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遅飯

私は夫も驚くくらいの「早飯」である。量を食べないせいもあるが 、外食しても早々とデザート選びに取り掛かってしまう私を見て夫は、
「もうちょっと味わって食べえよ」
といつも呆れ気味だ。
味わっていないつもりはないのだが、何故か早く食べ終わってしまう。若い頃の職場では昼食中に電話がかかってきたり、かきこむように食べて急いでお客様のところに行ったりが多かったから、この頃に時間のある時にさっと食べてしまう癖がついてしまったのではないかと思う。
ゆっくり噛んで食べるのが身体に良いとは知っているが、そうは出来ていないのが現状だ。

しかし、小学校低学年の頃の私は猛烈な「遅飯」だった。給食を昼食休憩の間に食べきるのは至難の業で、給食がある日は学校を休みたいとすら思っていた。
今はそんなことはないと思うが、当時は給食を残すのは許されず、よそわれた分は絶対に全部食べ切れ、と言われていた。
食べ物を残すのは罰当たりで悪いことだというのは百も承知だ。だが偏食も多く体格も悪く、あまり一度に沢山食べられない私は拷問を受けているような気分になったものだった。

小学校二年生の時の担任のH先生は物凄く食べ残しに厳しく、絶対に食べ終わるまで遊びに行ってはいけない、と言う人だった。
みんなが遊びに行ってしまった教室で、一人泣きながら給食を食べているとそばの机に座って
「もうちょっとやし、頑張って食べよか」
と頬杖をついて見守ってくれた。こっちは励まされようが、そばにいてくれようが食べたくないので迷惑な話だったが、先生は毎日のように付き合ってくれた。

その日もやっぱり一人残って給食を食べていると先生がやってきて、いつものように私のそばの机に座り、じっと私の食べる様子を眺めていた。
誰かに凝視されながら食事をするというのは食べづらい。余計に食事が進まなくなってしまう。だから「有難迷惑」であったが、怖いのでおとなしく黙っていた。
その日の給食はスパゲティだった。みんなは大好きなメニューだったが、家のミートソースに比べて味が薄く麺が柔らかく肉の少ない学校のスパゲティが大嫌いで、食べるのは苦痛でしかなかった。
泣く泣く食べていると、先生が机に両手をついて顎を乗せ、上目遣いに私を見ながら
「こんなちっさい身体に、みんなと同じだけの量入る訳ないわなあ」
と小さな声でぼそりと言った。
それまで先生はきっと食べるのが遅い私に怒っている、と思っていたので意外でちょっと驚いた。でもその通りだと思ったので、泣きながら食べつつウンウンと頷いたら、
「そのうち大きくなったら、平気で食べられるようになる。今はゆっくりでええからな」
と優しい声色で言ってくれた。
心の緊張が解けたせいか、昼休憩いっぱいかかったけれども後は泣かずに食べきることが出来た。でも「平気で食べられるようになる」時はいつになったら来るんだろう、私はずっとこの先も給食苦手なままなんじゃないか、と思っていた。

先生が言った通り、私が遅飯だったのは三年生までだった。四年生になるとあれほど苦痛だった給食が段々楽しみになったのである。当然食べる速さもみんなと同じくらいになった。嫌っていたメニューの殆どを「美味しいなあ」と感じられるようになっていた。味覚が子供から大人に変わる時期だったのかもしれないし、成長する段階に差し掛かり身体がエネルギーを欲し始めたのかも知れない。
その証拠に給食を美味しいと思えるようになるのと時期を同じくして、小さいながらも身長が伸び始めた。足のサイズが二十センチを超え、みんなと同じように紐靴が履けるようになった時の嬉しさは忘れられない。

先生もきっと、成長の速度に差のある子供達が全員同じ量の給食を食べろ、残すな、と言われることに違和感を感じていたのだろう。苦しそうに泣きながら食べる私を見て、あるべき食事の風景ではないことに疑念を抱きつつも決まりだからしょうがない、と思っていたのだと思う。
先生も私と同年代の子供が一人いる、と聞いていた。泣きながら食べる私が自分の子供と重なったのだろうか。

厳しく怖い先生が机に顎を乗せて呟いたあの言葉は、意外さとともに「わかってもらった」ちょっと嬉しい思い出として、私の遠い日の記憶に残っている。


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