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アウシュビッツ・フラクタル2. 参照:【アウシュビッツと私】早乙女勝元著。 参照:【伊勢白山道ブログ】 《私たち生者にはもう一つできることがある》

【アウシュビッツと私】                              “なつかしい父さん、母さん……                 青い空が全部紙で、世界中の海が全部インクだったとしても、ぼくの苦しみや、ぼくのまわりでみたことは、とても全部は書きつくせやしないくらいだよ。収容所は林の中の空地にあって、みんな朝早くから森の作業にかりだされる。ぼくの足は血だらけ、だって靴がないんだもん。一日じゅう働きつづけて、食べるものもなくて、夜は地べたにねるんだよ(マントもとりあげられちゃったんだ)。毎晩、よっぱらった兵隊がやってきちゃあ、ぼくたちを木の杖でなぐるんだ。ぼくの体も、なぐられたあざの痕でもう真黒だ、黒焦げの焼けぼっくいみたい。ときどき奴らが、生の人参か、砂糖きび一本ぐらいなげてよこすんだけど、口惜しくて、みじめで。ここじゃ、何か食べものの一かけらのために、みんななぐりあいなんだよ。おとといは、子供が二人逃げたんだ。そしたら、みんな一列に並ばされて、五人目ごとに銃殺されちゃった。ぼくは五人目にあたらなかったけど、でも、ぼくにはわかるんだ、ぼくももう、生きたまんまでここから出られやしないんだ。だから、みんなに、さよならだよ。やさしかったママ、大好きなパパ、それからかわいい妹たち、ぼくはもう涙がでて……。                     

ナチスに捕われた人びとの、死を目前に書き残した遺稿集ともいうべき『血で書かれた言葉』に収録されている1篇は、ポーランドの農民の子、一四歳の少年カイムの最後の手紙です。カイム少年がなんの理由もなく、他のユダヤ人とともに送りこまれた収容所はアウシュビッツではありませんが、鉄条網越しに投げられ、道に落ちて拾われた紙片には、囚人たちの悲痛な心情が、少年のみずみずしい感覚でにじんでいます。やがてカイムは虐殺され、「ぼくはもう涙がでて…」の後、永遠に空白なままの手紙は、まわりまわって両親のもとに届けられました。”


【伊勢白山道ブログ】2022.2.8                “ 悪魔は人の善意を悪用する

●アウシュビッツ(ビルケナウ)強制収容所に関わった元ナチス軍人の裁判ドキュメンタリーより。                                      ●人々の善意の悪用:町の中に隠れていたユダヤ人を集め、ウソの宣伝。可哀想なユダヤ人を救うために、食料も衛生環境もそろった職業訓練施設に集める。彼らを救うために必ず通報するか、強制的に集めよ、と。                                          ●強制収容所で大量殺人が行われていたことを、ほとんどの下級ナチス軍人は知らなかった。                                        ●収容所内では、ユダヤ人の中から特権階級者を選んで優遇し、その選ばれたユダヤ人たちに、同胞たちを“処分”させ、遺体処理までさせていた。(ゾンダー・コマンド)                                                        ●地球に刻まれた人類の因果:同じ国の中で同じ民族同士の中で、特別に選ばれた特権階級者だけを優遇し、陰でその特権階級者に“目的”を実行させる。●特権階級者同士には、情報を分断させて、個々には真実を教えない。●あえてナチスの軍人達には無数の遺体を見せないようにした。●大量殺戮は、その国の住民同士の中で、同じ民族同士の中で自主的におこなわれてゆくように洗脳。 ”   


(✷‿✷)今、世界中で、そして日本国内で、私たちのまわりで起きている事に似ていませんか?私たちがこの数年襲われている災禍と、かつてユダヤ人やポーランド人やロマの人々が絶滅収容所で受けたことは、相似形なのです。だからアウシュビッツ・フラクタルが今、世界を覆っているのです。数千万人の死者の意識の放つ苦しみと憎しみ、行き場のない怒り、絶望、悲しみがアウシュビッツの歴史を繰り返しているならば、私たち生者には、様々な物理的、社外的な手段の他に、もう一つやるべき事が、あるのではないでしょうか?まずはできるだけ多くの人々が、アウシュビッツを、もう一度隅から隅まで知る事です。祈る前に、涙し、声をかける事です。私たち生者の意識には、量子力学が証明したように、死者の意識に寄り添いともに慟哭し、ともに立ち上がるように、地獄を離れて再び人間としての心を取り戻すように彼らを復活させる、生死を超える愛の力が備わっているからです。

そして私たちは決して無知であってはならない状況下にいます。私たちは“ゾンダー・コマンド”になって、同胞を死に追いやる行為には加担してはなりません。

※画像は“アウシュビッツと私”から。右側の日本人が早乙女勝元氏。写真の少年はカイム君ではありません。

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