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ベートーヴェンを救った飲み物と蝕んだ飲み物🌈

幼い頃から、

・父親のスパルタ教育に耐え続ける
・家族を経済的に支える
・身分による差別を受ける

など、苦労の連続だった、ドイツの音楽家『ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)』。

音楽家でありながら、20代後半から難聴を患います。

彼は当時、命を絶つ寸前まで追い詰められていたといいます。

弟カールと父ヨハンに宛てた遺書『ハイリゲンシュタットの遺書』には、

・悪化していく難聴に対する絶望
・芸術家として人生を全うするために、精神的・肉体的に病気を克服したい

など、当時の生々しい感情が残されています。

「私は、人より優れた耳を持っていると、周りから思われているのに、『耳が聞こえづらいので、すみませんが、大きい声で言っていただけませんか』などとは恥ずかしくて言えなかった」

そんな彼を引き止めたのは、「芸術を突き詰めたい」という信念でした。これを原動力に、絶望を乗り越え、作曲家として大成します。


音楽家としては致命的だった耳の病に、一度は思いつめて遺書までしたためた『ベートーヴェン』。

そんな彼を救ったのは、『コーヒー』でした。

彼のこんな言葉が残されています。

「一杯のコーヒーは、インスピレーションを与えてくれる」

彼は、毎朝、コーヒー豆を60粒きっちり数えてから、豆を挽き、コーヒーを飲んでいました。

客人をもてなす際は、特に念入りに数えていたそうで、

「間違っても59粒や61粒であってはならない」

と、何回も数え直すほど、豆の数にこだわりがあったようです。

ベートーヴェンは、大の酒好きとしても有名で、オーストリア産の赤ワインを好んで飲んでいました。

最初は、ハンガリー産の赤ワインを飲んでいたようですが、

「ハンガリー産のものは身体に合わなかった」

自身が健康を害したのは、ハンガリー産の赤ワインが原因と考え、オーストリア産の赤ワインに切り替えたそうです。

健康には気を使っていたようですが、40歳になる頃には完全に聴覚を失い、心身ともに疲弊した日々を送ります。

そんな中、1824年には『交響曲第9番』を生み出し、1827年に58歳で人生の幕を閉じています。

死因は肝硬変。

その前には肺炎を患い、黄疸も発症するなど、様々な症状を患っていたそうです。

病床で『10番目の交響曲』の製作に着手していますが、それは未完のまま、亡くなっています。

ベートーヴェンの死を多くの人々が悲しみ、葬儀には、参列者2万人。その中には、シューベルトなど有名音楽家もいたそうです。


死後に行われた解剖の結果、肝臓や腎臓など、多くの臓器に損傷があったようですが、何より注目されたのが、毛髪から検出された「通常の100倍近い鉛」。

当時のワインは、醸造過程で甘味を出すために、鉛の化合物が大量に加えられていました。

このワインが、彼の死期を早めた可能性が高いと言われています。

ただ、一般的に鉛中毒による聴覚障害は『軽度』。

「鉛中毒でベートーヴェンのように難聴になるのか?」という点については、議論の余地がありそうです😌

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