「オランダのエース」 バンディ引退

破竹の14連勝

 スラリとした長い脚からスピンの効いたストレートに魔球ナックルカーブ。あんなにもオールドスタイルが似合うピッチャーは無二だ。
 2015年、サムスンで蘭製ドクターKと言わしめた韓国球界の大物が我が国にやって来た。
 その名はリック・バンデンハーク。正式の名をヘンリカス・ニコラス・バン・デン・ハークという。(現地の読み方だとファンデフルクらしい)

 現在FBSで解説を務めるかつての沢村賞右腕・攝津正はこう語る。「デビューしたての時、衝撃だった」
 来日初登板は6月14日、セパ交流戦の広島戦にまでずれ込んだ。というのもこの年、前年大車輪の活躍を見せたジェイソン・スタンリッジ、デニス・サファテに加え、スペアとして残していたはずのエディソン・バリオスが5月末までセットアッパーに君臨。17試合連続ホールドという日本タイ記録を打ち立てたことで「投手3人まで」という外国人枠の壁に阻まれ、なかなか上からお呼びが掛からないでいた(贅沢な悩み)。5月下旬に入り、徐々にバリオスが調子を落とし、そこで二軍で腐らず好投を続けていたバンデンハークにとうとう声が掛かった。
 結果は6回2失点のQS投球で初登板初勝利。KBO最多奪三振がいよいよベールを脱ぐと、ここから伝説がスタートした。
 この年、春先の調整遅れも何のそのの15先発9勝。驚くのは負け数である。なんと9連勝で負け知らずのまま来日1年目を終えてしまったのだ。日本シリーズでも好投し、ポストシーズンと合わせて1人で10以上の貯金を作り、ぶっちぎりの優勝に大きく貢献した。


 18歳で渡米した経験からか、母国オランダ語、英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語と5ヶ国を使いこなす語学の天才で(欧州人でもペンタリンガルは流石に少ないはず)、日本語も非常に流暢で、その努力もあってチームに上手く溶け込み、不可欠な存在となった。

 翌春(2016年)もその勢いは止まらず、たちまち観戦に訪れていた愛妻・アナ夫人はその美貌から一躍時の人となった。
 だが、5月17日の日本ハム戦で5回7失点と打ち込まれ、連勝記録は14でストップ。「デビューからの連勝数」は堀内恒夫氏の持つレコードをも塗り替えたが、「外国人投手の連勝記録」は後に巨人のマイルズ・マイコラスに並ばれている。(なお、マイコラスが15連勝を懸けた一戦で大荒れし、捕手・小林誠司に向かって叫んだとされる「コバヤシィ‼︎」は有名である)
 その後、一度土がついてしまうとモチベーションが途切れたのかやや不安定な投球が続き、6月1日に疲労を考慮して抹消。さらに故障が発覚し、戦線離脱。そんな最中、球団はあろうことかシーズン途中に異例の来季契約(3年12億円)を締結してしまう。
 これが球団史上最大の悪夢を生むことになる。


「逸男」の原因に

 バンデンハーク長期離脱と共に、優勝目前だったはずのチームは大失速。大谷翔平、西川遥輝、中島卓也ら新世代が輝きまくっていたファイターズに最後は11.5ゲーム差を捲られてしまい、「北の国から2016伝説」を成し遂げられてしまった。某ネット掲示板からは、同年定着した松田宣浩のホームランパフォーマンス「熱男」に準えて「逸男」と称された。
 バンデンハークは故障を癒していたため、「サボった」というほどでもなく、ある程度仕方のない離脱ではあったので、全力を捧げても熾烈な優勝戦線に間に合わすことができなかったかは本人以外不明である。尤も、複数年を結んだ選手は契約期間内トータルで考えるべきとの考え方もあるが、次回の詐欺的大型契約を勝ち取る手法として、単年ごとに勝負を仕掛けずに最初のうちは休みながら、契約後年に帳尻を合わせていくという例も多く、そうであるならば、このケースもまさに大型契約の罪過が露見してしまったと思える。

連覇に貢献

 そんな良からぬ感想を抱いた私に掌返しをさせられたのが17-18年の2シーズンだった。

 2017年春に行われたWBCで、想定以上の感動をもたらしたのがオランダ代表だった(延長タイブレークで中田翔が決勝打を放った日蘭戦は稀に見るシーソーゲームで見応えがあった)。その中心にいた人物こそが主砲ウラディミール・バレンティン(当時ヤクルト)とエース・バンデンハークだった。健闘虚しく準決勝で散ったが、それでもベスト4は前回大会と並んでオランダ代表史上最高位だった。

 ペナントレースでは制球に苦しむ場面も多く見受けられたが、1年間ローテを守り抜き、13勝。翌2018年は規定投球回にあと5イニング届かなかったものの、きっちり10勝。期待通りの役割を果たしてくれた。
 当年の日本シリーズでは甲斐拓也の6連続盗塁阻止が話題を攫ったが、甲斐は「バンディとかすごくクイックを改善してくれましたから。盗塁阻止はバッテリーの共同作業の結果です」と功を譲った。

 契約満了までの3年間で25勝を挙げ、2020年シーズンも新たな契約を結んだ。

https://youtu.be/-CTSlvJWFFg


晩年

 だが2020年はシーズンのほとんどをリハビリで棒に振り、勝ち星は僅か2勝に止まった。球団は新たな助っ人の獲得に動き、12月2日にリリースが発表された。
 自由契約後、2021年2月21日にようやくヤクルトへの所属が決まり、巻き返しを誓うチームのローテーションの一角として大きな期待を背に受けた。が、2019年からの2年間は体の各所を痛めてほぼ投げられておらず、年齢や年俸を考えても「当たれば儲け」くらいにしかならないだろうと正直私は感じていた。
 予感は的中し、終盤にチームが逆転優勝へと驀進する中で6月以降一軍昇格すらできず、サイスニードとアルバート・スアレスの影にひっそりと隠れてしまった。スワローズファンの前では一発を浴びてチ〇ポジを治す癖しか見せられなかった右腕は、シーズン1ヶ月残しでウェイバー公示申請された。

オランダのエースとして

 そして、先日、公式に現役引退を発表。
 引退のコメントとして「野球という競技を世界的に発展させる」と語った。

https://www.rickvandenhurk.com/news-1/2022/4/22/retirement-professional-player


 オランダというとサッカーをイメージする方が多いのではなかろうか?バンデンハーク本人も、堂安律の所属するPSVアイントホーフェンの大ファンである。
 だが、世界的に見るとNederlandはメジャーリーガーも多く、野球も盛んな方だといえる。ただ、これは主にオランダが中近世で食ミンチとしたカリブ海の島国・キュラソー島🇨🇼からの輩出であり、本島出身の選手は非常に珍しい


https://toyokeizai.net/articles/-/41958?page=2


 というのも父親のウィムさんが欧州野球連盟の偉い人であり、リックもその影響を受けて野球少年になったと見られる。(余談ではあるが、呉念庭の父・呉復連氏も台湾の有名選手で、王柏融と併せて、パリーグTVの台湾での市場拡大に寄与している)
 ソフトバンクを戦力外となった吉村裕基に新たな移籍先として当国内のプロチームを薦めるなど、母国の野球を盛り上げるために活動している。(推薦したのは良いが、行ってみるとタダ働きだったと吉村は語っており、欧州のプロリーグ事情は決して充実しているとはいえない)

 バンデンハーク投手には今後も大いに野球というスポーツの魅了を発信していただいて、サッカーの本場であるオランダ、ひいてはヨーロッパ全体にこの素晴らしい球技を普及させてほしいものだ。


母国の誇りを胸に
KOM!OP!バン!デン!ハーク!


[トリビア]
 バンデンハークは、はるばるオランダから応援に駆け付けた家族と後日ハウステンボスに旅行しようと提案して、母親から「オランダから来たのに、なんでオランダっぽい所に行くの」とツッコまれて旅行地を柳川に変更している

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