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ゴンと子供達

後には我が家も犬を飼うことになったが、私が小学生の頃ペットは小鳥だけだった。小鳥と言ってもコミュニケーションが取れるような種類ではなく、何かを可愛がりたい子供にとってはあまり嬉しくなかったし、世話は主に父がしていたので、私達子供には関係のないペットだった。
そのかわりと言っては何だが、近所には何匹か飼われている犬や猫がおり、よく可愛がっていた。その中に私達子供と遊ぶのが大好きな犬がいた。名前を「ゴン」といった。まごうかたなき雑種だった。

ゴンは同級生の家の犬だった。同級生は男の子なので一緒に遊ぶことは次第になくなったが、小学校低学年くらいの内はよく群れて遊んでいた。
その子のお母さんは家でずっと内職のミシンを踏んでいた。ブーッ、ブーッという低い音がいつも外まで聞こえていた。
「あんたら、ゴンの散歩行ってきてくれる?」
家の前で大勢で遊んでいると、お母さんが時々内職の手を止めて窓を開けて、息子たちにこういうことがあった。
「おばちゃん、私らも一緒に行って良い?」
「ええよー、ありがとう。車に気を付けるんやで」
お母さんはいつも窓から手を振って、散歩に出かける私達を見送ってくれた。ゴンの散歩というより、子供の遊びに犬を連れていく、といった感じでみんなこの時はウキウキしていた。子供というのは「いつもと違った特別な感じ」が好きだ。私達はゴンを連れて、あちこち駆け巡った。

ゴンの家の近所に個人経営の保育園があり、隣接する自宅で園長先生がセントバーナードを飼っていた。当時は「アルプスの少女 ハイジ」が人気だったから、おんじの愛犬ヨーゼフと同じ犬種ということで飼われていたのかもしれない。名前は忘れてしまったが、記述を進める都合上、この犬の名を仮にヨーゼフとする。
ヨーゼフは何故かゴンのことが大好きだった。この辺の散歩コースは皆主に近所の田圃だから、大体かち合う。ヨーゼフは遠くからでもゴンを見つけると、大喜びで速度を上げて近づいてきた。大型犬は一歩が大きいから、あっという間に追いついてしまう。私達が一生懸命逃げても、虚しい努力だった。
園長先生は細身の女性だったから、ヨーゼフを引き留める体力は全く持ち合わせていない。ヨーゼフが引っ張れば当然負ける。だからゴンに出会うと先生はいつも悲鳴を上げて引きずられていた。

では当のゴンは嬉しいかというと、全然違った。喜んだヨーゼフに舐めまくられるという拷問が待っているからである。
ヨーゼフはどんなにゴンが抵抗しようとしても全く意に介さず、馬乗りになって(というか腹の下に組み敷いて)尻尾をバサバサ振りながら、ベロベロ舐めていた。私達が一生懸命ゴンを引っ張り、園長先生が綱引きのように渾身の力を込めてリードを引っ張って、やっと二匹を引き離すという始末だった。
ヨーゼフはデカいせいか、よだれの量が尋常ではない。舌も大きい。だから気の毒に、舐められた後のゴンはあちこち糊で塗り固めたみたいにビショビショになってしまい、気持ち悪いのかしょんぼりしていた。

情けない姿になったゴンを家に連れて帰り、
「おばちゃん、ゴンまたヨーゼフに舐められてしもたー」
と笑いながら窓に向かって口々に言うと、おばさんはまた窓を開けて、
「あれあれ。じゃあ、洗ったってくれる?」
とやっぱり笑いながら玄関から出て、ホースリールを持ってきて水を出してくれた。
私達は笑いながらある子はゴンに水をジャアジャアかけ、別の子は犬用のブラシで毛を梳かして、みんなで大騒ぎして洗っていた。ゴンは水浴びは嫌いではなかったようで、気持ちよさそうにされるがままにしていた。
が、途中でブルブルっとやらかすと、みんなわあ!と慌てて飛びのいたり、水滴だらけになった顔を腕でこすったりしていた。
楽しい時間だった。

ゴンのいるところにはいつも私達子供が大勢集まって遊んでいた。散歩に行かない時も、みんなで集まればなぜかそこにはゴンがいて、おやつを食べればちょっとお相伴に預かり、かくれんぼをすれば先に隠れている子を見つけ、ボール遊びをすればボールにじゃれつく。みんな真剣に、
「ゴン!邪魔したらダメ!あっちで待ってなさい!」
などと言うのであるが、当然言うことは聞かない。居ると遊びづらい時もあるのだが、何故かいつも一緒に行動することが多かった。

私達が大きくなった頃、ウチの母がおばさんがゴンを散歩させているところに会った、と言ったことがあった。ゴンはヨボヨボしていたらしい。
「もう随分年寄りになってよお。子供と遊ぶ元気はないわあ」
と言ってらしたそうだ。
結婚後帰省した時にゴンの家の近くを通ったら、ゴンのいた水色の小屋はもうなかった。寿命を考えれば当然だろうけど、なんだか物足りない感じがした。

冬枯れた田圃を見るとびしょぬれになっていたゴンをいつも思い出す。
子供時代の懐かしい記憶である。