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ちちんぷいぷい

てんもん君がちちんぷいぷいしています。地震、病気、争い、火山噴火、太陽フレアを来ませんように。

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地鎮武威武威    地鎮武威武威

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私たちの遺伝子の中の昭和
『さっちん』荒木経惟著より

“最古の文明  シュメールの最終予言 秋山眞人著
行動計画書に記された真理
聖徳太子らが残したのは、シュメールの預言書であるとともに人類のための行動計画書であり、文化・文明を構築していくための、いろいろな知恵が書き込まれたエンサイクロペディアでもありました。それを基本にして聖徳太子は、憲法十七条を制定し、「和を以て貴しとなす」といった行動方針を明らかにしたのではないでしょうか。
その教えを知った人たちは、戦わないことが唯一勝つことであると知っていたのです。競い合わない、お互いの個性を受容し合う、認め合うーーこれが彼らの行動計画書です。それはキリストが説いた「愛」であり、釈迦が説いた「空」であり、日本では「和」という言葉デ表されている真理なのです。
それらは同根のものと私は見ています。それは戦わないという立ち位置です。それによって勝てるのだという知恵が日本には昔からありました。~~要は戦わないためにはどうしたらいいか、という方法論が書かれているのが、シュメールが残した行動計画書の内容なのです。
ただし「行動計画書」のなかには、「人とぶつかり合おうとすることは愚かしいことだ。ならば、人とぶつかり合おうとする、愚かな人たちを戦わせて儲けるシステムをつくればいいではないか」と解釈できる可能性を示す内容があったように思われます。
そういう世界を動かす行動計画ともいえる原型になる「マニュアル」がシュメールの時代からあったのです。そしてそれはいまだに生きている。その預言をうまくコントロールしている人たちがいるのです。
預言とは行動計画書であり、どうやって生き延びるかという知恵の集大成でもあります。これ自体には善悪はありません。それを悪用すれば、悪想念の集合無意識、ブラックドラゴンになり、人間を悪に走らせることになります。
ブラックドラゴンは、和することになんの力もないということを人々に示させます。愛にはなんの力もないのだ、瞑想し祈っても無駄だ、心に力はない、物資がすべてだ、と信じ込ませようとします。〜〜〜
人類の歴史を、個性的で創造的な人々による他を認め合うネットワークと、ブラックドラゴンという、戦って競い合って生きようとする「悪想念の結晶」とのせめぎ合いであると見ることもできます。
シュメールの行動計画書を原典として派生したのが、キリスト教では「黙示録」であり、その一部が聖書の「ヨハネの黙示録」になったと私は考えます。『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」には明確にシュメール預言のエッセンスの最も重要なことが書かれています。それらは最初、シュメールの人々から語り継がれてきたものでもあったわけです。それと同等、あるいはそれ以上のものが、日本では『未来記』『未然記』です。”

(✷‿✷)  行動計画書という表現を、秋山氏はあえてしていると思われます。まさに“アジェンダ”という言葉がダボス会議や世界経済フォーラムなどの世界支配層の会議で発表されている現状への鋭い分析とオブラートに包まれた究極の批判です。特に、人と争わず、人を相互に争わせて儲けるというやり方は、この数千年、ユダヤ民族が密かに究めてきた民族戦略であり、地球上が閉じられた金魚鉢になり、支配構造が完成した為に、隠す必要が無くなって、メディア戦略に露出されています。表層にはまだインビジブルな地下と宇宙の科学技術インフラと人類洗脳操作電磁波兵器体系が、AIによって24時間365日運用されている為に、もはや逆らえる国も軍もなく、露骨に人類に様々なものを埋め込み、家畜化し始めたわけです。しかし最近は、ブラックドラゴンと秋山氏が名付けた超自然存在を超える、超自然そのものからの介入も現れてきたようです。全く未知なタイプの太陽黒点活動の出現。なぜならシュメールに預言書を託した宇宙的超知性体の意図に到達できない人類の獣性暴走が始まったからです。その場合、マハーバーラタのような核戦争による人類制裁かノアの洪水のような地上そのものの一掃なのか。今回はどうやら太陽フレアによる電磁技術インフラ一掃となりそうです。数年前に確かNASAの撮影した惑星よりも巨大なソーラークルーザーが太陽に何かしている画像が取り上げられていたと記憶します。
人を争わせて儲けるという知恵はたいへんに浅はかなものです。謀略によって人々を争わせて相互に虐殺略奪をさせて、国、地域、民族を永劫に繰り返す地獄の苦しみに突き落とし、自分たちは災禍の外で繁栄することなど、ありえません。地獄をつくる地獄という、永劫に救われないカルマをつくりだすからです。シュメール由来の預言体系にはおそらく、カルマの苦しみとそこから離脱浮上するブッダの体系は“別のもの”であったと思われます。今存在している仏教徒たちには、実は信じられないほど重大な使命があるのかもしれません。数千年に一度の、徳と御加護の稼ぎ時なんですがね…。


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