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大いなる”無駄”が未来を作る

鉄分多めの僕がついつい話題に乗っかりたくなる京葉線の話題。
今日はクリスマス明けの1日なので、自分の趣味でお話させてくださいな(笑)。

似たような話でいえば、もう何十年も前、阪急宝塚線で各駅停車が全て途中駅止まりになった時にも反対意見もあったけど、当時はSNS等は無かったので予定通りにダイヤ改正が行われた。
それが当たり前になった今は、それまで15分に1本だった急行が10分に1本運行になり、途中駅から宝塚まで行く人は少し面倒だけど結果的に利便性は向上している気がする。

京葉線も、各停のみだった駅の利用者急増や、イオンモール直結の新駅が開業したりと、京葉線開業当初とは異なる環境になってきた以上、JRが”輸送力増強”と”効率的なダイヤ編成”を考えたんじゃないかな。開業当初に快速運転を見越して待避線のある駅を多く設置したりしていたら良かったんだろうけど、首都圏で1990年に全線開業した頃の用地買収もそう簡単じゃなかっただろうし。

当時は大いなる無駄だったもの

日本一長い複々線区間を持っているJR西日本の草津〜西明石間。
国鉄時代の大いなる無駄とも言える状態だったものがJRになってからは非常に効率的なダイヤ編成ができる宝物のような存在になった。

 開業当時の地下鉄御堂筋線の豪華な駅舎や長過ぎるホームは、当時は無駄だと散々言われたけど、結果的には最小限の延長工事で10両編成の運転ができたり、広々としたホームは乗客が増えた現在でもほぼ当時のまま利用されている。

ムダを愛せる社会になると未来は楽しい

ITやインターネットは、デジタル化できない部分を削ぎ落として僕達の社会を便利で過ごしやすくしてくれているのは事実。
でも、人間には、”アホな事をいくらでも想像できる”という強力な武器がある(笑)。

今はムダかも知れないけど、未来には子供達がそのムダを活かして素敵な社会を作ってくれるかも知れない。ムダや余裕のない息苦しい社会はロボットや機械なら居心地いいかも知れないけど、人間にはちょっと暮らしづらい。

SNSやITのせいでみんなが評論家になりがちだけど、そんなのは一部の人たちに任せておいて、僕達は大いなるムダを楽しめるぐらいの余裕のある存在になるべき時代がやってきたんじゃないか、と思う。

息苦しさを増すためのIT化は放っておいていいよ、もう。ほんとに。


別の方も似たようなnote書いてました(汗)。


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