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モードレスな授業

パフォーマンス評価への迷い

指導と評価の一体化ってやつ。やればやるほど生徒が何を学んでいるのかがわかんなくなってくる。
僕自身もエッセイライティングの授業でルーブリックを事前に生徒に示したり、ディスカッションで達成すべき項目をチェックポイントで示したりということをしていた。パフォーマンス課題とセットで到達度を観点別にあらかじめ示し、目指すべき方向性を明確にするためにルーブリックを示すという手法は10年ほど前から徐々に定番化しつつあるように見える。
たいていの生徒はきちんとルーブリックなりチェックポイントなりを読み取って、観点ごとに求められることを達成しようとしてくるし、結果出来上がる作品についても、ルーブリックなしで課した時よりも及第点のものが多くなった気はする。けど、そりゃそうなって当然のこと。で、こちらが設定した到達点に近い成果物が出来上がるなら良いという考え方もできるとは思う。そうやって成功体験を積ませることが生徒の自信につながるという考え方も理解はできる。
だが、問題はその過程で生徒がどのように手と頭を動かしたかだ。その執筆過程において生徒は何を考え、どのように言葉を紡ぎ出しているのだろうか。ルーブリックに書かれた最高到達度の文言を再現しているだけなのなら、もしかしたらそれは空欄補充のプリント学習とその思考過程においては同じ次元なのではないか。
エッセイライティングには原稿用紙に書く前にメモを作り、構成を練り、紙に考えを落とし込み客観視する工程ももちろん含まれている。ルーブリックという補助線を引くことで、僕たちはエッセイライティングの作成過程から生徒の考える時間を奪っているのかもしれない。
そんな迷いがあり、今年度はルーブリックを事前に示すことはやめた。

モーダルとモードレスという考え方

そんな時、モーダルとモードレスという概念を知る。

詳細はai氏の記事を読んで欲しいのだが、自分の理解で説明すると、もともとGUIデザインの概念である「モーダル」とはユーザーに一定の手段や手続きが与えられ制限された状態が「モーダル」、対してそういった手続きが与えられていない状態が「モードレス」 
である。
上記エントリでai氏は僕のようなUI素人にもわかりやすい例を挙げて、モーダルとモードレスを対比的に説明されている。そのうち「コース料理とお弁当」という例が、僕の授業作りの迷いに突き刺さるものだった。

コース料理のディナーは " モーダル " だ。料理を食べる順番も、使うカトラリーも決められている。シェフの構築したモードに従って食べれば、素晴らしい体験ができる。

お弁当は " モードレス " だ。その構成、レイアウトこそシェフの緻密な計算の上に成り立っているものの、食べる順番は自由だ。いつ、どこで食べるかさえ自分で決めることができる。
https://note.com/nikonote/n/nc28fd9ac675b

コース料理って本当に楽で、何を食べるか悩むことも話し合うこともない、同席者の好き嫌いを考慮する必要もない。注文してみて期待はずれだったってこともなく、店主のおすすめを予算に合わせて適切に出してくれる。
けれどもメニューを囲んで吟味したり、珍しい料理に挑戦したり、足りないから追加注文したりもできない。
お弁当は公園で食べたり持って帰って家で食べたり、早弁したり、花見に持って行ったりもできる。
で、僕たち高校教員にはコース料理を作るのがすごく得意な人が多いんじゃないかって話。

モーダルな授業とモードレスな授業


例えば探究型の授業において、グループや個人で誰かにインタビューをするという活動。アポの取り方を説明し、ヒアリングする項目を決めたワークシートを生徒に渡してインタビューさせる。これは「モーダルな授業」だ。
対して、知りたいことや確かめたいことがまずあり、それをどうやってどんな手法で調べるかから生徒が考えて実践してみるという「モードレスな授業」もありえる。
(この「知りたいことや確かめたいことがまずある」という状態、また、それを生徒が自覚し、教員が認めている状態がどれほど有難いことか、重々承知はしている。このことについてはまた書ける時に書きたい。)
どちらの授業にも良さがある。生徒の状態や場面に応じて使い分けることも教員の力量だ。もちろん、先人が積み重ね批判の中で洗練された知識や技術を継承・発展させるために、合理的なカリキュラムを作り習得させていくことも社会にとってはとても大切なことなのだろう。
ただ、僕が関心があるのはどれだけ生徒の読み書きにおける可能性を引き出せるかだ。

授業の中に余白はあるか?

抱えた迷いに名前をつけて安心することだけは避けたい。ただ、モードレスという新しい光に照らして見たときに、自分が進みたい道の向こうが開けて見えたことは間違いない。綺麗な授業設計をすることよりも、とにかく生徒の学びの過程に臨んで対話すること。その時の声かけのあり方こそが僕が磨き上げたい専門性だ。

このモーダルとモードレスという概念、調べれば調べるほど、生徒の思考・作業過程を考える糸口が見つかってくる。エッセイライティングやディスカッションなどの授業デザインでずっとモヤモヤしてたことが、うまく説明できそうな気になる。いますぐ高校の授業にどうやって取り入れられるのかは全然わからないけれど、「回り道ができる余白はあるか?」という問いを持って授業を構想することからしていこうと思う。

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