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【感想】NHKスペシャル「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」

2024年3月17日(日)21時 「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」を視聴しました

<始まる前に>
NHKスペシャルが古代史を扱うのは珍しいですね。
卑弥呼なので、どう描くのか、大変楽しみです。

<NHKのあらすじ>
私たちの国のルーツを解き明かす壮大なミステリー!
古代史の空白に迫るシリーズ第1弾。
謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?
発掘調査と最新科学が突き止めた新事実を紹介。
人骨やDNA分析から見えてきた激動の東アジア。
「三国志」に秘められた卑弥呼のグローバル戦略とは?
最強の宿敵・狗奴国とのし烈な争いの結末は?
未知の古墳のAI調査や大規模実験で徹底検証!
日本の歴史を変えた卑弥呼の波乱万丈のドラマを描く!


■プロローグ

古代史にまつわる大発見が続いています。

■謎の女王 卑弥呼

●歴史ミュージアム
歴史ミュージアムに来館者(原菜乃華)がやって来ました。
歴史ミュージアム司書(シシド・カフカ)が応対します。
国のルーツを調べるという授業の課題です。
館長(前川泰之)が加わります。
3世紀は歴史的転換点を迎えていた、そのキーパーソンが卑弥呼です。
・卑弥呼
魏志倭人伝に登場する卑弥呼は謎に包まれています。
距離や方角の解釈が様々で一説によると海の中にあることに。
・外交戦略
親魏倭王の称号を得たどのように大国と渡り合ったのか?
・卑弥呼とヤマト王権とのつながり
文字の記録が残されていないので、手がかりが少ないのです
でも、最新の研究で明らかになってきています。

■邪馬台国はどこにあるのか?

有力な説とされているのが九州説と近畿説

■九州説

吉野ケ里遺跡(佐賀)国内最大規模です。
10年ぶりの発掘調査で現れたのは石棺墓です。
研究者は棺の蓋に目を奪われました、無数の線刻は宗教儀式との関連が指摘されています。
「鬼道」呪術の一つ、巫女として政治を司ったとされています。
●卑弥呼
この国はいったいどうなるのか?
中国では道教が鬼道とよばれ、同じような儀式をしていたとも言われています。
・七田忠昭さん(吉野ケ里遺跡 委員長)
「卑弥呼の時代の墳墓が見つかったのは成果です」

■近畿説

纏向遺跡200回を超える発掘調査、巨大な都市が築かれていたことが判明しています。
そこに住む権力者が卑弥呼でしょうか?
核心に迫る研究が始まっています。
・中塚武さん(名古屋大学)
精密な年代測定法を開発、木材の年代を測定することで卑弥呼とのつながりを探ります。

●239年親魏倭王
纏向遺跡の木材の年代が近ければここに卑弥呼がいた可能性が高まります。
炭素同位体比を調べることで気候データを調査してきました。
年輪数が30年以上あったら年代が決められる可能性があります。
纏向から出てきた木材の中で30年に達するものは1点しかなかったのです。
変動パターンにぴったりあいました。
一致したのは三世紀、木材を伐採したのは231年です。
卑弥呼が生きていた時代と一致します。
もし纏向が邪馬台国の本拠地だったらどこに墓を造ったのでしょうか。
箸墓古墳は、巨大な前方後円墳です。
魏志倭人伝によると大きく盛り上がった墓に埋葬され247年かその前後に亡くなったとあります。
箸墓古墳は、240から260年に築造されたと想定されています。
・福永伸哉(大阪大学)
250年前後で葬送しないといけない人物は一人で卑弥呼が可能性があります。

■歴史ミュージアム
質問「巫女のイメージがあるけど、呪いで国を治めることができるのでしょうか」
新しいことが分かってきているのです。
倭国は小国に分かれ、それぞれに王がいたことが分かっています。
共立されたのが卑弥呼です。

■なぜ卑弥呼を擁立することになったのでしょうか?

●青谷上寺地遺跡
各地で力をふるった王たちなぜ女王を擁立することになったのか?
鳥取青谷上寺地遺跡
上の奥歯が発掘されました。
人骨は埋葬されることなく
・濱田竜彦さん(鳥取県)
顎の骨は刃物でつけられたと見られる傷跡が、骨盤を貫く、金属の鏃。
各地で見つかっています。
大きな騒乱があったことが浮かび上がってきました。
争いの原因の一つが気候変動です。
激しく上下するグラフ干ばつと洪水など異常気象が頻発していた可能性が。
食料を巡る争いがおきていたのではないかと考えられています。
騒乱、危機を打開することが各地の王に求められました。
その時生まれたのが邪馬台国連合
勢力範囲は日本列島の西側に広がっていたものと云われています。
・寺沢薫さん(桜井市巻向学研究センター)

●諸国の争い
女王となった卑弥呼、戦いが始まります。
卑弥呼は祭り上げられた立場、まとめるのは容易ではありません。
大きな試練が狗奴国、長い闘いになりそうです。
魏志倭人伝に記されているのが宿敵「狗奴国」です。
考古学的研究から分かり始めています。
●前方後方墳
前方後方墳は狗奴国の墓と見られています。
東之宮古墳(愛知県)
狗奴国の勢力範囲は、東側に広がっていたとも言われています。
・赤塚次郎さん(名古屋経済大学)
狗奴国の一つの候補になる
あいち朝日遺跡ミュージアム
鮮やかな赤色の「パレススタイル土器」
入墨をした人物が描かれた「人面文壺型土器」(安城市歴史博物館)

狗奴国の王・ヒミココ(卑弥弓呼)
日本列島に巻き起こる騒乱、卑弥呼は難局をどう乗り越えていくのでしょうか

■歴史ミュージアム
小さな国が集まってできた邪馬台国連合、ユニークな形のお墓を造っていた
双方中円墳、四隅突出型墳丘墓など
これらの古墳を組み合わせてできたのが前方後円墳だと言われています。
最大のライバル狗奴国は前方後方墳がシンボル。
手がかりは「魏志倭人伝」の親魏倭王ということばに注目します。

■グローバル戦略

東アジアで大変動があったことが最新研究で分かってきました。
・神澤秀明さん(国立科学博物館)
青谷上寺地遺跡の人骨から思わぬ発見がありました。
渡来系の遺伝要素がかなり濃く受け継がれています。
青谷上寺地遺跡は縄文と中国人の間にあり、DNAの近縁性が見られます。
海を越えて混血したことを示しています。
世界と深くつながっていたことが分かってきました。
中国の戦乱漢の三国志の時代、難民が大量にいました。
・王勇さん(浙江大学)
中国で混乱が起きたとき、難民は東側に移動するのです。
神話では蓬莱という理想郷があると信じられていました。
朝鮮半島経由で倭国にたどり着いたのです。
大陸から鉄などが持ち込まれ、最新の武器が作られたのです。
それまで、石の矢じりが主流でした
鉄の矢じりは金属の板を貫通しました。
大陸から最新の武器が輸入され、卑弥呼と狗奴国の争いは熾烈を極めたと言われています。
このまま狗奴国との争いが続いたら、ますます民は飢え、国は荒れる
卑弥呼は新たな策を打ち出します。
魏に使者を送り、皇帝が後ろ盾になれば王たちの不満は消える。

●魏との交渉
魏は曹操が礎を築いた大国です。
強大な軍隊を誇っていました。
漢魏洛陽城、2300km離れた土地に使者を送っていました。
魏は桁違いの大国、どうやって親魏倭王の称号を得たのでしょうか。
「三国志」
・戴燕さん(復旦大学)
魏呉蜀の対立関係を巧みに利用したと考えています。
海陽市の研究が進む中、中国と倭国の密接な関係が明らかになっています。
海上における覇権争いです。
呉を率いた孫権が鍵を握りました。
雪壁の戦いで打ち破るなど勢力を拡大していました。
「三国志呉書」232年、孫権は魏の領海へ軍を派遣する計画が記されていました。
補給基地が必要で、倭国に接近したと考えられています。
朝鮮半島を足場に接触してたと考えられます。
呉の鏡が日本列島から出土しています。
兵庫安倉高塚古墳出土の呉の鏡(対置式神獣鏡)です。
魏との交渉の突破口だと考えられています。

●魏 洛陽城で
呉の背後を撃ち、挟み撃ちにできるのは我が国のみ。
「理にかなっている」
呉と倭国が手を結べば不利な状況になり、逆に手を結べば牽制することも可能です。
魏の摂政「親魏倭王となす」
そして金印を贈られました。

●倭国
「皇帝は私を選んだのだ、王と認めたのだ」
皆がまとまりました。
卑弥呼は魏と呉と倭国のパワーバランスを利用し、魏から破格の支援を引き出すことに成功しました。
優れた外交力を持っていたのです。

■歴史ミュージアム
残念ながらそうとは行かなかった、狗奴国との争いは止まりませんでした。
魏志倭人伝にも書かれておらず謎に包まれています。
しかし、日本列島は一つにまとまっていくことになる。

■狗奴国との争いの行方

前方後円墳に手がかりがありました。
奈良文化財研究所

●AIで古墳の分布を調査
AI人工知能を用い古墳の分布を調べます。
地形データを分析することで、前方後円墳を探し出すことが可能です。
高田祐一(奈良文化財研究所)
勢力の広がりがより詳細にわかってくるのではないかと思います。
東北地方の大安場古墳
前方後方墳が多く作られていました。
AIはその場所に多数の前方後円墳の候補を示しました。
実地調査に向かいます。

●福島県小野町
3次元スキャナを用いてさらに細かい地面の凹凸を調査します。
・橋本博文さん(新潟大学)
・菊池芳朗さん(福島大学)
未知の前方後円墳である可能性が見えてきました。
前方後方墳が築かれてきた東海や東北に前方後円墳が4世紀、増えていくことが分かりました。
・赤塚次郎さん
「一つの画期になる」
狗奴国との争い、前方後円墳の勢力が圧倒していくことになりました。
見え案を分けたのは何か?

●箸墓古墳
土木考古学の青木敬(國學院大學)
巨大で堅牢な古墳を作る技術はそれまでの日本列島では見られないものでした。
中国からの人材技術的な指導とか供与がなければ作れなかったのではないか考えられます。
魏洛陽城では、盛土という技術が用いられていました。

■盛土技術を検証
鉄球を3mの高さから落とし、強度を調べます。
一種類の土では崩れますが、盛土はその姿をとどめました。
悪天候を再現、水での耐久性を調べました。
水害が多発したと言われています。
盛土は水に強い層と水はけの良い層を重ねることで倒壊を免れていました。
水害に強い土木技術を持っていれば、勢力を拡大するうえで有利に働いたでしょう。
技術を供与してもらい、助けを求める関係があり、支配力を強化していったとみられます。

■卑弥呼の死

卑弥呼は3世紀半ばに亡くなります。
死後この国を治めたのはヤマト王権
大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)
歴代の王たちは前方後円墳に葬られました。
卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳も前方後円墳です。
寺沢薫さん
「前方後円墳と卑弥呼はイコールなんです」
ヤマト王権の最初の王ということになります。

■歴史ミュージアム
「王たちをまとめ、外構にも力を入れ、国の礎を築くのに苦労したのだ」(卑弥呼)

■新たな発見


100万以上の道鏡があったことがわかりました。
金属を加工し量産する技術がありました。
技術革新をなしとげたヤマト王権それを牽引していったのが倭の五王と言われるリーダーでした・
韓国で日本の前方後円墳を発見

-----おわり-----

第二回「ヤマト王権 空白の世紀」2024年4月24日放送です。

■感想

今回NHKスペシャルを観ての感想。
すごい、邪馬台国の全貌が明らかになった!
といえるはずもなく、もやもや感だけが残る結果となりました。
なんせ、2000字程度の魏志倭人伝では、全貌が分かるはずもなく、中国の研究も入れて何か分かったかのように装う番組でした。
青谷上寺地遺跡で矢じりが刺さった骨が見つかり渡来系だったというのはすごい発見ですが、それが倭国大乱にどう結びつくのか、イマイチわかりませんでした。
アジアからやって来た渡来人は日本に同化していったのというのが定説です。
騎馬民族襲来説は否定されています。
出雲と因幡の争いなのか、越勢力との争いなのか、想像するとおもしろいものがありますが、倭国大乱と結びつけた根拠が曖昧です。
狗奴国との争いにしても、どこにあったのかまったく解説されていませんので、イメージが膨らみません。
場所に触れると邪馬台国の場所問題になってきて厄介なので、敢えて触れなかったんでしょうけど。
なので、唐突に東北地方の前方後円墳とか言われても、理解不能です。
そして極めつけが、親魏倭王の話。
軍事的な同盟関係を結ぶために親魏倭王を得たというのはどうなんでしょう。
さすがに、無理があります。
現代感覚で歴史を捉えるとこうなるということでしょうか。
このような軍事同盟を結ぶほどの国なら、魏志倭人伝も書き直さなきゃね、という感じです。
なんせ、魏志倭人伝であり三国志の0.5%の記述であり、倭国伝でもありませんから。
魏の陳寿が倭国のことを人伝に編集したのと同じように、NHKの編集者も邪馬台国のことをよくわからず編集したのでしょうね。
ということで、私も邪馬台国と卑弥呼のことを動画にしていますのでぜひご覧ください。


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