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自分が変われば周りも変わると言うけれど

「無理するな」

最近、色々な形でこの言葉を聞く。

旦那、親しい友人。そして、自分で引いたカード占いの結果、神社のおみくじ、友人と行った預言カフェでまで「無理をする必要はない」なんて言われてしまった。

しかも、一週間ほどのあいだに一気に言われた。ちょっとあまりに言われすぎて「無理するなって言われても、どうしろと」といっそキレそうになったりもした。笑

先日の記事でも書いた通り、2月からアルバイトを始めた。しかし、精神的・体力的にきつい状態が続いていて、続けるかどうか悩んでいる。そういう状況を見られていたり、あるいは打ち明けたりすると、決まってそう言われる、という話。

辛い状況に陥っている人に「無理をするな」と声をかけるのは、至極当たり前の事かもしれない。しかし私はこの出来事を通して二つ感じたことがあった。

まず、私としては頑張っているつもりだったし、この状況は耐えなければいけない、とも思っていたから、周りの人の心配具合に対して驚いた。

そして人から言われる「だけ」ならまだ、とりあえず声をかけたという事もあるだろうが、カードやおみくじ、預言カフェでまで言われるというシンクロっぷりに、もう私は「(自覚はハッキリとはないにせよ)無理をしている」という事なんだと、認めざるを得なかった。

余談だが、その時の預言カフェで印象に残っている言葉が「真っ直ぐ行ったら行き止まりの道よりも、より広いところに繋がっていく道へ向きを整えて進んでいけるように」というもの。「真っ直ぐ行ったら行き止まりの道」とは、アルバイトの事なのだろうか……とぼんやり思ったりもした。

次に感じたこと二つ目。こちらが本題でもある。

率直に「みんな、優しいな」と思ったのだ。

うちは親が結構厳しかった。弱さを許されなかった。弱音を吐けば叱られ、「自分で決めたことなんだから頑張れ」「辛いことがあっても我慢しろ」と言われることのほうが多かった。(ちなみに先日この状況を母親に相談したら「今の仕事でも体力的に厳しいのに、ほかの仕事なんて務まるの? 慣れるまで頑張りなさい」と言われてしまった)

しかし今はどうだろう。周囲にいる人は弱音を受け止めてくれるし、無理をするな、やめてもいい、と言ってくれる。もっと合う事を仕事にした方がいい、とも。

とてもありがたいし、身に余る言葉だと思う。合う仕事、というのは未知の世界で怖くもあるけど、そちらに向かっていいんだと、許されている気持ちになる。

そして、この変化は、私の内面の変化とリンクしているのかもしれないと思った。

もともと私自身、とても自罰的で無理をしがちだった。そういう周りだからそういう人間になったのか、そういう人間だからそういう人たちが周りに集まってきていたのかはわからない。けれど、差し伸べられた手を取れない、自分を責める言葉ばかり受け取ってしまう、そういう人が周りに寄ってくる、という悪循環は確実にあったと思う。

けれど私はここ数年「無理をしない自分のペース」についてずっと考えてきたし、自分を責めることをやめるために、ネガティブな感情を手放すことをしてきた。

自分が変われば周囲が変わるという。たしかに今周りにいる人たちは、以前私の周りにいた人たちとは顔ぶれが全く違う。

私を責め立てる人はいない。優しい人ばかりだ。あるいは、私自身が、以前より周囲の優しさを素直に受け取れるようになった。

それと、私は自分に優しい人との付き合いを選んだし、自分に優しくしてくれる人を大切にしようとした。

差し出がましいかもしれないが、これまで頑張ってきた事が報われたのかな、などと。そういうふうに思ってもいいんじゃないか……と思えている。

自分の内面の変化と、周囲の変化。どちらが先というわけでなく、それぞれに時間差はあり、また繰り返し、確かめながら進んで行くことになるのだと思う。

変化を感じたとはいえ、今はまだ、具体的に大きな変化はまだない。体調が悪いこともまだ言いだせていないし、いずれ近いうちに仕事を変えたいとは思っているけれど、どんな仕事がいいのかということも、あまりちゃんとイメージできていない。

けれど、今は、このあたたかな変化のおかげで、怖くても自分に合う世界に進もうと、この先にちゃんと道がある方に行こうと思えるのだ。

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