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イタリア歴史探訪②Piacenza

こんにちは、ハヤシヨウヘイです。
先回に続いて、これまで5年ほど暮らしていたPiacenzaピアチェンツァについてその歴史と併せて触れていきたいと思います。

ピアチェンツァ、どんな町?

ピアチェンツァはエミリアロマーニャ州の西の端、西にはロンバルディア州のミラノと隣接する県です。
町自体はそこまで大きくはなく有名な町ではありませんが、大河ポー川に接しその土地の立地上、物流拠点となっており多くの物資が行きかいます。
パダーノ平野の一部、農業も盛んで、イタリア料理には欠かせないトマトの生産量はとても多く、缶詰めになって各地に出荷されています。

隣県パルマではparmiggiano reggiano パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズが有名ですが、ほぼ同じものでピアチェンツァではgrana padano グラナパダーノ・チーズが作られています。生産量はこちらのほうが多いくらいで、この地ではとにかくなんにでもチーズをかけます。
はじめのころはパスタ一皿にふたつかみもチーズをかけているのを見て驚いたものです。

ピアチェンツァ、ローマ時代

ピアチェンツァの町の歴史は古く、紀元前までさかのぼります。
ローマ共和政時代、プラケンティアという植民都市がその起源で北方ガリア(現在のフランス方面の民族)からの防波堤として建設されました。
有名なところでは、当時ローマを恐怖に陥れた北アフリカ、カルタゴのハンニバルとの決戦、トレビアの戦いがあった場所でもあります。

現在のトレビア川、かつて戦闘があったと言われている場所


その名残を残す遺跡もいくつかあり、厳重に保護されているというわけでもありませんが、いづれも町から離れているのでアクセスは大変です。
一番おおきな遺跡としてはヴァッレイア・ロマーナValleia Romanaがあります。
大きいといってもローマなどで見かける遺跡ほどは大きくないのですが、集会所や神殿、いくつかの住居がそろっており、当時の様子がうかがえます。
私が行ったときには残念ながら閉鎖中で入れなかったのですが、今は再開しているらしいです。
18世紀中ごろに発見されましたが、町から離れていることもありさほど有名ではありませんでした。近年改めて見直されるなかで、コンサートやイベントなどにも利用され、再び市民に思い出されるようになってきました。

小さいものでは丘の上に鎮座している小さな浴場跡、ハンニバルとのトレッビアの戦い跡地など、いくつかのみどころがあります。

中世以降の歴史と建築物


中世期には立地的、宗教的重要性からある程度の力を持った都市として存在感がありました。

当時の常として、都市の支配は幾度となく変わり14世紀になるとミラノのヴィスコンティ家、スフォルツァ家の支配を受けることとなります。
さらにフランス、教皇とその支配者を変えながら、16世紀中ころにはパルマ及びピアチェンツァ公国としてファルネーゼ家の統治下に入りました。

13世紀から残っている(と言われている)リバルタ城、元伯爵が今でも住んでいて、わたしも働いていました

今は博物館として使われているファルネーゼ宮殿には当時の資料や貴族生活の様子がわかるもの、より古い建築物やモザイク画などの一部が収容されており歴史・考古学好きにはとてもワクワクする場所です。

イタリア統一時には最初期にガリバルディの元につき、その事業に大きな貢献をしました。
第二次世界大戦に入ると、大規模なパルチザン(レジスタンス)活動の舞台となります。
ナチスドイツ軍との戦闘があったと聞いた場所は、今では豊かな丘陵地帯ともいえる場所で、そのギャップに驚いたものです。



地元の友人は指差しながらあのあたりにパルチザンが潜んでいたなどと説明してくれました


ピアチェンツァは旅行に来ると一日で終わってしまう本当に小さな町なのですが、一度はいると多くの魅力を次から次へと見せてくれる素晴らしい町でした。
ミラノに旅行に来られたら、一度訪れてみるのもいいかもしれません。


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