湍廼舎

皇學館大学文学部神道学科卒業。神道学・神社史・地域史について勉強しています。

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最近の記事

明治天皇と日野市

明治天皇と日野との関わりは明治5年(1872)に始まった六大巡幸の四回目、明治13年(1880)の中央道巡幸に始まる。中央道巡幸は明治13年(1880)3月30日に布告され、4月29日に6月16日東京御発輦の日程が発表、当日午前9時30分赤坂仮皇居を御発、甲州街道に向かわれた。甲州街道の各宿場、日野宿においては前日15日より入念な奉迎準備が進められ、武蔵国総社である大國魂神社では奉幣が行われ、幣帛が神前に捧げられた。この巡幸には伏見宮貞愛親王、三条実美(大政大臣)、伊藤博文(

    • 三井と神社(企業と神社その1)

      三井家と伊勢国江戸時代の豪商、近代の財閥と知られる三井氏の元は近江六角氏に仕えた武士で、三井越後守高安の時代に主家六角氏が織田信長によって滅ぼされると伊勢国に移り、高安は伊勢商人や伊勢御師などと血縁や地縁を結び、高安の長男、三井高俊の代に伊勢松阪に住居し、酒や醤油の販売や質屋を営み、父高安の名乗りである越後守から「越後殿の酒屋」などと呼ばれていたが、時の松坂城主吉田重治より改名を命じられ「越後屋」を名乗った。 高俊は商売への関心が薄く、家業は妻である殊法が切り盛りした。殊法は

      • 「御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともにー天皇皇后両陛下の歩み」@日本橋高島屋

        御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともに ー天皇皇后両陛下の歩み日本橋高島屋で令和5年5月17日から6月62日まで開催中の「御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともに ー天皇皇后両陛下の歩み」を拝観した。 まず、日本橋高島屋本館正面入り口を入ると平成5年(1993)に天皇皇后両陛下が御成婚パレードに御乗車遊ばされたオープンカー御料車が展示されている。 オープン御料車は平成2年(1990)の御大礼で「即位礼正殿の儀」の後の「祝賀御列の儀」にて上

        • 日野市川辺堀之内地誌

          東京都日野市川辺堀之内の歴史、地名、神社仏閣、施設などを紹介しています。 川辺堀之内の歴史川辺堀之内の先史 川辺堀之内の成立は定かではない。「堀之内」、「川辺堀之内」と地名も資料により異なり由来は定かではない。隣接する八王子市にも堀之内という同名地名があり、由木堀之内とも称するが当地との歴史的関係はみられない。 縄文時代から古墳時代にかけての出土品から日野台までの段丘沿いに人々が生活していたことが確認されていたが、平成20年(2010)代に開始された川辺堀之内区画整理事業

        明治天皇と日野市

          湍廼舎へようこそ

          私は伊勢の皇學館大学で神道学を修めていました。そのときの知見を生かして神社神道に関すること、自分に関わりのある地域ことなどについて書いていこうと思います。 このnoteを書くにあたっての方針 皇學館では上記の令旨を現在でも建学の精神にしています。私も倉田山で学んだ者として、文章を書くにあたり、令旨を奉戴し、館友としての節度をもって記事を書いていこうと思います。 湍廼舎について 湍廼舎(はやせのや)は筆者の号です。 五十鈴川や宮川、多摩川や浅川の清流が号の由来です。 東

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