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仏壇を掃除する

今、京都からの新幹線の車中でこれを書いている。
姉から頼まれていた姑宅の掃除などは、二日間かけてほぼやり終えた。前よりも勝手がよく分かったのと、姉が先に色々準備しておいてくれたので、大変やり易かった。
疲れはしたが姉といい、母といい、多くの人に助けてもらったので、前回よりずいぶん楽だったように思う。夫も夕飯は済ませて来てくれる。
有難いことである。

今回一番手間取ったのが仏壇の掃除だった。といっても小さな仏壇だから、やることはたいしてなさそうに思うのだが、始めると細かい厄介な作業がいっぱいあることに気付いた。
私の実家にも母方の祖父母宅にも、仏壇はなかった。父方の祖母宅には大きな仏間があった。小学生の頃に、祖父の三十三回忌で仏壇の前に座った覚えはあるが、やたら大きな家具のような、壁と一体化した仏壇だった事をうっすら覚えている程度である。
まして祖母がそこを掃除している様子なんて見たこともなかった。
だから私は仏壇の色々を全く知らない。こういう時とても困る。

小さな細かい細工を施したものが多いから、倒したり、ちょっと力を入れすぎるとバキッといきそうでヒヤヒヤする。戻す時に順番を間違えないように、手前からそうっと中の物をどけていく。
畳に予め新聞紙を敷いておき、その上に並べることにする。
燭台、位牌などを慎重にどけ終わり、やっとご本尊?を取り出す。

中の物を全部取り出したところで、恐々仏壇の中を拭き始めた。ご飯を供えはするがご本尊が召し上がることはないから、基本的にそんなに汚れない筈である。
しかし、そこは我が姑。どうやら供えたご飯を、手でちょいちょいと整えたりするらしい。ご飯の糊っぽい成分は、どうしても手に着く。その手のまま仏壇のあちこちを触るようで、とんでもないところにパリパリになった『ご飯糊』が引っ付いている。
本体は紫檀なので、あまりゴシゴシ擦る訳にもいかない。やむを得ず、セスキクリーナーを使ってそうっと拭き取る。時折米粒そのものが引っ付いて、強飯みたいになって落ちていることもある。
あまりに酷いので、一旦全ての『ご飯糊』を剥がした後、中に掃除機をかけた。この様子だと、きっとGもダダ走っていたに違いない。
ご先祖様、申し訳ありません。
『ご飯糊』は仏壇の扉やおりんの台などにもついていて、これを拭き取るだけで結構骨が折れた。

続いて埃を取る。
仏壇というのはどうしてこうも飾り彫りが多いのだろう。その小さな模様のそこかしこに、こんもりと埃が積もっている。ただの埃なら掃除機で吸えばわけないのだが、湿気と一体化して土みたいになった奴は始末に終えない。
古い歯ブラシなどでこそげ取れば良いのだろうが、使用済みの歯ブラシごときを仏壇掃除に使うのは、恐れ多くて些か気が引ける。しょうがないので、卓上掃除用の小さな箒(勿論新品である)を使って丁寧に落とすことにした。
おっかなびっくりやってみたが、案外よく取れてホッとした。落とした埃の塊は掃除機で吸いとっておしまいである。
埃を取ると、仏壇はウソのように綺麗になった。

あとは色んな台や位牌等を丁寧に拭いて、元の位置に戻せば良いだけである。しかし慎重にやらないと、ご本尊の腕が折れたり鼻が欠けたりしては一大事なので、そうっと一つずつ戻していく。
姑は以前、このご本尊の腕をうっかり折った事がある。やはり掃除をしていて倒したらしい。セロテープで腕をくっつけているのを姉に見つかり、こっぴどく怒られたそうだ。姉によって仏具屋さんでちゃんと修理されて戻ってきたのが今のご本尊である。どっちが親だか分からない。
当時姑は暫く腕が痛い、仏罰だと訴えていた。気のせいだろうと思うが、姑らしい。

が、私だってやりかねない。なんせ慣れていない。そんな事態は絶対にごめんである。
あまりに慎重にやったので、当初の予定を大幅に超え、一時間近くを費やしてしまった。集中力も要るしやたら疲れたが、家の掃除をし終えたくらいスッキリした。毎日と言われたら無理だが、たまにこういうことをするのも良い経験だと思う。
綺麗になった仏壇に花を供えて、手を合わせた。
ご先祖様、またカピカピの『ご飯糊』いっぱいつけると思いますけど、綺麗にしに来ますんで、愛想をつかさずおばあちゃんを守って下さいね。よろしくお願いします。

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