見出し画像

「後で」

先日夫とまた小競り合いをした。発端はゴミの片付けである。
とある映画を観に行ってきた夫は「大画面で映画を観たい」という病気にかかり、程なく4Kのバカデカいモニター画面を購入した。しっかりと重そうな土台も一緒である。一年以上前の引っ越しの際に持ってきた荷物(三割程度ゴミ含む)を全く整頓もせず、減らしもせずにまたこんな大きなものを増やしたことも、私には非常に面白くない。こういう人だ、とはわかっているが、いい加減にして欲しいとは思っている。今度の引っ越しの際に来た時より荷物が増えていたら同じ家には引っ越さない、と言ってある。半分本気だが、夫は本気にしていない。

大きなものであるから、大きな段ボールに入ってやってきた。緩衝材も大きい。これらは当然捨てねばならない。
夫はそれらを空き部屋に置いた。崩さず、畳まず、そのままの形である。私の抗議の視線を感じたのか、夫は私にニッコリしてこう言った。
「後で片付けるから、置いといてな」
そいういうと部屋にこもって映画を観ているようだった。

私はゴミをそのまま放置するのが大嫌いな性分である。イライラしてしまう。要らないものは早めに廃棄するのが良いと思っている。不要なものをいつまでも家の中に置いていると、運気の流れだって悪くなると信じている。
夫の「後で」がいつなのだろう、と思いつつ黙って数日間見ていると、やっぱりいつになっても片付けようとしない。
そのうち子供から「引っ越し先に置ききれない荷物を一旦預かって欲しい。〇月〇日に着くように送ってきてくれ」という連絡が入った。そう沢山ではなさそうだが、置き場は空き部屋しかない。
ゴミを片付けるしかなさそうだと思った。夫の「後で」を待つことはもう無理だ。

黙々と片付けを始めた。段ボールはかなり丈夫で固い。全体重をかけて、いくつかに折っていく。紐を使っていくつかに分けてまとめた。次に緩衝材の発泡スチロールの処理に取り掛かる。私の身長くらいの長さがあるので、これも私が上に乗って折らねばゴミ袋に入らない。ポンポンと発泡スチロールが割れる大きな音がした。すると音で気付いたのか、夫が自分の部屋から慌てて出てきた。
「後でやるって言ったやろ!放っておいてくれよ!」
夫は猛烈に怒っている。怒るところと違うでしょう、と心密かに呆れたが、予想通りの反応でもあった。私は黙って残りのゴミの処分を終えると、落ち着き払って夫にこう告げた。
「自分の出したゴミ、片付けてくれた人に対して普通怒るかな?『ありがとう』って先ず言わんかな?」
夫は言葉に詰まった。
「あんたが『後で』って言ったのは聞いてた。でも明日、子供から荷物が来るんや。この部屋は空き部屋やけど、物置きまくっていいとは私は思わん。あんたの『後で』を私は待てなかった。それは私が悪い。でも、もうちょっと言い方ないかな?あんたは『片付けない自分』を私に責められてるような気がして嫌やっただけと違う?」
夫は悔しそうだが、ぐうの音もでない様子である。

夫の『後で』は半年後だったのかもしれない。でも私の『後で』は遅くとも二、三日後という感覚だ。
人によって『後で』の感覚は違って当たり前である。自分が『後で』やるつもりだったことを他人に先にやられたら腹も立つだろう。夫の『後で』に自堕落だと怒るのは、夫を私の意思に従わせようという私のエゴだと思う。
但し、自分の出したゴミを片付けた人間に礼も言わず一方的に怒るのは道義的にどうかな、と思う。私はそこだけを追求したのだ。

ゴミは恙なくまとめられ、いつでも出せる状態になった。スッキリしたが、夫はまだ不満そうである。
不要なものはとっとと片付ける。これは譲れない。でも他の『後で』は、ちゃんと「期限はいつなのか」を話し合おうと思う。夫に憤りも感じる反面、ほんの少しだけ悪かったとも思っている。
夫の「後で」はこれからも何度も聞くことになるだろう。
それをどうとらえ、どうリアクションを起こすかは私の側の問題である。
それにしても、次の引っ越しまでに夫の片付けの「後で」の期限はくるのだろうか。
八割方諦めているが、一応今はその時が来るのを待っている。