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何故かずっと一緒に

我が家には一鉢のサボテンがある。前の家では玄関に飾っていたのだが、今の家はスペースがないので、私の部屋に置いている。
買ったりもらったりしたものではない。子供が小学校二年生の時に定期購読していた、科学雑誌についていた付録の種が元である。最初は付録に一緒に入っていた小さな鉢に蒔いた。間もなく本当に小さな小さな芽が出て、子供は喜んで毎日見守っていたものだ。
だが育って大きくなるにつれて、子供は段々無関心になった。小さな鉢が窮屈そうになってきたので、私が空いていた鉢に植え替えた。そこからまた徐々に大きくなり、今は直径十五センチくらいの鉢に二株が押し合い圧し合いしている。

種を蒔いた時の具合か、二株は至近距離に植わっている為、お互いを刺し違えている。しかしかなり強烈な棘の為、今更植え替えは出来ない。最初の頃にやっておいてやれば良かった、と思っているがもう遅い。
しかしお互いのことを考えて?いるのか、そういうものなのか、二株は互いに外側に傾いていっており、今のところ刺し違えの具合は酷くなっていってはいない。こっちは何もせず、心配しながら様子を見守っているだけである。
水はあまりやらなくても良いようで、かなり長いこと忘れていても枯れる様子はない。心なしか、水をやらない期間が長いほど、棘が鋭くなるような気がする。因果関係はよくわからない。水やりをさぼったこちらの後ろめたい気持ち?がそう思わせるのかも知れない。

花は咲かないのか、と夫はそればかり気にしているが、一向に咲く気配はない。それどころか花芽も付かないので、多分そういう品種ではないのだと思う。
舅はサボテンの世話を大層好んでしていて、花もいっぱい咲かせていたので、夫はサボテンと言うものは時間が経てば必ず花をつけるものだと思っている。
私は詳しくないし、花は好きだが多肉植物はあまり好きではないので、調べてみたことはない。まあ咲きたければいつか咲くだろう、くらいの感じでほぼ放置状態である。

引越しの時は厄介な「荷物」だった。自分達の車に載せることも出来たが、たいして思い入れもない、危険な棘だらけのブツを持って行く気にはなれなかった。手許に丁度良い大きさの箱がなく、已む無く大きめの鍋にタオルを敷いてビニールにくるんで入れ、鉢の上に『危険!サボテン!』と書いて貼り付け、引っ越しの荷物に入れた。
この注意書きは勿論、自分の為に書いた。引っ越しの忙しさに、サボテンを封入したことを忘れて思い切り鍋の中に手を入れたりしたら、怪我をしてしまいそうだったからである。
それでもうっかり棘で手を突きそうになってしまった。注意書きを見て「お、そうだった」と慌てて手を引っ込めた。危ない所だった。

実は「捨てサボ」することも引っ越しの時にちょっと考えた。綺麗な花でも咲くなら誰かにあげようかとも思うが、見た目も全然お洒落ではないし、棘ばかり鋭くて貰い手はなさそうだった。品種もわからず、鉢も適当で、あまり熱心に世話をしなくていい所だけがメリットだった。
近所の公園や川原などに、時折「どう考えても家庭に植わってた植物やろ」と思うものが植えられていることがあったので、コイツもそういうところで幸せ?に暮らせればいいかなとも思ったが、子供が遊ぶ公園に植えるのはやっぱり危険すぎるし、ここまで面倒を見たら最後までご一緒するかな、と言う気になった。

正月に帰省した時、子供は
「お!連れてきたん?大きくなったなあ!」
と言ってサボテンを面白そうに眺めていた。あんたが蒔いたんやで。忘れてへんか?
かれこれ十五年近く我が家に居ることになる。それまで色んな植物を植えたり育てたりしてきたが、こんなに長く一緒にいる子はいない。きっかけは「付録」だったけれど、不思議なご縁である。
今の家は小さな植え込みスペースがあり、今はマリーゴールドとアリッサムを植えている。ネモフィラはもう盛りを過ぎたので今日全て取り払い、その後に朝顔の種を蒔いた。今から楽しみである。
しかし植え込みがどんな花に代わろうと、私の部屋にはお互いに仰け反るようにして植わっている二株の地味なサボテンがある。こちらはたいして興味も関心もないが、陽の当たる窓辺でのんびりと静かにずっと、私達家族に流れる時を見守ってくれているような気がする。
久しぶりに少し水やりでもするか。