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【辛口】美術評論に対して思う事

今回は美術評論に関して感じること

正直一般の人には分かりづらい内容と思います。
そういう意味では内輪ネタになります。
あらかじめご了承おねがいします。


評論は表現?

まずは結論から。

美術評論をしている人は
正直自分の目からは
自己表現」になってしまってる事が
多いように見えます。

何が問題かって?

自分が思うのは
美術評論と言うのは
架け橋
だと思うのですよ。

表現するものと、
それを楽しみたい人の
真ん中に立って、
ちょっと意味が分からない美術作品を
専門知識を持たない一般人でも
興味関心を持てるように
翻訳すること。

これこそが
美術評論家の
存在意義
だと思うのです。

現実は違う

しかし現実は違うように見えるのです。

美術作家と同じように、
美術評論家も
自己実現や、自己表現に
固執しているように見える
のです。

本来はある意味翻訳家であってほしいのに
センズリ満載になっているように
自分には見えるのです。
下品ですいません。

それを証拠に
美術評論家の書いた文面て
イマイチ分かりづらいことが
多い
ように見えるのです。
自己陶酔が過ぎると言うべきか。

そんな現実が、
個人的には
なんかちょっと悲しいのです。

表現したいのであれば

もしね?
美術評論を生業にしている方々が
「自分を表現したい」と思うのであれば
評論ではなく、
表現者を志ざせばいいのだと思うのです。

それは美術作家でもいいし、
小説家でもいいし、
映画や漫画の原作者でもいいのかもしれない。

なのになぜ評論?
もし評論を志すのであれば、
表現では無く、
評論に徹してほしいのです。
架け橋に徹してほしいのです

今回はそんな個人的な戯言でした。

また次回。


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早川剛の主に現代日本画
早川剛の主に現代日本画


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