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『ねん』

同僚のDさんは、九州は大分のご出身である。この辺では『西側』出身者は珍しいから、同じく『西側』出身の私とはあるある話で盛り上がることもある。
しかしDさんはこちらに嫁いでもう四十年以上だとかで、彼女の言葉遣いはすっかり『東側』のそれである。だから彼女が『西側』出身だなんて、出身地の話になるまでずっと気付かずじまいだった。

先日シフトが一緒になった時、
「在間さんの『○○ねん』っていうの、すごく癒されるから好き~」
とDさんにニヤニヤしながら言われてしまった。自覚がなかったので、
「そんなに『○○ねん』って言ってますかね?」
と尋ねると、
「うん。この前本部の指示書読んだ時、『何言うてんねん。現場見てみいっちゅうねん』ってブツブツ言ってたじゃん。一昨日も商品整理してくれてた時さ、値札の千切れた靴持ってきて『ったく値札千切んなよ。どんな勢いで試着しとんねん』ってボヤきながら付けなおしてくれてたでしょ?聞く度に笑っちゃう。面白いよねえ。関西の人ってみんなそんな感じなの?」
と笑いながら言われて、ちょっと恥ずかしくなってしまった。
全ての関西人が誤解を受けては困るので、
「いや、関西人みんながこんなにいつもブツクサ言ってるわけではありませんよ」
と一応言っておいたが、Dさんの頭の中ではすっかり『在間=関西人=素でおもしろい』という図式が出来上がっているようだった。

私はこんな風に特に意識もせず、つい『○○ねん』と言ってしまう。もう身体に染み付いた言い方である。
この前も合奏終了後に椅子を片付けていた時、新しく入ってきた団員に
「これってどこに置くんですかね?」
と訊かれ、記憶が曖昧だったので、
「さあ、多分ここら辺に置いてあったと思うねんけど」
と答えたら、その場に居た二、三人がわあっとなり、
「在間さんって関西のご出身ですか?」
と笑いながら訊かれて、ちょっと恥ずかしい思いをした。

そんなことくらい別に良いではないか、と思われるだろうが、こういう時の皆さんの反応が、まるで『希少生物』を偶然発見した時のような感じなので、ちょっと違和感がある。
関西にいる関東人もこんな感覚を覚えることがあるのだろうか。どうもお笑いのイメージが先行していて、『あっ、面白いもん見つけた!』という感じで指差されるような気がするのは、芸人でも何でもない関西人の僻み?なのだろうか。
ここで
「そうやねん。ウチは関西の出身ですねん」
と堂々と言えるようなら、根っからの関西人と言えるのだろうか。
生憎、私にはまだそんな度胸はない。
でもこういう時はいつも『関西の言葉って柔らかくてええやろ?』とは胸の奥で呟いている。

イントネーションの違いには随分慣れたつもりである。仕事で接客している所為だと思う。
例えば『駐車場のご利用はございませんか?』と言う時、『駐車場』はこちらではほぼ平坦で抑揚はないが、関西だと確実に頭の『チュウ』とお尻の『ジョウ』が低く、真ん中の『シャ』にアクセントが来る。しかし関西式の言い方をすると、お客様から
「え?何の利用って?」
と聞き返されてしまうことが多々あったので、最近の私は関東式のイントネーションでお尋ねしている。
うっかり出てしまうことはあるが、一応聞き返されることは減ってきたので、まあ通じているんだろうと思っている。
でも言いなれたイントネーションを変えることに、ちょっと悔しさみたいなものを感じるというか、窮屈な感じがしてしまうこともある。
外国語と違ってなまじ通じるから、余計にそう思ってしまうのだろう。

気心の知れた仲間にはついつい『ねん』が出てしまう。これでも分かってくれるやろう、という無意識の気の緩みが出ているのかも知れない。
面白がられても、珍しがられても、私はずっと『ねん』を使い続けるだろう。お客様に対して使うことはないから、修正はきかないと思う。
『○○ねん』という言葉を特別視される時、なんとなく落ち着かない感覚と同時に、関西人の誇りみたいなものが私の胸に沸き起こる。多分、この先どこに住もうとこの感覚は変わらないだろう。
だって私、どこ行ったかて生粋の関西人やねんもん。