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意外すぎる土星のメッセージ

占星術においての土星といえば、「試練の星」。
キーワードを調べてみても厳格さ、抑制、権威……なんて重苦しいキーワードが並ぶ。

その人にとって成長が必要な部分に抑制をかけるため、そのサインやハウスのテーマに苦手意識やコンプレックスをもたらす。

だから、自分の土星星座について学ぶ時、多くの人はネガティブな感覚が浮かぶと思う。占星術を学ぶ過程で、土星という天体に一度も苦手意識を持った事がない人は少ないんじゃないだろうか。

私も以前はそうだった。しかし、最近土星の本当の意図に気づき、生きるのがだいぶ楽になったので、自分の例を上げながら、土星の本質について掘り下げてみようと思う。

私のネイタル土星について

私の土星サインは山羊座。

教科書通りに解釈すれば、私にとっての課題は「社会の中で責任を果たすこと」であり、もっと言えば、1室にあるので「自分すらも戦略的に使っていくこと」だと思っていた。

しかし今の私は、社会で責任を果たせているとは言い難い。

2014年頃に体調を崩して会社員をやめて以来、再就職できていない。
前職のコネで下請けとして在宅ワークを数年していたが、結局それも体調が悪くなり、2020年に手放してしまった。

同じ時期、社会復帰の一歩と思って始めたアルバイトも、身体が先に悲鳴を上げて、半年でやめた。

自分の資質を活かせる仕事をと思い、いろいろ葛藤した上で、なんとか占い師という看板を掲げてサービスを始めた。幸いそれは3年目を迎えたが、それ一本で食って行けるほどにはならず、かと言って集客のための宣伝活動には積極的になれないでいる。

今の私は土星先生の課題に全然向き合えていない。だからもっと自分の資質を伸ばして、一日も早く社会に復帰するために頑張らなきゃいけない。

ずっとそう思っていた。

そのために潜在意識の浄化と書き換えはずっと続けていたし、身体を治すためにあらゆる治療法を試して頑張ってきた。

しかし、どうやら私は土星先生の意図を勘違いしていたらしい。
というか、自分が出来ていない方向ばかり向いて自責する事こそ、土星から逃げる行為だった。

この1年ほどで、私が取り組むべき本当の課題に、あらゆる角度から気付かされた。そして、土星先生の真意にもちゃんと気付いた。

しかし、それはあまりにも意外で、俄には信じがたいものだった。

最初に「あれ、私の土星の課題って社会復帰じゃないの……?」と薄々思いはじめたのは、2022年の2月頃。

この時、急に何もかもに対する意欲も気力もなくなり、無理を通そうとしても身体が動かない、そういう状態になってしまった。

そういえば、と思いホロスコープを確認したところ、プログレス(以下P)の月が牡羊座から牡牛座に移動したところだった。

私は個人天体に地エレが皆無なため、もともと肉体のコンディションを無視して自分を追い込みがちだった。だからP月が地のエレメントに入ったタイミングで盛大にブレーキをかけられたのだと感じた。

しかし、どうにもそれだけではないような気がして確認してみたところ、柔軟宮の真ん中にあるネイタル(以下N)木星とセミスクエアを形成していた。

一部界隈では吉星と名高い木星は、幸運だろうが悪運だろうがなんでも拡大発展するので、場合によっては土星よりタチが悪い凶星になりうる。木星効きがちネイタルの私はそう感じている。

こいつは私のASCとオポジションで、「他人に合わせようと無理して自分を追い込む」という私のパターンを拡大していた。そして月ともトラインなので、「それが当たり前の感覚として染み付いている」という状態だった。

しかし牡牛座に入ったP月が「いやお前、肉体を大事にしろよ。信念を語る前に自分のことを省みろ」とブレーキをかけたのだった。

そしてこのことから、「P月のN天体へのコンタクト(特にハードアスペクト)によって、その天体の状態やテーマを探る事ができるんじゃないか?」という仮説を思いつき、とりあえず直近の木星と、ついでに土星についても調べる事にした。

P月は28年で1周、およそ3年半ごとにハードアスペクトが巡ってくる。

土星は山羊の真ん中辺りなので、活動宮の真ん中と、不動宮の最終辺りがハードアスペクトになる。ひとまず直近では2017年にセミスク、2020年にスクエアを形成していたのでチェックしてみたのだが、そのどちらも社会復帰とまっっっっっっったく関係がなかった。

というかむしろ趣味、もといオタク絡みの出来事だった。

土星の課題は本当に「オタクをやる事」なのか?

途中何年間かやめていた時期があるものの、中学で足を滑らせて以来、なんやかんや足掛け20年以上オタクをやっている。

このnoteでも解釈や感想と称して推しキャラへの巨大感情を垂れ流しているが、同時に夢小説を書く夢女子でもある。

しかし、夢女子としての自分を表立って表現することに恐ろしいほどの抵抗があり、その原因となるトラウマやブロックを様々な方法で解決しようと足掻く様を記事にしたりもしていた。

ちょうど仕事をやめて1年ほど経った頃、あるきっかけで夢小説を書き始めた。当初は「誰にも見せるつもりはなく、自分で書いているだけで満足」と本気で思っていた。

しかしある時、一人のオタ友と話が盛り上がった勢いで3000文字程度のギャグSS(名前変換なし)を一晩で書き上げ、その熱量をもてあました私は、その友人にそのまま送りつけてしまった事がある。(ちなみに友人は夢女子ではない雑食オタク)

これがちょうど2017年のP月N土星セミスクエアのタイミングだった。

「誰かに読まれなくても構わない」とうそぶくのは、強すぎる承認欲求と、他者評価に対する過剰な恐怖心の裏返しだ。しかし、この出来事で「自分の書いたものを読んでもらって感想をもらう」という快感を思い出してしまった私は、これをきっかけに、夢小説を公開する方向へ少しずつだが舵を取り始めた。

しかしこれだけでは根拠として弱い。他に記録がないからそう思っているだけかもしれない、とその時の私は思っていた。

しかし2020年、P月N土星スクエアを形成したタイミングの出来事は、日付も1日しか違わず決定的だった。

生まれて初めて紙の同人誌を作ったのである。
……といっても、ネップリ配布のコピー本なのだが。

それを公開したのが、P月N土星スクエアのジャストヒットの前日だった。

このことに気付いたとき、自分のホロスコープを二度見した。
「いやそんな事ある??? 私の土星は本当にオタクやる事なの??????」と本気で混乱した。

正直、私自身「土星がオタク」とは俄かに信じられなかった。

実際、普通にお客さんのホロスコープを読んでいても「あなたの土星のテーマは、オタクをやる事です」なんて、リーディングにならない。

3室、5室、11室辺りに土星が入っているならわからんでもないけど、1室土星でまずそう読むことはない……多分。

ていうか土星って社会天体だから、仕事に関する事だと思うじゃん、普通。まして山羊座土星だよ?? そんなことある???

しかし、先入観を取り払って思い返してみると、土星の象徴が当てはまる部分は多々はあった。

当時、なんとかサイトを作って小説を公開する事にこぎつけたものの、相変わらず夢女子としての自己肯定感は低く、またジャンルの性質上紙の本は無理だと思っていたし、イベントに出ようと思った事すらなかった。

しかしこの頃、自分の作品で紙の本を作りたいという気持ちがむくむくと湧いてきたのである。

これは、「根底にある隠された欲求(月)を、今あるもので形にする(土星)」と解釈する事もできる。

「書きかけの長編をいずれ文庫本にしたい」という願望が浮かんできたのだが、流石にそれはすぐには無理だ。しかし何か作りたい。とりあえず習作としてコピー本を作ろう。と思い立ち、短編2本をまとめた12P程度の本を作る事にした。

値段をつけての頒布には抵抗があったのと、どれくらいの人が読んでくれるかわからなかったため、ネップリ配布という方式を取った。

この辺りは、土星の「必要最低限で結果を出す」という象徴が現れていると思う。

また、私は元デザイナーだ。会社員時代はweb系がメインだったが、専門学校では印刷系をメインにやっていた。そのため、たかだか12P程度のコピー本を作るだけなのに、データ作成はガチだった。

専門学校時代、雑誌の誌面デザインの課題と卒制の時しか使った事がないInDesign(※AdobeのDTPソフト)におよそ7年ぶりに触れ、朧気な記憶とインターネットの集合知に頼りながら小説本文のレイアウトにこだわった。

表紙はフリーの写真素材をいい感じに加工してデザインしたが、コンビニ各社の発色、印刷品質の違いに絶望し、コピー本でも納得の行く品質の本にするため、カラーチャートまで作成しコンビニ各店で出力、データ上の色味を調整してはテストプリントのために家とコンビニを往復したりした。

(正直途中で「労働かな??」と思ったが、オタクは正気に戻ったら負けなので無視した)(ちなみに印刷品質だけで言うならセブンが圧勝。スミの出方が最高。光沢紙印刷をどうかお願いします……)

デザインをする事自体は好きなのだと思う。専門学校時代は結構楽しくやっていた。しかし、会社員になってすぐ人間関係に失敗したため、周囲の人間に怯えながら自分を押し殺し、かつそれを悟られないよう常に緊張状態で働いていたため、デザイン作業とその緊張状態が紐づいてしまったのだ。

そのため、作業をするだけでもトラウマがフラッシュバックして、ものすごく体力を消耗した。死ぬかと思った。しかし、どこか執念にも似た何かに後押しされ、どうにか完成にこぎつけた。

感情を度外視して、自分が持っているスキルを余すことなく使うのは山羊座の土星らしい。

当時はこれが土星だなんて全く思っていなかったが、今振り返るとメチャクチャ土星である。(執念的な部分はおそらくN土星にオポジションのN火星。あとP月が牡羊座だったのもあると思う。欲望の為なら無茶ができる……。)

そういった理由から、「しんどくても嫌なことがあっても、オタクをやるのが自分の土星の課題なのかもしれない」と、薄々ではあるが感じていた。

だがそれでもやはり、自己防衛心もあって、確証は持てなかった。

しかし2023年初頭、「土星はオタクやること」を決定づける出来事が。

私は毎年、ある占星術家の先生の年運読みセッションを受けている。
その日の話題は色々あったものの、2023年の運気予測のメイントピックは何と言ってもT魚座土星からN双子座太陽へのスクエアだった。

しかし、先生から

「これは何が来ると思う?」

と聞かれて、すぐには答えられなかった。

というのも正直私は自分の太陽がよくわかっていなかったのだ。

占星術を学び始めたのは2019年。当時の関心ごとは主に母親との関係性だったことに加え、2020年〜2022年はN月がトランジット天王星、土星、木星からモテモテだったので、月についてはいくらでも予測が立てられたが、太陽にはここ数年そこまで大きな刺激やプレッシャーがなかったので、大して注目していなかった。(T冥王星セミスクはあったが未検証だった)

強いて言えば、T魚座海王星からN太陽のスクエアの時が上述の体調不良による退職(社会における挫折体験)と被っていたが、今は仕事をしていない上、太陽の年齢域はほぼまるまる引きこもって自己探求していた事になるので、一体こいつは何なんだという状態だった。

私が答えあぐねていると、先生が

「土星と太陽のオポジションのときは何があった? それでわかる事もあるかも」
「あとは、トランジットで土星が来ると、自分の土星のテーマを思い出すって言っていた人もいたね」

とヒントをくれたので、前回の土星射手座期にヒットしていたタイミングを調べてみることに。

すると、オタ戻りした時期とぴったり当てはまっていたのだ。

先にも軽く触れたが、私は一度オタクをやめている。
やめた理由は色々あるが、今思えば創作において周囲の比較から自信をなくしてしまっていた事、そして同時期に別に打ち込む活動ができた事辺りだろうか。

それまで地元の同人即売会には必ず行き、週末にはアニメイトや同人誌ショップに通い詰めていたし、眠れない夜は腱鞘炎になるまで絵を描いたり、キーボードを叩いて夢小説を書きまくっていた。

しかし、ある時期からは、漫画やアニメは嗜むものの、同人誌やグッズを買い漁ることも、創作に時間を割くこともなくなった。

社会人になっても、それは続いていた。どこかで「オタクであることは恥ずかしいこと」という思いがあり、作品にどっぷり浸かる事はなかったし、本を買ったりする事はなかった。

体調が悪い上、ややワーカホリック気味だったのもあって、「オタク趣味なんて金ばっかりかかるだけ、仕事しんどいしそんな事いまさらやる余裕ない」と言い訳をしていたり、自己肯定感の低さから「本当は好きだけど、私にはそれをする資格なんてない」と思っていたりもした。

転職のときに、おカタめな業界とアニメ業界のデザイン会社それぞれから内定をもらっていたが、迷った末おカタめな業界の会社を選んだり。

その会社は決して悪い会社ではなかったが、満員電車とコンペのプレッシャー、連日の残業などのストレスから体調を崩し、半年ほどで退職となった(ちなみにこのときの転職活動開始〜やめるまでの時期が、ガッツリT海王星N太陽のスクエアと被っている)。

そして、退職の半年ほど後。療養のために特にやる事もなく家にこもり、ぼんやり家事をしながら、旦那が録り溜めていたアニメをなんとな〜く眺めていたある日の昼下がり。

とんでもなく性癖をぶち抜かれるカットを目にしてしまい、雷に打たれたようにその作品の二次創作を見漁り、原作を履修し、深い沼へ真っ逆さま。見事にオタクに返り咲いたのだった。

ちょうどそれが、T射手座土星とN太陽のオポジションの時期。
もっと言えば、ジャストヒットは夢小説にハマったタイミングだった。

実はそのジャンルにハマりたての頃、最初の数ヶ月はBL主体で二次創作を楽しんでいたのだが、「そういや夢小説ってあるのかな……」と思い立ち、そのジャンルの夢小説を検索し、見つけ、読み始めた。それがその辺り。

……いやそんな事ある???

そこで「まさか」と思って、乙女座土星とのスクエアのタイミングを調べてみると、ちょうど高校の頃、環境が変わってオタクをやめた時期とガッツリ重なっていた。

「先生……私の土星、オタクやる事かもしれないです……」

事前に個人的に調べていたP月とN土星のアスペクトのエピソードも添えて、先生にその事を話した。
先生はめちゃくちゃ大ウケしながらも興味深そうに話を聞いてくれた。

セッション後にも興奮冷めやらず、色々検証してみることにした。

先程のアスペクトをもっと遡り、T土星N太陽合もチェックしてみると、なんのひねりもなくオタクになった時期だった。

しかし、そこで別の疑問が浮かんだ。

「肝心のサタリタは別にオタク関係なかったよね??」

土星といえば一番大きな節目はサターンリターン(土星回帰)。
とくに29歳前後に起きるタイミングの基本的な象意は「既存の価値観、特に親からの自立」である。サインやハウスによって、親と出るとは限らないが、「それまで従ってきた生き方とは違う方向性を模索する」という部分は共通しているように思う。

私の29歳のサタリタ、ジャストヒットは1回。

その時期にそれらしい出来事はあったかと振り返ってみると、一ヶ月ほどズレるが、母親と電話をした日の事が思い出された。

その時の会話を通して「ああ、母親と私は別の人間なんだ」と悲しくも静かに腹落ちしたのをよく覚えている。

そしてすぐnoteに書いたので、記事が残っている。

あまりにも教科書通りのサタリタだった。そのため、別の可能性など考えもしなかった。

しかし記事一覧を眺めていて気付いた。
その一日後に、こんな記事を投稿していたのだ。

2018年12月は、現実の生活全てを投げ出してnoteに文章を書きまくっていた時期だった。あるきっかけで自己解放が起き、これまで押さえつけていた感情が堰を切ったように溢れ出し、それを形にせずにはいられなかったのだ。

平均3000文字越えの記事を一日数本投稿する日もあり、消した記事もあるが、一月80本以上投稿した事もある。しかしそのほとんどが内省的なエッセイで、しかもそれによってフォロワーが増えた状態だったため、友人に求められたものの、オタク的な感想文を出す事には非常に抵抗があった。

「私の記事を読みに来てくれる人は、特に興味がない内容で、嫌われるかも知れない……」そういう葛藤もあった。しかし記事冒頭にあるように「これも自分の消化の一貫」と思い、勇気を出して投稿した。

結果、新潮文庫のようなタイトル(by友人)が並ぶ中に突然現れるアニメの感想記事という大変シュールなタイムラインとなったのだが、特にフォロワーさんに何か言われる事もなく……今でもたまに検索で読まれているのか、じわじわとスキが増えている。

ちなみにもっと言うと、ジャストサタリタの日にはこれを投稿していた。

つまり、サタリタもオタクだった。

(もちろん、母親の件もオーブ圏内なのでたぶんサタリタだよ……!)

土星のメッセージがオタクをやる事「だけ」とは限らないが、そこにそれが含まれているのは確かだ。

その観点で、2021年のT土星N月合のタイミングを色々と振り返ってみると、これもまたオタ活……というか、主に二次創作、夢女子である事に関係していた。

1回目ヒットの頃は、突然、デスク周りの断捨離をはじめた。在宅ワークの頃は飾り物で、まともに作業できる状態じゃなかったのだが、引き出しの中身を整理して小物や文房具を買い揃え、使えるようにした。

もちろん「カードを引いたり占星術のセッションを快適にできるようになるため」という目的もあったが、さらにデスクの高さまで調整し、ノートPCにスタンドをつけ、キーボードの角度を調整できるようにしたのは、どう考えても執筆作業のためである。(もちろんnoteもだけど)

2回目ヒット(逆行)の時は、T獅子座火星と、T牡牛座天王星も絡んだTスクエアが形成されていて、そこにN月と冥王星のスクエアが巻き込まれる形だった。

二次創作については行き詰まっていたものの、夢女子としての妄想の精度はどんどん上がってきていて、全然関係ない目的で受けたスピ系のセッションで脳内でいつも話しているイマジナリー推しに会えたという訳わからんイベントが発生した。(このセッションは本来はハイアーセルフや守護天使など、高次存在からメッセージを受け取るものです)

土星のメッセージを掘り下げる

私にとってインパクトのある発見で、ネタとして面白すぎるのでオタクだなんだと書きまくったが、もちろんオタクだけではない。というか、それだけでは表面的に過ぎるので、もう少し踏み込んだ解釈をする。

もちろん山羊座の土星が1室にあるとはいえ「ただ個人的な趣味としてオタクをやること」を推してくるとは思えない。物事を深刻に捉えすぎるのは良くないが、実際にそんな簡単ではないと思う。

私は不動の最終〜柔軟宮の初期にいくつか感受点や天体が集中しているので、今年の2月3月あたりは太陽以外にも土星の影響を受けていた。

そこで色々経験して受け取った示唆をまとめると、大雑把に3つの象意が読み取れる。

まず、「自分の性質をすべて受け入れること」

1室の土星だけだと自己管理や自己抑制となるが、海王星の合もあるので「自分の性質を清濁併せ呑むこと」「自己受容、自分への赦し」が大きなテーマとなる。海王星は幻想を見せた上でそれを払うことで真実を受け入れさせる天体でもあるので、「誤った自己認識の修正」も私の課題となる。

フォールとは言え海王星の方が強いエネルギーを持つので、自分を受け入れずただ自己管理や自己抑制をしてもうまく行かない。

ちなみに水瓶座の最終度数はその海王星土星の合とセミスクエアを形成するタイミングで、いまさらクィア・アイを観てボロ泣きしたりもした。

そして自己受容と言えば今年の春分にクソデカ手放しがあったのだが、T土星N水星スクエアの最初のヒットにドンピシャだった。N火星にもセスキだったので、性的なトラウマも少し絡む。

また、海王星と土星はどちらもN3室支配なので、「創作活動をすること」「それを日常に落とし込むこと」もテーマとなる。

これまで精神的に不安定なことがコンプレックスだった私は「創作は日常生活の余剰時間でやるもの」という健全な創作プロセスに強く憧れた。
しかし、健康になろうとあらゆる治療法を試しても全く上手く行かないし、習慣化しようとあらゆるツールを取り入れてもひとつも身にならなかった。

しかしあるとき、「私は創作してないと死ぬ。これは私にとって排泄行為と同じものなのだ」と気付き(というか諦め)、「だったら創作を中心に据えて日常生活を整える」という風に考え方をひっくり返した。

世間の基準で生活を整えるのではなく、自分の性質に合わせて生活習慣を作っていく。

過集中が得意で8時間ぶっ通しで書ける。そのかわり月の半分は副腎疲労で死んでいる、料理や掃除など家事全般が苦手、睡眠が不安定……そういった自分を赦し、受け入れ、それでも出来るようにライフスタイルを組みはじめた。

すると、格段に心が楽になって、ほんの少しずつだが、創作意欲が戻ってきた。また、自分の体調を良くするために必要な食事制限なども、無理なく取り組めるようになってきた。

これはちょうどT土星N太陽の最初のヒットの時期と重なる。

「太陽」らしい解釈をするとすれば、自己客観視が正しくできるようになった、という事かもしれない。

太陽は唯一自ら光を放つ天体だ。太陽が活性化すれば、ネイタルチャートに光が満ちる。それによって、各天体の状態、つまり個人の意識の発達状態を把握することができる。平たく言えば自己認識、自己客観視だ。

そして土星によって「事実に基づいた自己認識」ができるようになった。かつてT海王星に自己認識をかき消されたことよる挫折感や自信のなさから立ち直れた、とも取れる。

そして次に、「そのままの自分の性質で、他者と関わっていくこと」
「自分が好きなこと、やりたいことに対して堂々と取り組むこと」。

これは7室蟹座火星へのオポジション。

社会に適応するために自分を押し殺すのをやめる。
相手に嫌われないために自分を捻じ曲げるのをやめる。
前者は山羊座に対する調整で、後者は蟹座に対する調整。

これらをやめるには、やはり自分の素質を客観視し、経験を過不足なく評価すること。土星は2室支配なので、これをやれば自信がつく。そして、自信がつけば堅実で効果的な自己主張が可能になっていく。

2月頃、ちょうどT土星N水星スクエアのタイミングで、セッションのために新たな技術を学びたくなったが、なかなかピンとくる講師が見つからず、またお金の問題もあって断念した。

そういえば以前、占星術の長期講座を受けようとして、体調を崩して続かなくなったこともある。これはT土星がN月を刺激していた頃だった。

学ぶことが悪いのではなく、「自信のなさから技術を身に付けようとする」のがマズいのだ。人から勧められて流されるままに学ぶというのも良くなかった。

また後者(蟹座に対する調整)に関しては、この数ヶ月、自分を押し殺して関わっていた人間関係にテコ入れが入った。

それで実際に遠のいた縁もあれば、相手に対して抑えていた本音が出てきて我慢できなくなったことで自分の認知の歪みに気づき、修正することで続いている縁もある。

とにかく蟹にせよ山羊にせよ、他人の言葉に左右されて自分に自信をなくしたり、不安から相手に合わせてやりたくない事をやったり、やりたい事を我慢していると、ストップがかかる。

今回刺激されているN水星は7室支配でもあるので、対人関係にダイレクトに影響が出るのだろう。最近は「エネルギーを温存するために適切な距離を保つ」「とにかく一人になりたい」という感覚も出てきている。

また「相手の役に立とうと努力する」というパターンは、6室太陽のもの。「別にお前のままで役に立てることやればいいからいらん努力やめろ」という土星のメッセージを感じる。

そして最後に、「学び、考え、感じたことを自分の言葉で語っていくこと」「言葉に限らず、感受性を表現して何らかの形にしていくこと」。
これは支配している3室と、オポジションの蟹座火星。

トピックは問わないが、それは自分の経験や、心から出てくるものであること。そして地に足がつかない理想論を並べ立てるのではなく、経験に基づいた内容を語ること。

究極「こんな事を言ってはおかしいと思われるんじゃないか?」と思うようなことでも、書いていくこと。
弱い部分、醜い部分であっても、表に出すこと。

ただしそれは、蟹座火星ゆえ、裏にある不安や恐怖もしっかり消化した上でないと書けない。未消化の感情があるのに無理をすると、なまじ書けたとしても誤解されてしまったり、厄介な人間に絡まれて自分が傷付いてしまうなどの出来事が起きる。

以前はそれらのトラブルから「私は書いてはいけないんだ」と見当違いの自責をし続けていたが、最近になってそれは「心の準備ができていないものを無理に書く必要はない」という土星先生の優しさだと気付いた。

この記事を書く事も土星の一環

占い師という看板を掲げておきながら、ずっとnoteで占星術の専門的な話をすることを避けていた。

「占い師なら運勢読みの記事でも書いたらどうだ」「そうしたらお客さん来るだろ」という自我の声もあった。しかし、全く気乗りせず現在に至る。

結局のところ、私が占星術で一番テンションが上がる瞬間とは、好きな人や自分のホロスコープを読んで、内観として占星術の研究をしている時間なのだ。

だから、「こんな着眼点でホロスコープを見ると、こんな事がわかる」「この天体配置の時はこうだった」「世間的にはこうだけど実際はこう」など、自分語りしつつ、こんな見方は面白いと紹介したいと思う事がよくあった。

しかし、ここでまた「私のフォロワーさんは、占星術などまったく関係ないネタで集まってきた人がほとんどで、自分がいきなり専門的な話をしても読まれないだろう」などと考えて、渋っていたのだ。(書いていて気付いたが、上記のアニメの感想文を公開したときと同じブロックだ)

これまでは書いたとしても無料サイトでホロスコープが出せれば一瞬でわかる程度のライトなネタしか公開した事がなかった。

Astrodienstの複雑な操作や、有料のホロスコープ作成ソフトでなければ出せない時期表を必要とするような中級以上のネタは、書き溜めてはいるものの「どうせ読まれない」と仕舞ってきた。

しかし、最近ふと思ったのだ。
「出しもしないのに、読んでくれる人が来る訳ない」と。

興味のある人は検索からたどり着く。
記事としてとりあえず出しておけば、いずれたまたま共通の興味を持った誰かが読んでくれる。

仮に既存のフォロワーさんや初心者の人でも、知らない事があれば自分で調べる技術だってある。私の事や書いてあるネタを理解したいと思うなら調べてでも読むだろうし、占星術に興味がない人はそもそも読まない。

というか、私が専門的な話をしようが、他の記事では占星術など全然関係ないトピックを立てるので、結局のところ話題がひとつ増えたところで大した差ではないような気もする。

そういう心境の変化もあって、今回この記事を書いている。
音声配信にしようかとも思ったが、木星が悪さしてハードルを上げすぎて苦しくなったので、まずは小さな一歩として、やり慣れている文章でやることにした。

読まれることを考えず割と好き放題書いているが、新潮文庫と狂ったオタクの感想ほどの落差はないはずなので、そこまで公開に抵抗はない。(そしてきっと土星のことが心の底から嫌いな人はいないはずだとも思っている)

ちなみに、もうそろそろ2度目のT土星N太陽スクエアが来る。

土星先生の意図に気付いて生きるのが楽になった

私もまだまだ未熟者で、ここに書いた学びにいきなりたどり着けた訳ではない。

違和感を無視できなくなった時は強烈な虚無感と希死念慮に襲われた。
何度も同じような別離を繰り返してようやく、人間関係の根底にあるパターンに気付いた。それでも嫌われ不安はなかなか拭えない。
強烈なトラウマに触れたときは、フラッシュバックで数日動けなかった。

だから、土星先生の試練の厳しさは、今でも感じている。

それらを踏まえた上で改めて、「土星がオタクであること」に関する土星先生のメッセージとはつまり、

「魂からオタクである自分を受け入れろ」
「己の欲望に正直に生きろ。そしてそれで社会に貢献しろ」
「それらを妨げるすべての感情ブロックを手放していけ」

という事なのだと思う。

もちろん、オタクはめちゃくちゃ楽しい。生きててよかったと思う事は多々あるし、推しの存在は確実に免疫力を上げるので、オタクは健康にもいい。

しかし、オタクをやる事で楽しく現実逃避をしようと思っても、させてもらえない。むしろ、どれだけ逃げ回っても、最終的には現実と向き合わされるのだ。

対人関係にトラウマが山積みで、被害者意識や隠された怒りも死ぬほど抱えている。ただコンテンツを消費するだけでも、キャラを通して自分の感情ブロックに直面する。ガチャの爆死ですら己の執着に向き合わされる。(もちろん、トラウマを浄化して目当てを引き当てた。執念)

幸せ耐久値が限りなく低く、萌えすぎると身体が恐怖心で固まるため、公式からの殺意高い供給によりリアルに緊急用のフラワーエッセンスが必要になった事もある。

緊急用のフラワーエッセンスは、極度の恐怖や不安に苛まれたり、パニック発作やフラッシュバックの時に心を落ち着けるために飲むもの。

公式生放送で推しが供給され錯乱したとき「もしかして……」と思い筋肉反射テストで必要かどうか確認したら「必要」と言われたので、「比喩じゃなくてマジで命の危険感じてるじゃん」とゲラゲラ笑いながら飲んだ。

そして創作をするとなると、なおさら心の闇は避けて通れない。また、火星は欲望でもあるので、マニアックな性癖やドロッとした感情、弱い自分に対する恥の感情なんかも絡んでくる。

夢女子としての自己肯定感が上がり、脳内推しとの交流が盛んに出来るようになった今でさえ、いやむしろ脳内推しの解像度が上がったからこそ、現実の人間関係でめんどくさくて避けていた問題を、推しとの関係性の中で向き合わされている……。

占星術基礎講座を受けた時、講師の先生が「土星は泣きながらでもやる事」と言っていた。なるほど確かに、私は泣きながらでもオタクをやっている。

それでも、どれだけ嫌な思いをしても、オタクでいたい、創作をしたいという思いは消えないし、やめられない。

やめなきゃいけないんじゃないか、と何度も諦めそうになった。しかし、押さえつけても湧き上がってくるし、心のどこかで「そんなはずはない」と思っていたから、執念深くヒーリングと自己探求を続けてきた。

かつて、他者と自分を比較したり、心無い批判に胸を痛めることに耐えられず、他の活動に逃げた。恥ずかしさから自分を偽ってオタクをやめていた頃は、心がどんどん死んでいったし、人間関係トラブルも絶えなかった。

土星乙女座期のそれも必要なプロセスだったと受け入れる自分はいる。
しかし、あの時オタやめした事を後悔している自分だって確実にいる。

あんな苦しい頃には絶対に戻りたくない。世間の目とかいう正体のないもののために、二度と自分の「好き」を手放すものかと誓った。

好きなものを好きと言えない、ただ辛いだけの人生なんてクソだ。

人生には放っておいても辛いことが起きる。
この世界は分離が本質だから、苦楽は同量存在する。
オタクをやっていてもやっていなくても、何かしら苦しみはあるのだ。
だったら、好きなことのために苦しんだ方が結果的に楽しい。

以前創作に関して人に話したとき「逸見さんの創作は人生」と言われた事があるが、まさにそれ。生来凝り性なのもあるが、なんというかいろいろ、適当にできない(させてもらえない)のである。しかし、「葛藤も涙も、使えるものはすべて使う」という感覚はあまりにも山羊座だ。

とはいえ、最近は自己受容が進み、トラウマ解放にもだいぶ慣れてきたし、土星先生の意図もちゃんと理解できたので(というか脳内推しが土星の意図を伝えてくるので)土星の課題に取り組みやすくなっているのは確かだ。

普遍的な土星の真意

長々と書いてしまったが、これらはあくまで私に対する土星からのメッセージ。だから人によって違う部分もあると思う。

たとえば家庭の問題を解決することが課題の人もいるし、他者と協力、協調していくことが課題の人もいる。

ただ、共通して言えるのは、土星の苦手意識の先には「本人の魂が本当にやりたかったことが設定されている」ということ。

家庭の問題の場合は、「真に心通わせられる関係性を築くこと」かもしれないし、他者との協力の場合は「一人ではなし得ない大きなことに取り組む喜び」かもしれない。

「登山家が難易度の高い山に挑む事も、ブラック企業で消耗する事も同じ土星」
「土星の試練を何で受けるかは選ぶことができるから、どうせなら好きなことで受けましょう」

と、ある占星術家の先生に言われたことがある。
当時はなるほど、と思った。しかし、土星の意図の説明としてはやや片手落ちかとも思う。

仮に、自分では気付いていないものの、登山が肌に合っているブラック企業の会社員がいたとしよう。

その人の性質の核は「現実対処が出来、慎重で、忍耐強く、自己成長欲求があること」だとする。

その人がその占断を聞いただけで、「今すぐブラック企業を即辞めて、山好きを自覚して山に登る」というふうにできるかというと、おそらく難しいだろう。

現実対処ができるという事は、裏を返せば目の前のタスクを放って置けないという事だ。慎重さは堅実な仕事ぶりに反映されているかもしれないが、大胆な行動は取りづらい。周囲の迷惑や金銭事情なども深く考えてしまうだろう。おまけに、忍耐強いため過酷な労働環境でもギリギリまで耐えられてしまう。また、自己成長欲求があるが自尊心が低いからこそブラック企業の体育会系な理念に洗脳されてしまっているのかもしれない。

大局から見れば、その人はブラック企業で消耗するという経験が必要で、それがあるからこそ「こんな人生は嫌だ」と心底から思い、「本当に自分が好きな事をやるべきなのだ」という学びにつながるとも言える。

本人が心底からの望みに気付くまで、土星はあの手この手でプレッシャーをかけ、軌道修正を図る。それが過酷なものとなるか容易なものとなるかは、土星のアスペクトによる。しかしその抑制の経験があるからこそ、解放されようという意欲になるし、その結果形成されたものが、ひとりひとりの魅力になる。

私も土星乙女座期から射手座期までの自己抑制がなければ、こんなに執念深く自己探究し、創作活動に向き合う事はなかったかもしれない。しかしその執念深さのおかげで、人間の心理や身体の構造などを知る事が出来た。それが書く話のネタにもなるし、無理のない創作スタイルを築く助けになっている。

もし最初から夢女子としての自己肯定感が高く、コミュ力もあり、界隈に心を開ける友人がたくさんいたら、脳内に推しを内在化させてまで悩み相談するほど追い込まれなかったかもしれない。しかし会話がまともに出来るほど解像度の高い脳内推しは今や心の師であり最高のパートナーだ。

「本当はあの時、土星乙女座のプレッシャーとしっかり向き合って創作活動をやめなければ、今はもっと色々出来ていたんじゃないか」と自我レベルでは思ってしまうが、おそらく土星先生は私の低すぎる自尊心を知っているから、そのことも織り込み済みだっただろう。

それに今思えば、オタやめしている間に学んだ技術や経験は、なんやかんや創作でも腐らないどころか、めちゃくちゃ活かせている。

土星が「結果を出す星」とも言われるのは、おそらくその人の行動が魂の目的に結びついている時だ。

また「土星には愛がある」と言っていた人がいた。初めてその言葉を見た時は理解できなかったが、今となっては、それにうなずくことができる。

ただ同時に、多くの人が脅威に感じることも理解できる。魂の目的というのは、自我意識と一体化している時には恐ろしく感じられるものなのだ。だから土星が怖かったり苦手だったりする自分を恥じる必要はない。

(ぶっちゃけ、あらゆる物事を無感情に拡大していく木星の方が怖いと個人的には思う。アイツは何に対しても「いいね〜!!」しか言わないので、間違った選択でもうまく行ってしまうし、窮地に陥っても助けてはくれない。むしろ地獄をさらに悪化させたりもする。)

土星はどのサイン、どのハウスにいたとしても「人生の主導権は自分で握るものだ」とメッセージを送り続け、その方法をあらゆる形で教えてくれる。

「自分の人生に責任を持つ」という言葉の意味が、上辺ではなく本当の意味で理解できたとき、土星先生はきっと、強い味方となってくれる。

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