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『公』の意識

先立っての仕事が休みの日、買い物に行こうと私はスーパーの近くの歩道を歩いていた。
そこに一人の高齢の男性が、買い物袋を手にスーパーから出てきた。この人ちょっと足元が覚束ないな、おいくつくらいだろうか、と思いながら私が男性の顔に目をやるのとほぼ同時に、その男性は突然、頭からすっころんでしまった。被っていた帽子は落ち、手にしていた買い物袋からはうどんや何か食品のパックが飛び出た。
私は思わず駆け寄った。私の少し前を歩いていた三十代くらいの女性も戻ってきて、
「大丈夫ですか?お怪我は?」
と声をかけながら、私と一緒に帽子を拾い、散らかった物を回収する。眉の下が少し切れているが、大した怪我ではなさそうで少しホッとする。
男性は立とうとしたが、足首がグニャグニャして上手く踏ん張れないようで、また地べたに座り込むと私達を見上げて、困ったような笑みを浮かべた。

その時、
「大丈夫ですか?立てますか?」
という張りのある若い男性の声が、後ろからした。振り返ると近くにあるマ〇ドナルドの店員の格好をした高校生くらいの男の子が二人、心配そうに男性を覗き込んでいる。出勤途中らしい。
「うん、ありがとう。多分、もう少ししたら立てるよ」
男性は途切れ途切れにこういうと、買い物袋を手に再び立とうとした。
と、男の子のうちの一人が
「お前、これ持ってくれ」
と自分の荷物を相方に手渡し、男性の脇を支えるようにしてくれた。
男性は暫くの間足首が不安定だったが、支えられるうちになんとか踏ん張れたようだった。
「ありがとう、もう大丈夫」
そう言って男性は横断歩道を渡ろうとした。見ていて危なっかしい。大丈夫かな、と私はもう一人の女性と顔を見合わせた。男の子たちも心配そうに渡ってゆく男性を見守っている。
男性は私達の視線を一身に受けながら、横断歩道をゆっくりと渡り始めたが、途中でこちらを振り返ってちょっと笑って頭を下げた。その時、
「お気をつけて!」
男の子の一人が男性に向かって大きな声で言った。男性はもうほぼ渡り終えている。見ていたもうひとりの女性と私は思わずホッとして微笑み合い、会釈して別れた。

思いがけず温かい気分にさせてもらったが、ちょっと前にこれと似たような映像を見たのをふと思い出した。
仕事中のドライバーが、歩道に上手く上がれず難儀している車いすの人の手助けをした一部始終を記録したものだった。
映像としてはホンワカする、気持ちの良いものなのだけれど、そこに寄せられた夥しい数のコメントを見た時、私はちょっと違和感を感じてしまった。
そこには運転手への賛辞は勿論、その所属する会社への賞賛の言葉があふれていた。それは当たり前のことだと思う。だが、なんとなく『やり過ぎ感』を覚えてしまったのだ。
今回私が見た男の子たちの行動も、記録されて多くの人の目に触れれば、そうなる可能性は大きいのかも、と思ったのである。

私の違和感の正体はなんだろう。
自分の天邪鬼さ加減を棚に上げて考えてみると、『他人に親切にすること』が『稀有なこと』として扱われていることをなんだか違う、と感じている自分が見えてくる。
高校生二人組も、ドライバーさんも、確かに素晴らしい行動をして下さったと思う。なかなかできる事でないとも思う。そういう意味では『稀有なこと』なんだろう。
だが、彼らは他者から賞賛されることなど、恐らく全く考えていない。目の前に困っている人がいるから助けただけのことである。その胸のすくような善意は、あんな風に大袈裟に絶賛する類のものなのだろうか。
件の映像のコメントの中にお一人だけ、
『当然』
と短く書いてらした方がいらしたが、その感覚が私には近いように思う。

人は誰しも『公』の一員である。その意識をどのくらい持つか、でこういう行動を取ることを特別視するかどうかが決まるように思う。
自分の住まう『公』が、いつも温かく、住みやすい、思いやりに満ちた社会であるように願い、そういう社会を作っていくのは自分達構成員なのだ、という自覚さえあれば、人は自然とこういう行動を起こすのだと思う。
『困っている人がいたら助けないといけない』
という誰かからのお仕着せの『教え』を優等生的に『守る』のではない。
なんの見返りも期待せず、『公』の構成員として、『困っている人は助けるのがこの社会の当たり前やん』とすんなり思えることこそ、大事なことなのではなかろうか。
そういう意味でなら、彼らは現代社会に於いては『稀有な』人達なのだと思う。

かく言う私も、『公』の一員としての自分の在り方なんて、若い頃は考えたこともなかった。見返りも人の目も、いっぱい気にしていた、愚かな人間の一人である。
遅まきながら五十も半ばを過ぎて、やっとそういう自覚が芽生えてきたのかも知れない。
あの二人の男の子たちにはいい勉強をさせてもらったと思う。





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