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地下の攻防

学生時代のアルバイト先では、ゴミ捨ては新入りバイトの仕事と決まっていた。洋服店だから重いゴミはないが、商品出しの際に出る、商品を包んでいたビニールやかかっていたハンガーなどは、いつもかなりの量になった。
店は地下一階にあり、ゴミ捨て場は地下二階だった。サンタクロースよろしく背中に大きなゴミ袋を背負い、従業員通用口の重い扉を開けて、急な階段をトントン降りて行くとまた扉があり、そこを開けてしばらく行くと地下街全体のゴミ集積所があった。
レストラン街もあったから、勿論生ゴミもここに持ちこまれる。オープンから時間の経っている地下街だったから、集積所の床は長年のゴミのあれこれで、気をつけないと滑りそうなくらいツルツルしていた。夏などは匂いが凄くて、私はこの部屋に入る前には息を大きく吸い込んで止めてから、鼻から臭気を吸い込まないようにして、
「いつもありがとうございまーす。お願いしまーす」
とゴミを放り込んで逃げるように立ち去っていたものだった。

私が声をかけたのは、一人のおじさんだった。おじさんは朝から晩まで、ここに常駐して、皆が持ってくる大量のゴミを整頓していたのである。安全の為だろう、暑い時でも長袖長ズボンで、いつも竹箒を手に忙しそうにゴミを部屋の一番隅に寄せていた。その付近にゴミの搬出口があり、パッカー車にゴミを入れやすくする為だと思われた。
何故かいつもサングラスをかけており、髪型はパンチパーマという外見だったから、私はいつもちょっとビクビクして緊張していた。
ゴミ捨てに行くといつも、
「それ、一番上に放り上げて!」
と荒っぽく言われるのだが、うず高く積み上がったゴミは、運動神経の鈍い私には到底投げ上げられる高さではなかった。ゴミを手にまごまごしていると、おじさんは私の手からゴミをひったくり、勢いよく投げ上げた。ゴミが上手く頂上に着地すると、おじさんは恐縮している私を振り向きもせず、また黙々と整頓を始めるのだった。

店は万引き防止のために必ず男子学生バイトを雇うことにしていた。その一人Aさんが、昼食休憩の時に私にそのおじさんの話をしてくれたことがあった。
Aさんは気さくな良い人でみんなに可愛がられていたが、おじさんも例外ではなかったらしい。アルバイトを始めた頃、いつも大量のゴミを持ち込むAさんに話しかけてくれ、二人はすっかり気心の知れた仲になったそうだ。
そうこうするうち、おじさんは
「ウチに遊びに来い」
とAさんを誘った。Aさんがおっかなびっくり言われた住所を訪ねると、そこには信じられないような豪邸が建っていた。
笑顔のおじさんに招き入れられ家に入ると、優しく綺麗な奥さんが出迎えてくれたそうだ。豪勢な食事をふるまわれ、狐につままれたような気分で帰ってきたという。
「あの人、怖いけどな、ええ人やで」
Aさんはそんな風に言っていた。あの濃いサングラスをかけたむっつりとしたおじさんのそんな表情は、私には全く想像できなかった。

集積所には、デカいネ〇ミが主のように住んでいた。その大きさと言ったら、普通ではない。私はある時、コイツとゴミ捨て場に足を踏み入れるなり鉢合わせした。
見た瞬間、灰色のウサギかと思った。太ももにあたる部分がもりっと肉付き良く盛り上がり、毛並みはつやつやしている。太い尻尾は小さい蛇のように、長々と床に横たわっている。私が驚いて声も出ないでいるのを見ても、ちらりと一瞥をくれるだけで全く逃げようとしない。襲い掛かられるかもしれない、と恐怖を感じた。
やがて主は悠然と歩きだした。おじさんはこちらに背を向けて、部屋の片隅に居る。怖い人と怖い動物がいる、怖い空間。私は総毛だった。早くここから撤収したい、その一念でゴミを懸命に山に向かってシュートした。ゴミは珍しく、無事に頂上に着地した。
おじさんはちょっと振り向いた。そして主の姿を見つけると、
「コラァ!」
と大きな声を上げて、竹箒を振り上げて突進してきた。一瞬私に向かってきたのかと思って、何かおじさんの気に入らない事をしただろうか、と思ったが、主が急に素早く走り出したので、おじさんの怒りの矛先がわかった。
主はなんと、おじさんに向かっていた。おじさんは全くひるまず、竹箒一本で主と闘っている。
おじさんが噛まれないか心配ではあったが、それ以上に怖くて見ていられず、私は卑劣にも集積所のドアを閉めた。中からはドタドタと、おじさんが主を追いかけて走る音が聞こえていた。
店に帰ってAさんに見たことを話すと、
「ああ、おっちゃんしょっちゅうアイツとバトルしてんで」
というのんびりした答えが返ってきて、思わずのけぞった。しょっちゅうなんて、私は一度遭遇しただけでももうゴメンだと思ったのに、考えられなかった。

近所のゴミ集積所の前を通って生ゴミのすえた匂いが鼻先に漂ってくると、あのおじさんと主の凄まじい戦いの様子が、今でも私の脳裏にありありと蘇ってくる。
もう私の居た店はとっくに閉店している。ゴミ置き場がどうなっているのか、おじさんはどうしているのか、私には知る由もない。