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モダン・タイムス2024春

 いつまでも寝ていたい春の朝にバス停で待ちながらおもむろにヘッドフォンを取り出して、お気に入りのプレーヤーで音楽を鳴らす。今日の選曲は、グレン・グールドが奏でるバッハの平均律クラヴィーア曲集。小気味よくピアノの旋律が刻んで上昇していく音に私の眠っていた心は反応し始める。ふと、幼少期に母が毎朝クラシックをかけていたことを思い出す。平日はいつだって目覚めと同時に社会なるものとの付き合いを再開せねばならず、心が深いところにいって出て来れなくなっていても、また上昇していかなければならない宿命だが、そんな時に、階段を小刻みに登っていくピアノの旋律は、上昇していく心を手助けしてくれる。

最近は、心の深いところにいくと良いも悪いも、黒も白も、両方あるんだなって分かってきて妙に落ち着いてきた。以前の私は二者択一を迫ってくるこの世の中にいつも不安を抱いていて、自分の軽口から出たある種の判断に後悔が絶えなかった。さまざまな視点で見れば本当のところ正解なんてないってことは分かっていたけれども、判断を迫られたからには答えを言わざるを得ず、そこでリップサービス的に言った答えを真に受けて、あの人は何派などと言われるわけだが、そんな自分の判断に対する後悔と不安などが入り混じっていた。二項対立などとはよく言ったもので、すぐに人間は二項対立に持っていく。ユング心理学の本を読んだ時だろうか、ある種の強いモチベーションで二項対立の片方を担ぐ人は、もう片方に強い拒絶を含んだ思いを持っているのだが、それはトラウマから来たつよい抑圧が影響しているという。ニュートラルでいるというのは、トラウマから解放された強者でしか出来ない技だということが段々とわかってきた。そうだとすると、私は初めからニュートラルだったのかもしれない。二者択一を迫られたときに、両方の立場を含んだあいまいな領域に私の心はいる。

バスから電車に乗り換えて都心まで1時間弱揺られながら夢うつつの状態で移動する。電車が目的地に到着すると急に現実に引き戻されて、そそくさと駅の構内を移動する。人の群れと一緒に革靴をカツカツと鳴らしながら移動しているときに、なんとも言えない感覚になるときがある。聴覚はヘッドフォンで好きな音楽に満たされているからか、余計にこの現象に不思議な感覚を伴った思いがよぎる。ある意味で都会の歯車の一員だということに対する誇りと蔑み。ジョージ・オーウェルの「1984」のようなディストピアな感覚がつきまとう。心を失くした都会人は文字通り歯車と化して機械のように労働する。そうだとしたら、いつだって「心」について考えてきた私は、「心」ある人でありたいと思うのだ。喜劇王チャーリー・チャップリンの映画に「モダン・タイムス」という名作がある。工場の歯車として働く労働者の風刺は、現代にこそ思いを馳せるべきことなのかもしれない。

都市生活には「お金」が不可欠である。お金があれば田舎のような泥臭い人間同士のつながりはなくて済むし、個人の自由は担保される。お金はいつだって洗練されている。ただそれと引き換えに「心」というものはどんどんと痩せ細って貧しいものになってはいないだろうか。そうだとしたら、都会にいながら「心」を豊かに生きていくためにはどうしたら良いのだろうか?

都市生活をしていると文化資本と言われるように、文化には資本がいるらしい。だから資本のない人間は文化度が低いそうだ。なんということだ。お金がないと、心を豊かにする文化的なものを享受できないらしい。でも本当にそうだろうか?と最近になって思っている。図書館に行けば無料で過去の文化的な作品を存分に味わうことだって出来るし、無料音楽Liveだっていっぱいやっている。祭りだって基本的には無料のものだろうし、元を正せばジャズだってロックだって、労働者や若者の反骨精神から来たもので、本来はお金の持っている資本家のものではなかったはずだ。文化にお金がかかるって思わない方がいい。お金がなくても文化を享受できる方法を考えるべきだって思う。

私は会社員だから普段は資本主義の歯車の一員として、労働に勤しんでいる。だからこそ、現在の状況は資本主義の価値観が目指す右肩上がりの成長に限界が来ていることを肌身をもって感じる。年功序列、終身雇用は過去のものとなった。会社だっていつ潰れるかわからない。もっと言うと、地震や未曾有の感染症などいつ起きてもおかしくない。計画的な都市生活はいつ崩壊してもおかしくないと痛烈に感じている。経済学者で尊敬する岩井克人氏の「貨幣論」を緊急感を持って読んだ時、現在異常なまでの円安になっている日本円や米ドルも含めて貨幣というものもまた価値が崩壊しかねないものだと知った。だとしたら、そんな会社員の私がこれから起きる危機に対して出来る構えというものがあるとしたら、国家とか、会社とか、貨幣などのシステムに頼らない生き方を実践すべきだと考える。

実際のところいつ危機がくるなんてわからないし、資本主義はこのまましばらく爆走していくはずだ。ただ自分の生き方として、「システム」に頼らないメンタリティーとスキルを身につけたいと思っている。それが自分の思想による「生き方」だから。

都市生活をしながら「お金」というものから離れたオルタナティブな生き方を模索している。

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