写真2林監督特集上映ヨコ

ラ・ストラーダ「道」

 思いつくままに書いていたら、長くなってきてしまった。陽気で一生懸命、行動は予測不能、時に切なさも併せ持つ人たちが僕は好きなんだなって思う。
 さて、ヴェネツィアでの生活も気づけば残り半年足らず。徒然なるままに日暮らし歩き続け、煙草を吹かし、海をぼんやり眺めている日にも終わりが来る。しかし、道はまだ半ばにすぎない。そう、ここでの暮らしも、僕の映画人生も…。

でもだから、僕はここに来た。自分の映画の原点であるイタリアへ、何もしないことをする為に、ここに何としても来なければならなかった。普段僕らは気を付けないと、何かを実現する為の「意味のある経験」をしがちだ。やる前に自動的に解釈をし、優先順位を決め、それをこなす意識に支配される。映画監督だったら映画を撮るべきだと、そうなる。
 周りもそれを期待しているのかもしれない。もちろん結果として撮るかもしれないし、撮らないかもしれない。そんなの僕にも分からない。更に会社の経営者でもあるから、仕事をつくりお金も稼がねばならないのかもしれない。でも、今はそれを止めていたりする。

 思えば初めて8mmカメラを持って世界を覗き始めて、もう二回りもの時間が過ぎた。生涯で一本でいい、いつかニューシネマパラダイスの様な映画に「創る側」としてクレジットに名前を刻めたらと、そう思って歩み始めた道だ。
 2010年「ふるさとがえり」を撮る頃からだったろうか、それはいつかではなく、今から創るものは全て僕なりのニューシネマパラダイスにしようと決めた。それが時代の中でヒットするかどうかなんて考える余裕も無かったし、創り続けなければ、そこには辿り着けないと思えた。まして社会に役に立つのかどうかなんて分かるまでもない。

「これは道なのだと思った。道とは作為の所産ではなく、運命とも違い、自ずとあるものである。運命がどうにもならぬもの、生産を停止したカタチをとるのに対し、道は千変万化し、万物を産むチカラさえ備えている。運命を想うと怨恨が生じ、思想と行動が限定されてしまうが、道を想えば自在となる(香乱記)』秦の時代、斉王の末裔・田横の言葉だ。楚漢戦争の末期、覚悟を決めて放った彼の言葉がなぜか僕の頭をよぎった。

そして今日、イタリアで初めて行われる僕の映画特集のイベントタイトルが決まった「カルペ・ディエム(その日を掴め)」。

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