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私の命日


きょう、6月14日は私の命日でした。

その日はとてもよく晴れていて、みんなにとってはなんでもない1日がゆっくりと流れていました。私は病院のベッドに固定されたまま、もう随分意識が戻らなくなっていましたが、かわりに身体を離れて散歩ができるようになっていました。
知っていましたか?身体から離れても壁や物をすり抜けたりはできないこと。もしそうなったら図鑑に描いてあるみたいに地面のさらにそのむこう、マントルまで潜ってみたかったのに。残念です。

私は3階建ての病院の屋上でその時を静かに待っていました。病室には両親が詰めかけて、足の悪いおばあちゃんは私の枕元で声を上げて泣いていました。私はどうにも見ているのがつらくて、気付かれないように静かに屋上への階段を昇りました。

見渡す街には郵便配達のおじさん、日傘の女の人。自転車のお兄さん。色んな車や人が通り過ぎて行きました。それをぼんやり眺めているうちにあっという間に日が傾いて。遠くに臨む小学校では子どもたちがサッカーをしていました。じゃれ合って楽しそうに。あの1日は永遠のようで一瞬のようにも感じました。

そして私はその時を迎えました。細い糸が切れたみたいにフッと足先が軽くなって。

ああ。とわかりました。

私はゆっくりと屋上を離れていきました。1m、2m、・・・10m どうなってしまうのか不安でたまらなかったので、徐々に離れていく屋上をじっと見つめていました。

はるか上空をシュルシュルと音をたててジェット飛行機が飛んでいきました。私はようやく丸い地平を見回すことができて、青とオレンジが混ざった私の街を見回すことができて。世界が、眼鏡のレンズみたいに内側にも外側にもずっと続いていることを見つけました。私ははじめてそのときホッとして、ホッとしてしまって。目尻からこぼれた涙は空中に溶けて空の一部になりました。

さようなら。ただいま。
はじめから境界線なんてなかったんだ。
もうずっと離れなくていいんだ。

でも、ごめんね。本当に、ごめんね。

ただいま。

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