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ゴールは歩いた先に

中学生の後半くらいから高校、大学、と世間に背中を押されて当たり前のように進む間、
「私は将来どうしたいのだろう。何者になりたいのだろう」
とずっと悩んでいた。そしていつまでもそれが決められないことに焦っていた。明確に将来を語る友人が居ようものなら眩しく、羨ましかった。
大学では法学部だったから、周囲には司法試験を受ける人や公務員試験を受ける人、大学院に進んで更に研究を深めようとしている人がいっぱいだった。そこまでしなくても、企業の法務部や法に携わる仕事に就きたいという現実的な夢を持っている人は多く、私はずっと疎外感を感じていた。

親に勧められるままに気の進まない大学の、たいして興味のない学部に進んだ私は、将来にも主体的な展望を全く持てずにいた。
それでも時間は残酷なほど粛々と過ぎて行く。やがて当たり前のように「何者かになる」ことが求められる時が来て、已む無く就職活動を開始したのだった。
取り敢えず、アルバイト先で興味を持ったアパレル関係の職種に絞って活動してみた。が、華やかな外見とは裏腹に、女性には体力的に厳しい世界だった。だから当然、就活は苦労した。
両親はなぜ娘がそんな「くだらない」世界に行きたがるのか理解できず、無駄な足掻きをしている私を冷ややかな目で見ていた。もっとわかりやすい、当時花形だった金融関係や、父の仕事に関係の深い建設関係などの会社に入ってくれれば良いのに、という無言の願望をひしひしと感じる度、私はイライラした。
こんな年齢になっていながら、わかりやすく親に『反抗』していたのだと思う。自分という軸はどこにもなく、「親の望むようにはなりたくない」という望みだけが私を動かしていた。でも結果的には親の望み通りになってしまい、私は更に自己否定の沼に沈んで行ったのである。

今思い返せば、私はそもそも「主体的に自分の将来を考える」ということがどういうことなのか、全くわかっていなかったのだと思う。
「自分」はどうしたいのか。世間や親の考えが入らない、自分が「本当にやりたいこと」は何なのか。自分はどういうことをする時楽しいと感じ、夢中になれるのか。どういう事だけはやりたくないと思っているのか。それは何故か。
私はそこを全く見ず、ただ「どんな『肩書』を得るか」という事だけに重きを置いて必死になっていた。そんなことで就活が上手く行く訳がない。私が行き詰っていたのは「自分の要望を正しく素直に把握すること」に他ならなかったのである。

将来の『世間』なんて、どうなるかわからない。
私の同期には某大手証券会社に就職してすぐ、会社が倒産するという憂き目にあった者が何人かいる。私達が入社した時には誰も予想も出来なかったことだ。
YouTubeなんてものが登場するなんて、三十年前に誰が考えただろう。携帯電話が生まれ、あんな薄い一枚の小さな板になるなんて、そこに沢山の機能が詰め込まれるようになるなんて、私を含めた多くの人間がすっかりそれをあてにするようになるなんて、私が高校生の時は考えられなかった。
『世間』は日々変わってゆくのだ。これほどあてにならないものはない。昔は良しとされたことが、今は全く価値を持たないなんて事はざらにある。
だから『世間』を気にするだけ、時間の無駄である。

「将来何になりたいか」ではなく、「自分は何者なのか」を考える。「肩書」ではなく、「やりたいこと」を探し求める。
諸般の事情で、素直にその要望に従うのが困難を伴うこともあるだろう。だが一旦諦めたとしても、その要望は叶えられるまで自分の心の奥深い所に潜んで、ずっと気付いてもらえるのを待っている。その要望を叶える事こそが、自分の命をより輝かせる為に必要なことなのだ。
気付くタイミングに期限はない。早い方が良いが、明日亡くなる運命だとしても、魂の欲するところに気付き何か行動を起こせば、それだけでその日は充実した一日になるに違いない。
大学を卒業したら次は就職する、なんてのは『世間』が決めたことである。旅をしたければすればいいし、家で寝ていたいなら寝ていても良い。『世間』が何と言おうと、「自分が本当に心から望むこと」をやればいいのだ。
ゴールは先に決めるのではない。自分の歩いた先に自分だけに用意されたゴールがちゃんとある。だから急いで歩かなくていい。自分のペースで、自分の好きなやり方で、自分の足で着実に「小さくても歩みを進める」ことこそが大切なのだと思う。