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良いんだけど

今日は世の中は休日で、夫も仕事は休みである。私の勤め先は年中無休だが、基本的に土日のどちらかは必ず休みを取れるようにシフト調整をしてくれるので、二人の休日は当然どちらか一日必ずかち合うことになる。
どちらかに予定がなければ、一緒に出歩いたりランチしたりすることも稀ではあるが、ある。それはそれで楽しい。以前は休みの日になると必ず登山に勤しんでいた夫も、平地ばかりのこちらに来てからは夫言うところの「おうち遊び」をすることが増え、在宅率が上がっている。それは別に良い。
が、こうなったらなったで、私の方はちょっと夫から離れたい、と思う瞬間もある。

私には一人きりで過ごす時間がどうしても必要である。何時から何時まで、と特に決めているわけではない。休日の朝の神社詣では最早私のルーティンになっており、これは外せない。しかし買い物などもついでにするので、純粋な「自分の為に取る自分の時間」とは言いづらい、と考えている。夫が同行してくれても別になんとも思わない。
私が一人で何をしたいのかというと、録画しておいたドラマを観たり、本を読んだり、楽器の練習をしたり、書き物をしたり…と色々ある。実にくだらない、そんなことくらい夫がいてもバリバリやんなさい、という声が聞こえてきそうであるが、私はこれらの行動をするときは一人が良いと感じている。

私はドラマを観る時はかなり感情移入してしまう性質で、往年の『水戸黄門』のような勧善懲悪のお定まりのストーリーであっても、ドキドキハラハラさせられるし、フィナーレにはよく泣いている。
が、夫は「あ、これって○○のステマやな」とか「んなことあるわけないやんけ」「もうすぐ印籠出るぞー」などと至極冷静でもっともな大人?の意見を横から言う。終わってからなら良いが観ている最中にこれを言うので、私は一気に興ざめする。
涙活したいとまでは言わないが、こっちがドキドキしようが泣こうが好きにさせて欲しいので、こういう意見は有難くない。なのでドラマは一緒に観ないことに決めている。

本を読んでいるとお互い静かで良いのだが、二人の読む本の傾向が全く違うことも多い。同じ傾向のものもよく読むのだが、夫は基本的に物語系の物は全く読まない。
私がそういう本を読んでいると珍しそうに背表紙をのぞき込んで、
「それって、面白い?」
とか
「どんな話?」
とかいう質問を投げかけてくる。
あいまいに返事することも多いのだが、正直気が散る。やめて欲しい。私は物語を読みだすと空想の世界に没入してしまうタイプなので、一気に現実の世界に引き戻されるのは、観劇中に急に舞台の幕が下りてしまうような感じがしてがっかりする。
だから放っておいてもらいたい。

楽器の練習は騒音公害防止の為、近所のカラオケに行くことにしているので、物理的にも夫との間にしっかり距離がある。純粋な自分の時間と言える。でないと練習にならない。
書き物をする時はのぞき込んできたりはしないのだが、なんとなく自分が落ち着かない。一人こもってやりたいと思ってしまう。誰かいると集中力をそがれるような気がするからだ。
夫もそんな私の気持ちは理解してくれているようで、書き物をしている間は一切話しかけてこない。以前は茶化すように
「”作品”の仕上がりは如何ですか?」
なんて声をかけてくることもあったのだが、最近はなくなった。
「楽しそうやから邪魔したらあかんと思って」
と言うのが理由らしい。あまり息を詰めるように居られてもかえって気を遣うが、そんな感じは今のところないから、夫のいる横で夫の記事を書いている…なんてことも最近はままある。私の面の皮も厚くなったなあと思う。

夫はと言えば、自分が何か好きなことをしている時に人に話しかけられても「邪魔が入った」とは思わないそうだ。『自分バリア』の緩い人だと感じる。
自室ではよくフライトシミュレーターであちこち『飛んでいる』が、そんな時に私が
「どこ飛んでんの?」
と声をかけても平気で答えを返してくれる。但し、離着陸の時は徹底的に無視される。危ないんだそうだ。大したパイロットぶりである。
本を読んでいても
「この本、ええで」
と傍らにいる私に自らお勧めしてくれる。夫による本の詳細な解説付きである。
だから読まなくても内容がわかってしまう。親切心なのだろうが、この時点で読む気が失せる。夫はそんなことお構いなしだ。話し終わった後は良いことを教えてやったぞ、とばかりにご機嫌である。
舅が元気だった頃、自分が観てきた映画の話をたっぷりしてくれた後に
「面白いからミツルさんも観ておいで」
とにこやかに一言添えてくれたのを思い出す。

良い伴侶を得たと思って感謝する毎日なんだけど、時には一人きりの時間を楽しみたいと思うのは贅沢かしらん。
ねえ、夫よ。