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偲ぶ

元居た楽団の音楽監督だったA先生が亡くなられてから、早いものでひと月以上経った。
先生のことだから、きっと音楽界の重鎮や著名な団体からあふれんばかりの弔電や供花が来ていることだろうと思い、ご遺族の手間を考えて自分はそれら全てを遠慮させてもらうことにした。香典は辞退ということだった。お返しの大変さを考えてのことだと思う。
よく知っている場所での葬儀だったが、同じ理由で列席するのは差し控えさせて頂いた。
列席した人から聞いた話によると、先生は錚々たる教え子達によるトランペット5重奏で送られたそうである。きっと天国で満足そうに微笑んで、頷きながら聴いておられたに違いない。

私の経験から個人的な意見を言わせてもらえば、身内が亡くなった直後というのは寂しさとか悲しさを味わう時間はあまりなく、弔問の対応の慌ただしさと一連の必要行事による身体の疲れが感情を麻痺させたようになる。儀礼的であっても、親身であっても、悲しんでくれる他人は所詮彼岸にあり、自らの心のうちに深く呼応するものはあまり感じ取れない。そしてそれらが一陣の嵐のように過ぎ去った後は、静かな悲しみと虚無感に独り苛まれる長い時間が必ず来る。
明るく朗らかな方だとは聞いていたが、きっとA先生の奥様も同じお気持ちだろう。
何もせずにいるつもりは毛ほどもなかったが、しばらく弔意を示すのは待つことに決めていた。

ご逝去から一か月を過ぎるのを待って、奥様に小さなフラワーアレンジメントを贈った。
先生のことだから、
「んまに、みんな景気の悪い色の花ばっかり送ってきおってから。ワシ、暗いの嫌いやヮ」
とおっしゃっているような気がしたので、常識はずれかもしれないけど、白基調で、でも敢えて少し明るめのお花にしてもらった。
メッセージカードには最大の感謝の意を込めたつもりだったけど、上手くかけた自信はなかった。小さなカード一枚では言葉が足りない気がしたが、こちらの思いだけをぶつけても奥様に失礼だろう。花屋の店頭でカードを書きながら、先生の在りし日の笑顔を思い浮かべていた。

翌日、奥様からお電話を頂いた。
今年の年賀状で元気なお姿の写真を拝見していたので、とても驚いた旨伝える。奥様によると先生は生前お身内に、
「あまり病気のことは外に言わないでくれ。心配されたくない」
とおっしゃっていたそうだ。
他人の心配は信じられないくらいマメにして下さるのに、ご自分は人に心配されたくないなんて、先生らしいけど水臭いですよ、と言いたくなる。
奥様は私の名前を覚えてくださっていた。
「よくお話伺っておりました」
とおっしゃる。一度もお目にかかったことはないのだが、それだけ先生が楽団のことを気にかけていて下さったということなのだろう。
「苦しまずに逝きました。まだ骨は家にあります。良かったら参ってやってください。喜ぶと思います」
奥様は静かにおっしゃった。一瞬言葉を継げなかった。
『骨』という単語が奇妙な感じで私の耳に残った。先生とどうしても繋がらない。電話を切った後しばらく泣いた。
先生は本当にいなくなってしまったんだ、ということを信じたくない思いがまだ私の中にしぶとく残っていた。

今でもふとした機会に、先生の言葉や仕草を思い出す。
合奏中の的確な指示。それぞれの事情を理解し、自分にできる方法でそっと寄り添おうとする懐の深さ。
一人一人に対する謙虚な感謝の気持ち。自らに対する厳かで静かな、そして厳しい姿勢。それを外に見せまいとする強さとりりしさ。

もっと沢山のことを先生から学ばせて頂きたかった。残念でならない気持ちはこれから先もずっと消えることはないだろう。けれど先生の教えと姿勢は素晴らしいお手本として、しっかり私の中にある。こんな時先生だったらどうおっしゃるだろう、どうなさるだろう、いつもそれを自分に問い続けながら、これから先の人生を精一杯生きていくことこそ、先生への最大の供養だと思っている。

先生、天国で見守っていて下さい。約束ですよ。