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男ってやつは

「私、三月七日年休頂いてるんですけど、家でボンヤリ過ごすことになるかも知れません」
昨日レジに入っていると、同僚のNさんがこう話しかけてきた。
「ん?確か息子さんの卒業式だったんではなかったでしたっけ?行かれるんでしょう?」
数日前にそんな話を聞いたばかりである。三番目のお子さんで、これで『学校』とはご縁がなくなるから専門学校だけど行ってやるのだ、と仰っていた。
Nさんは苦笑して続けた。
「はい、行くつもりにしていたんです。でも昨日息子が、『ゴメン、卒業式の保護者席、数が少ないから申し込み制やったわ』というので、慌てて確認したら申し込み締め切り日が一月の中旬で」
「ええ!とっくに過ぎてるじゃないですか!休み取ったのに、行けないんですか?」
「そうなんです。で、今学校に『なんとかなりませんか』ってお願いしていまして、返事待ちなんです」
「学校の返事は?」
「『キャンセルが出ましたらご連絡します』って。出ませんよねえ」
ため息をついて話すNさんがなんとも気の毒になる。

そばで商品出しをしながら聞いていたYさんが
「男の子ってさ、何考えてんだろうねえ。ウチの息子も似たような感じだったよ」
と笑いながら言う。Yさんは上が娘さん、下が息子さん。お二人共もう所帯を持っておられる。
「高校に入る前に教科書販売と制服採寸の日あるじゃん?合格発表の時にお知らせ配られたのを私に渡し忘れてたみたいでさあ。その日の夕方に職場に学校から電話かかってきて、『あのお、今日はどうなさいましたか?入学のご意思は変わりませんか?』って。慌てたよ!」
Nさんと爆笑する。しっかり者のYさんがお知らせを見ていれば、忘れる筈はない。
「どうしたんですか?」
「しょうがないよ。別の日指定されてさあ。息子と二人、ポツンと教室の片隅で・・・恥ずかしいったら」
Yさんも苦笑いする。
「男の子って『お母さんがなんとかしてくれる』って思ってるんじゃないですかねえ」
Nさんの情けなそうな言い方に、ホントホント、とYさんと二人笑いながら相槌を打った。

『三月の初めくらいにそっちに帰るかも』
息子からそういう内容のLINEが来たのは二月の終わり頃である。
『いいよ、いつでもおいで。待ってるよ!』
その時は気軽に返してそのままになっていたのだが、もうその三月になってしまった。こっちの予定もあるし、いつ来るのだろうと思い、
『来る予定は変わらんの?いつ頃の予定?』
と送ったら、
『あ、明日!』
と返ってきてビックリした。確かに三月の初めだけれど、明日って。
『泊まるの?』
『うん、そのつもりなんでよろしく~』
のんびりした返事である。
おいおい、それならもっと早く言うといてくれ。
本人全く悪気なし。やっぱり『お母さんがなんとかしてくれる』と思ってるんだろうかな。

息子はスーツにネクタイ姿でやってきた。
「月曜日に大阪に行かなあかんねん」
「就活?」
「それ以外の用事でこのカッコすると思う?」
「いや、あんたのことやから旅行かと」
「ちげーよ」
苦笑いしながら靴を脱ぐ息子の背中は、それでもちょっと頼もしくなっているような気がする。
大抵の企業は服装を指定しないそうなのだが、その企業からは『スーツ着用でお願いします』と言われているらしい。役員のフロアと面接室が同じ階にあるので、ということらしかった。

「地味やけど堅実な会社みたいなんで、覗いてこようかと」
夕飯にリクエストした唐揚げとポテトサラダをほおばりながら、息子は軽い調子で言った。
私は知らない会社だったが、夫はよく知っていた。
「手堅いとこやなあ」
「うん、そんな感じ。ま、色々見てみるわ」
いつの間にこんなに客観的に、落ち着いてものを見るようになったのかな。
就活就活、と焦る感じは全くない。時代も良いのだろうけど。

「あんた、靴下の替え持ってきた?」
息子は靴下のこだわりが強く、なかなかこちらの用意した靴下を履こうとしないので、いつも持参するように言ってあるのだが、
「あ、忘れた」
と予想通りの返事が返ってきた。
「ええわ、ずっとこれ履いとくわ」
火曜日まで四日間も!?
「あかん!匂うやろ!明日買って来たるわ。家で履くのは買ってきた奴にしな。それは洗っておいてあげるから洗濯に出しておいて!」
「おーすまん。ありがとう。頼むわ」
やっぱり『お母さんがなんとかしてくれる』と、無意識に思ってるようである。

早めに寝るわ、とあくびしながら寝室に引き取る息子の背中におやすみ、明日はゆっくり寝てなよ、と声をかけた。
もうすぐ巣立ちだなあ。
数年前の嵐のような日々がウソのような穏やかな夜の静寂に、あらためて感謝を深くした。