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【感想】NHK 歴史探偵「大坂の陣 真田信繁VS.徳川家康」を視聴しました

2023年12月6日(水)22:00~22:45 歴史探偵「大坂の陣 真田信繁VS.徳川家康」を視聴しました。

<始まる前に>
今日も大河ドラマの番宣ぽいです。
ちょっと多いね~~
しかもVRですか~テレビで見てる方はシラケるんですよね。

<NHKのあらすじ>
豊臣と徳川の最終決戦・大坂の陣。
VR・バーチャルリアリティーで再現!
真田信繁が大活躍した真田丸の戦いがよみがえる。
ナレーションは大河で千姫を演じる原菜乃華さん。


■VR大坂の陣 真田VS.徳川

●スタジオで
大坂の陣は、関ヶ原の戦いの15年後に起きました。
冬の陣は、徳川軍20万が、大坂城に籠城する豊臣軍10万を包囲します。
不利を覆すために真田丸を作ったのが真田信繁、VRで強さの秘密を調査しました

■真田丸の強さの秘密をVRで調査

『極秘諸国城図(真田丸)』
真田丸は黒く縁取られています。
絵図に寺と書かれ3件あります。

●心眼寺
・橋本博さん
「寺は真田丸の宿舎として使え、食事もできます」
既存の寺を使い効率よく真田丸を作り上げていました。
地形に関する手がかりも見つかります。
寺の北の端は、高さ5m以上あり敵も容易に登ることはできません。
黒い縁取りは崖でした。

■バーチャル空間に再現

・千田嘉博さん
【VRゴーグル】
大坂城の最上階から、伝説の真田丸が見えます。
徳川軍の視点でVR調査します。

●VR真田丸
【VRゴーグル】
その時、城壁の狭間と壁の上の二重から鉄砲で銃弾が撃ち込まれています。
徳川軍は驚きの作戦を実行します。
徳川軍の秘策、塹壕作戦です。
鉄砲、大砲の攻撃から守る溝を掘りました。
塹壕は、第一次世界大戦で世界各地で盛んに使われました。
真田丸はその先駆けといえる近代戦さながらの戦いだったのでした。
「築山」を築きます。
徳川軍の作戦は、正面からの射撃でひるませ、正面から一斉に攻めるというものです。
しかし、突撃がはじまりますが、強力な一撃が襲います。
そのヒントは、三人一組で銃を構える集団がいました。
・澤田平さん(鉄砲研究家)
「大狭間筒といわれ、専守防衛のための動かさず使う破壊力の強い鉄砲です」
鉄壁の防御と圧倒的射撃力を兼ね備えた無敵の要塞でした。

●スタジオで
千田嘉博さん「ちょこんとあるイメージでしたが、ものすごい要塞でした」
「真田信繁はほとんど実戦経験がなかった。父の昌幸が2度徳川軍を撃退した出城作戦の超有名人で、お父さんの戦い方を受け継いでいたのです」
佐藤所長「お父さん嬉しいでしょうねえ」
「どうする家康」撮影で使われた秘密兵器が徳川軍の大砲です。
イギリス、オランダから輸入しました。
「海外の情報をしれたり、コネクションを作っており、世界最新の兵器を取り寄せていました」

■新たな局面

イギリスでの大砲の実験です。
砲弾の速度は、秒速340m、分厚い木材を難なく破壊しました。
家康が狙ったのは、真田丸ではなく、大坂城の本丸、秀頼と淀君を直接狙いました。
秀頼と淀君は戦意喪失により、和平交渉がはじまりました。
慶長19年(1614年)12月20日、和睦が成立、堀の埋め立てで真田丸を取り壊すはずでした。
しかし、この和議に異議を唱えるものがいました。
豊臣軍の牢人たち、いわゆる失業武士達のことです。

●牢人たちの実態
大阪冬の陣のときの「陣小屋」の遺跡が見つかっています。
牢人たちの住まい、陣小屋です。
信繁は関ヶ原の戦いで西軍につき敗北、隠遁生活を送っていました。
信繁だけでなく、領地を失った牢人たちが続々大坂に集結、その数10万に膨れ上がっていました。

●竹流金
造幣博物館
・山崎さん
「竹流金」旧淀川でしじみ漁の漁師が発見したものです。
桐の紋の刻印が刻まれており、豊臣秀頼が給料として配ったのではないかと考えられています。
大名クラスの牢人には、広大ない領地が約束されました。
・フレデリック・クレインスさん(国際日本文化研究センター)
「真田などの武将はまた牢人に戻るので、もう一回自分の生活を立て直すということです」

●堺・焼き討ち
大坂城の堀を一部掘り返し、家康を挑発します。
さらに、堺の街を焼き討ちしました。
・相馬勇介さん
「堺の街がすべて焼き尽くされる大きな火事でした」
『元寛日記』「戦が無ければわれらは飢え死にしてしまう。ならば城に籠もり家康に一矢報いてみせる」
・フレデリックさん
「秀頼対家康というより、むしろ、家康対牢人の戦いといえるのではないでしょうか」

■慶長20年(1615年)4月大阪夏の陣開戦

和睦が崩壊し、大阪夏の陣が開戦、戦国最後の戦いが遂にはじまります。
●スタジオで
佐藤所長「戦わないと生きていけなくなる」
大坂牢人5人衆
真田信繁、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登、後藤基次
佐藤所長「関ヶ原で負けたのが敵討ちになったのですね」
千田さん「改易され、刃向かったので再就職も難しかったそうです」
真田信繁が手紙で、牢人暮らしで私は体力も気力も衰えてしまいましたと弱音を吐いていました。
千田さん「もう一回大名になれますといわれるとじゃあ秀頼の元に行こうとなります」
佐藤所長「ここで賭けずにどこで賭けるとなりますよね」
大きな問題は真田丸を埋め立ててしまったことです。

■一発逆転の作戦

●あべのハルカス展望台(大阪市阿倍野区)
天王寺エリア、ここで大阪夏の陣が起きた決戦地です。
大坂城から4km離れた茶臼山です。
豊臣軍5万、徳川軍15万、天王寺付近で最後の戦いが行われます。
一発逆転の秘策がありました。
それは徳川家康を討ち取ることです。
しかし、家康の周りには数万の大軍がいて、近づくことすらできません。

●信繁の本陣をVR調査
【VRゴーグル】
夏の陣当時の茶臼山からは徳川大軍が見渡せます。
茶臼山と徳川軍の間に広がる、大きな谷が形成されています。
深さ5m、茶臼山から2kmにわたり伸びています。
信繁は、自然の谷の地形を堀にしてお城のように戦おうとしていました。
谷に入り込んだ家康本陣に隙ができたところを一気に信繁が攻め込むという作戦です。
茶臼山につくった「馬出」こそ、信繁の秘策でした。
攻撃の要の場所である馬出はほとんど見えず、家康に気づかれずに襲うことができるのです。

■慶長20年(1615年)5月7日 茶臼山真田本陣

●夏の陣最終決戦
豊臣軍5万対徳川軍15万、大阪夏の陣最終決戦がはじまります。
決して、抜け駆けをしてはならない、家康を討つためには守りに徹する必要がありました。
ところが、一部の牢人が命令を無視して突撃、手柄を得る最後のチャンス、早る気持ちを押さえきれなかったのです。
谷に入り切る前に、戦いは始まってしまい、家康の前には大軍が残されていました。
家康本陣に隙が生じた千載一遇の好機、この一瞬にすべてをかけた信繁、家康の首を取りに突撃します。
家康は切腹を決意したと言います。
ところが、別の場所から徳川の援軍が駆けつけます。
真田信繁戦死。
大阪夏の陣、牢人たちの生き残りを賭けた戦いは、こうして幕を閉じたのです。

●スタジオで
佐藤所長「信繁、最後まで諦めませんでしたね」
千田さん「勝ち目がないと説明されていましたが、VRで見ると非常に的確な戦い方でした」
江戸時代に流行した”わらべうた”が残っています。
「花のようなる秀頼様を鬼のようなる真田が連れて退きも退いたり加護島へ」
千田さん「牢人たちが一掃されたので平和な江戸時代が訪れました」

ーーーおわりーーー

次回は「江戸の天才 平賀源内」12月13日(水)放送です。

■感想

「判官贔屓」という言葉がぴったりなのが真田信繁だと感じました。
大河ドラマ「真田丸」も人気あったらしいので、判官贔屓と合わさっての評価なんでしょう。
だけど、同じ「義経」が人気イマイチだったので、脚本や配役も重要ということなのかもしれないです。
今後の大河ドラマには、「ジャ◯タレ」が出てこなくなるので、そこは大丈夫そうですが。。。たぶん
真田信繁という人物を真田幸村といったり、やはり本来、名前もわからないような素性の知れない神秘的な人物が、強い徳川に歯向かった人物として、江戸時代に流行したということで、人物像が膨れ上がっていったという典型ですね。
実は最近まで、里見八犬伝の里見と真田幸村を、混同しておりましたことをお詫びいたしますとともに、VRゴリ押しの番組は止めていただきたいと思った今日このごろでした。


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