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下心と無意識の涙。劇場版HF2章のアーチャーとこじらせた女オタクの心の中

劇場版HF2章のネタバレがあります。こじらせた女オタクが書いてます。性癖丸出しです。いろいろとご注意ください。

もう各所で語っているけど、私はアーチャーが好きだ。好きというか、相当こじらせている。

友人にも士郎についてはあんなに言語化しようとするのに、アーチャーになると途端に歯切れが悪くなる」と言われてしまった。

私としては士郎の理解を通してアーチャーを語っているつもりなのだけど、確かにアーチャー本人についてだけ語ることはほとんどない。悔しいけど友人の言うことはその通りだ。

だから、悔しいので、言語化を頑張ろうと思う。
士郎の記事に比べてあまりに感情的なので読みにくいと思う。

この記事は劇場版HF2章公開を受けて一部キャラについて考察を書いているうちの一つになります。その他の感想・考察記事は下記マガジンをご覧ください。他記事はこの記事より真面目です

もはや芸と化したこじらせっぷり

自分でもどうかと思うし、自分の反応に思わず笑ってしまうのだけど、相当気持ち悪いこじらせ方をしている。たとえば「好きすぎて直視できない」「公式からの供給に萌えながらキレる」という重篤な症状を抱えている。

ufotable cafeのランダムミニ色紙で運良くアーチャーが当たってしまった時、変な声が出た上、直視できなくて即裏返しに床に投げた。この反応はコントロールできるものではなくて、旦那が不意打ち的にアーチャーのイラストを見せてくると「は、あ、な、え???」と訳の分からない声を出すし、衛宮ごはん11話ではあのありさまだった。幸い、旦那と友人は私のこじらせ芸を面白がってくれるので、大変ありがたい。いつも世話をかけてすまない。

でも、みんな好きな人と面と向かうと緊張するでしょ……?それと同じダヨ。そういうことにしておいて。まあ、面と向かってないけど。目の前にいないけど。でも心の中じゃ面と向かってるんだよ。わかってください。

もう一度言うけど、私はアーチャーをこじらせている。いくらなんでもこじらせすぎだろうっていうくらいこじらせている。なんでこうなったのかはもう思い出せない。一言で言うなら「好き」なんだけど、別にかっこいい所だけが好きなわけじゃない。だから、素直に好きと言うのもなんだか悔しい。

だから素直にアーチャーに対して「かっこいいよね」「好き」って言えたり、劇場版HFのアーチャーの結末に、素直に号泣できる人が正直ちょっと羨ましい。

けれど今回、劇場版HF2章を観て、自分で思っていた以上にこじらせているというか、私ってやっぱりアーチャーが好きなんだ、と実感せざるを得なくなったので、複雑な心境の整理のためにも吐き出させてほしい。

頑張って言語化するぞ。(すでに吐きそう)

劇場版のアーチャーかっこよかったよね

私怨を優先しなくなったアーチャーは、行動がシンプルでかっこいい。回りくどさがなくなった。また自分が選べなかった選択肢を選んだ士郎はアーチャーにとっては抹殺対象ではなくなるので、少しお節介というか優しさすらある。まあ士郎のことぶん投げるけど。

そして今回のアーチャーはやたらとイリヤに視線を送る。士郎とイリヤの関係を思えば、アーチャーがイリヤが義理の家族だということを知っていてもおかしくないし、実際イリヤルート的な描写はかなりカットされたから、外堀を埋める意味もあったんだろう。

また、凛と共に戦い、凛を守るアーチャーは本当にかっこよかった。真アサシンと戦う動きはさすが三浦監督だし、UBWアニメでアーチャー好きになった身としては、あのアーチャーの動きは私に馴染むものだった。本当に、かっこよかった。ツイッターでプロレス技はルヴィア仕込みという考察を読んで笑った。

熾天覆う七つの円環ロー・アイアスだって、原作にはなかったけど、原作の結末から逆算すれば最高の改変だし、UBWよりも派手で花弁が大きく、魔力全開、捨て身の投影だという事が表現されていて、あまりにもかっこよかった。でもだからこそ、その後の絶望がしんどかった。無情にも影の魔力にどんどん侵食されていく。最高の守りという概念も、虚数属性の前では無意味だ。

最期の「達者でな、遠坂」も、前髪が下りるところまでは予想してたけど、表情が予想の何倍も士郎で、撫で方も優しすぎて、あまりにも辛かった。腕を切り落とす描写も原作にはなかったから、自分で切り落とすシーンはあまりにしんどかった。(すでに語彙を失いつつある)

三浦監督のパンフでの「彼の最期を見届けられてよかった」みたいなコメントにも泣いた。三浦監督、アーチャーの最期をかっこよく描いてくれて本当にありがとう。

ヘラヘラ笑っているように見えて、思いのほか重症だった

しんどい、しんどいと言いつつも、号泣するほどじゃ……ああ、いや、どうだったかな。声上げて泣きそうだった気がする。どうしよう、記憶が曖昧だ。

いや、でも、そんな中でやっぱり冷静に観ている自分もいた。知っていた展開だったし。アーチャーはたしかにこのお話では消えてしまったけど、何回も観に行けるし、原作プレイ済みだし、また別の作品でも会えるし……なんて余裕ぶっていた私は、アーチャーの死を、受け入れられていると、思っていた。

けれど、劇場版を観た翌々日の朝、アーチャーのことをふと思い出してしまい、気づくと目から涙がこぼれていた。ほとんど無意識だった。

「みんな感情揺さぶられてんなあ。新鮮な悲鳴で酒が美味い。そんなに素直に泣けるの羨ましいわ」と、外道神父よろしく愉悦ムーブ決め込んでたけど、素直に泣けない方が、ずっとずっと重症じゃないのか……?

ぶっちゃけ、めっちゃ興奮した

とはいえ、やっぱり下心でも観ていた。

アーチャーをかっこいいと思って素直に見ている人には本当に申し訳ないと思っているんだけど、アーチャーが出るたびにやましい目で見ていた。

私には、好きなキャラの死に様に興奮するという業の深い性癖がある。おそらく、絶望的な状況での足掻きや、死ぬ間際に剥き出しになる感情や命の輝きとかが好きなのかもしれない。とかキレイなこと言いつつ、ボロボロになっていく様に言い知れぬ興奮を覚えるのは事実だ。何の文脈もないグロ描写や四肢欠損はピクリとも来ないが、ストーリーが絡むと異様に興奮する。

そしてなぜか劇場版HFには、推しの身体の中身を見ると興奮するという謎の性癖も開拓されてしまった。別にグロ好きじゃないのに。よりキャラをリアルに感じられるからなのか……?

ここから先は性癖全開の語りなので興味ない方、グロ耐性ない方は次の見出しまで読み飛ばしてください。

まず、石化の魔眼を受けてアーチャーが真っ先に石化するんだけど、アーチャーの血管の中が見れるんだよね。「サーヴァントに赤血球あんのかよ!」と内心ツッコみつつも、ものすごく萌えてしまった。エロさすら感じた。いや、そういう演出だってわかってる。でもまさか、生きてて推しの赤血球見れると思わなかった。

ちなみに第1章でも「グロいなあ、痛いなあ」と思いつつも、士郎の腹からこぼれる臓物と、ランサーの肋骨と心臓に見入ってしまった。規制の緩い劇場版は最高だな。原画集でランサーの心臓の原画に赤字で「脂肪」って指示書きを見た時、あまりのリアルな描き込みに「神か」と思った。ufotable本当ありがとう。別にグロ好きとかじゃないんだけど、何故か推しの内容物には興奮するし食い入るように見てしまう。

もちろん、アーチャーが影に刺されてポイってされたり、お腹貫かれたり、抵抗しながらもボロボロになっていくのも最高に興奮した。泥の川にズブズブ沈んでもがくところも。熾天覆う七つの円環ロー・アイアス詠唱の最中に画面左下のお腹をかき混ぜる触手から目が離せなかったし、影に侵食される絶望感にも、泣きながら萌えていた。

そして影は去り、なんとか生き延びたアーチャーが今までのアニメで一番満身創痍で、ものすごく萌えた。赤原礼装はほとんどちぎれてなくなっている。露出度が上がったことで二の腕にも興奮した。そしてハイパーしんどい自分で腕切り落とすシーンでは「えっ、自分で切り落とすの!?こんな描写原作にはなかったよね!?え??ちょ、心の準備が!!無理、しんどい」と思いつつ、干将を肩に当てた時に滲み出てくるその血を舐めたいと思ってしまった。

「正気ですか?」

正気じゃないです。

悲しみから目をそらすためにやましいことを考えていたのではないか

こんなに興奮していたのに、翌々日は無意識に涙をこぼした。私にとっては士郎があまりにも人間らしかった事のインパクトの方が強すぎて、上映翌日はずっと士郎の事を考えていたから、アーチャーに思考が及んだのが翌々日だったのもある。

しかし涙は出れど、どう考えてもアーチャーに対してはやましい方の感想ばかりが浮かぶのだ。しかし同時に心の奥では何かが疼いて苦しかった。いつもなら「アホなオタク」と自嘲するのに、その時はやや自己嫌悪もあった。そしてある仮定にたどり着いてしまった。

「もしかして、私はアーチャーの死を受け入れられなくて、防衛反応として変態方面に気持ちを持って行っているんじゃないか?」

上映初日、私は舞台挨拶のため3回もあのハイカロリーな映画を観た。思えば、2回目観たときには、ちぎれて短くなった腰布を「ミニスカに見える」とかわけのわからないことを考えてた。アーチャーが詠唱するとき、あえてお腹の方の触手ばかり見ていた。

強制的に3回も推しの死に様をハイカロリーで叩きつけられた。2回目以降はやましいことばかり考えていたのは私が変態なだけかと思っていたけど、もしかしたら私の心の中の「アーチャーしんどい」部分が、1回目ですでに処理落ちするほどのダメージを食らっていたのではないか。

(そういえば2回見たあとコンビニで「弔い……」と呟きながらオムライスおにぎりを買ってたのを今思い出した)

私はダメージを受けていないのではなく、ダメージから心を守るために、下心に逃げていたとしたら。そんなの「アーチャーが好きすぎて苦しい」という何よりの証拠じゃないか。

もう一度観て確かめる必要がある

私はたまに、自分がアーチャーが好きかわからなくなる。もはやこじらせは芸風と化してるし、自分よりも素直な気持ちでアーチャーが好きな人を見ると、素直にそう思えない自分を省みて、自信がなくなる。だって「かっこいい、尊い」と言われると「そうか??」と思ってしまうから。

確かにかっこいいと思うけど、それ以上に私は、「めんどくせえやつだな」って思う。ひねくれてて、可愛げがなくて、不器用で、自分の事しか興味がなくて、初恋こじらせてて、罪悪感に囚われてて。あまりに救えない。うんざりする。そんなアーチャーを見ててイライラしたりモヤモヤしたり、なんとも言えない感情になる。

それでも私はアーチャーが好きだ。今回のことで思い知った。でも、驚いた。自分の屈折ぶりが想像以上で。

この屈折した感情を頑張って正しい形に戻すには多分ものすごい痛みと恥ずかしさを伴うと思う。でも、私はやっぱりアーチャーが好きだから、あれだけかっこよかった、命を賭して戦った彼のためにも、私は真正面から、勇気を出して、彼の勇姿を見つめなくてはいけない。心のやわらかい部分の痛みに耐えて、素直に泣いて、ちゃんと彼の最期を受け止めなくてはいけない。多分そうしないと、アーチャー好きを名乗ることを自分に許せないし、何より私が、前に進めないから。


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