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郷愁発電所・不謹慎な時間

35度超えで暴れる夏も9月手前までくれば心理的な脅威は半減する。台風も現れ、虫が鳴き始める。2010年代には平日の在来線はがらがらだった。ところがこの数年来、平日にも在来線が混むのだ。旅行者というより、よるべなき若者たちや生活空間から溢れ出た老人達や、もはや都会には出るつもりの無いまた都会から逃れてきた人々で、おそらく百キロくらいはみっしり混み合う。呆然と座って流れてゆく、ただただスマホゲームに埋没する。そんな異常に暑い晩夏に私も漂流している。二人席の通路側に太陽光をさけてぼんやりしていると、ある駅から30後半から40半ばくらいの女性が唯一空いているとなりの窓側席に、頭をさげてから座ってきた。私は彼女に不快な思いをさせないように十分に間をあけてあげた。誠に不謹慎だが、それでも彼女からは芳醇な“気”、エネルギーが乾いた土のような私に染み込んでくる。私はただただその豊潤な気を身体全体で吸っていた。私を叱らないでください。私は痴漢でも変態でもない、ただの初老の男。でも彼女のごく清楚なレモン色基調の衣服は私に、なぜか濃厚なワインを連想させた。女性によってはやはりワインのような清楚かつ芳醇なエキソソーム(細胞から分泌される10億分の1mくらいのの顆粒状物質)が多いが、まれに日本酒とか、ごくごくまれにブランデーの高貴な気を滲出しているレディーもいる感じと思う。遭遇したことはないが。ほんの数分のテイスティングタイムだが、彼女のエキソソーム(身体空気)を目を閉じて感じつつ、やさしく酸っぱい甘さを想像感受した。色なら明るい黄色がかったゴールドのスティルワインか。きっと女性サイドでも若いまた壮年の男性のエキソソームを座席でテイスティングして、ワインだソーダだ甘い辛いなどと感じているのだろう。そこから先は時の氏神様のご担当なので、私はこだわることなく、さっと席を離れたが。恋も愛も友情もエキソソームから始まる。きっと過去や郷愁のエキソソームもあるにちがいない。
(太陽の冠も牛の病だれ豆もエキソソームとなって世界に広がる。)


土地、太陽光、風、葡萄そして景観を愛する人間の血肉がワインのエキソソーム。


人間は肉体と霊魂からなる。霊魂は魂魄といって魂と魄からなる。この魄がより肉体に近いらしく、エキソソームを連想させる。人間と一口に言っても多次元にまたがる大宇宙の雛形なのだ。正道を外れて外道に堕ちないためには、肉体には異物を入れないことが一番重要だ。


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