学から生まれた心理学、脳科学

そしてたまたま特典として嬉しかったことが、飲茶さんも、哲学に入る前は脳科学を学んでいたということ。そしてニヒリズムに陥ったと。
私も言いたいことはとてもわかる笑

小学4年生の自分:人が脳から説明できる?!最高に面白いじゃねぇか!しかも脳の10%しか使われてないだと?もっと使えるようにしたら人間はすごい能力を持てるかもしれん!
中学生の自分:アスペルガーって、障がいと言われても、人にない高い能力を持っている人たちがいる。障がいが本当は素晴らしいものかもしれんじゃん。証明したいな。それがわかったら、脳のある部位を刺激してもっとすごい人間になれるんじゃ!
大学1年生の自分:たくさんの自閉症の子供が生まれる前に殺されている、日本は堕胎大国だと知る。なんてクソみたいな優生思想なんだ。
待てよ。自分が障がいを持っている人に対して、「能力がある可能性があるから存在価値があるじゃん」って考えてたのって、もしかして、詰まるところ優生思想じゃなかったのか。。。。

こんなに「能力」に固執したのは、自分がものすごい学歴主義の家庭と学校で育ったから。テストの点数が人権とヒエラルキーの世界だった。そして、おじさんが知的障害者で、よく叩かれたり人権のない扱われ方をしていたから。

言い換えたら、
能力がない=生きる価値がない

能力で人を測りたくない。測るべきじゃない。
遺伝子組み換えの技術があっても人に使いたくない。いろんな人がそれぞれ好きなことをやっていればそれなりに生活できる社会を作りたい。

あれ、脳の機能がわかって、活用方法がわかっても、幸福にならなくね?
自分が苦労して嫌だった、「能力」を自分は無意識に基準にしていたのか。

ってね。若干ニヒリズムになったよね、10年間くらいおっていた夢が消えたから。。
そうなった時、じゃあ、現実社会に応用できる、教育とか、臨床心理がいいじゃんってなったんだよね。

今じゃ、Positive Psychologyって分野も完成されているけど、脳科学とはなかなか結びつかない。


すっごい荒削りだけど、留学中あまり時間もなくて、寝かせるのもあれなので、一旦投稿します。
また自分の頭の整理のためにも、読みやすく整理したい。

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