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物より気持ち

今年の私の誕生日の頃は、夫婦揃って忙しくバタバタしていた。
私が夫の母を老健に入居させた十日ほど後に、夫が同じ老健に出向いて舅の入居延長について話し合いに行った。他にも夫が一旦退職することに伴う諸々の面倒な手続きが山ほどあり、テーブルについてゆっくりお祝い、なんて雰囲気にはとてもならなかった。
実は夫と私の誕生日は十日も離れていない。だから毎年一緒にお祝いしていた。でもここのところ、日々が過ぎ去るのが本当に早く、忙しさにかまけてこのまま今年の誕生日はなんということもなく過ぎていくのかなあ、まあこの歳やし、もうええようなもんやけどなあ、とぼんやり思っていた。

当日の朝、夫は会社が休みで私は出勤だった。まだ寝ている夫を起こさぬように忍び足で台所に行くと、テーブルに何か置いてある。何だろうと近づいて見ると、
『Happy Birthday』
ブルーの花籠の絵に、それだけが書かれた小さな立体カードだった。

ここ数日、私は何年かぶりに出た喘息のせいで具合があまり良くなかった。朝目覚ましのアラームが鳴っても起きられない日が続いていて、夫も
「早く寝ろよ。朝も無理すんな」
と言ってくれていたのだったが、疲れ切っていてそれにちゃんと返事も出来ず、バタンキューという感じで寝ていた。
身体の具合が良くないと、心も沈みがちになる。無理に上げようとすると余計にしんどいので、抗わず色々を諦めて横になる、といった毎日だった。
前日の夜も殆ど会話もせずに、二階の自室に引っ込んで眠ってしまったので、夫がそんなものを用意してくれているとは全く気付かなかった。

夫は女性に限らず、あまりプレゼントというものをしない人である。子供にも買ってきたことがないし、私にも独身時代から数えても、あまり覚えがない。
「欲しいものがわからんから」
ということらしいが、夫の美的センスはかなり優れていると思うので、選んでくれても良いのにな、と密かにずうずうしく思っている。
結婚指輪を除き、実際貰ったことのあるのはネックレスとイヤリングのセットくらいだが、こちらはシンプルなデザインで私は結構気に入っている。尤も、アクセサリー嫌いの私はあまり着けないのだが。
着けないものをくれというのも妙なことだが、貰えば嬉しいだろうなあとも思うのは、身勝手な話だと我ながら呆れる。
花束を買って来てくれたことは一度だけあるが、折悪しく姑が特大の花束を送ってくれたのとかち合い、なんとなくお互いに気まずい思いをしてしまった。それ以来、買って帰ったことはない。

私の場合、問題は『何をくれるか』ではない。夫が私の誕生日に『何かアクションを起こそうとしてくれているか 』『特別な日として認識してくれているか』を確認したいのだと思う。
要は、
「お前の喜ぶ顔を見たくて買ったんだよ。これを買う時はお前のことを考えていたんだよ」
と言わせたいだけなのかも知れない。
だからか、この一枚のカードがとても嬉しかった。

熱烈な愛の言葉が書いてあった訳でもないし、チョコレートの一つも添えてあった訳でもない。普通の、多分三百円くらいの紙のカードなのだが、
「ちゃんと覚えてますぜ。おめでとうさん」
という言葉が勝手にカードから聞こえてくるような気がして、思わずニヤリとしてしまった。
忙しい朝だったが嬉しくて、自室の出窓に飾ってちょっとの間眺めていた。

出勤直前、夫が起きてきた。
「カードありがとう。嬉しかったわ!」
と言ったら
「おう」
と寝ぼけ眼をこすりこすり、笑っている。
「なあなあ、いつ用意してくれたん?どこで買ったん?」
とせっついて訊くと、
「そんなん、どうでもええやんけ」
とニヤニヤするだけで、何も教えてくれなかった。
窓辺に飾ったカードを見せると、夫は嬉しそうに頷いて、
「お前、今日も無理すんなよ」
とだけ言って、また寝床へ戻っていった。
私の反応を見たかったから、わざわざ起きてきたのだろうか。だとしたらちょっとカワイイ。

一体どんな顔をしてあのカードを買ったのかな。その時夫は私をどんな風に思い浮かべていたのだろう。こんなおばちゃんになっても、そう考えるとちょっとワクワクソワソワしてしまう。長い間連れ添っていても、夫にはまだまだ未知な部分が沢山あるなあと思う。
さて、出窓に飾ったカードを眺めつつ、朝食の準備に行くことにしよう。