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初めての味

私が子供の頃は、まだハンバーガーは一般的な食べ物ではなかった。田舎暮らしだったから、余計にそうだったのだと思う。
ちょっと調べてみると、日本で初めてのハンバーガーショップは昭和四十五年(一九七〇年)に東京でオープンしているらしい。私が初めて食べた記憶が小学校低学年くらいだったと思うので、その頃には地方都市にも店がボツボツ出来ていたということだろう。
今でこそ見るだけでお腹いっぱいになってしまうし、もう長い間口にしていないが、若い頃は無性に食べたくなることもあったなあ、といつも懐かしく思いながら看板を眺める。といっても私はあの『パテ』の食感がどうも苦手で、いつもフィッシュ系一択だったのだけれど。

初めてのハンバーガーは母と妹と三人で食べた。
父は厳格な人で、ハンバーガーなど絶対にダメだ、こんなものは身体に良くないから食べるな、と厳命していたから、ウチの食卓にハンバーガーが登場することなどあり得なかった。
父が泊まりの出張か何かで一緒に食卓につかないある日、母が
「今日はこれ晩御飯な」
と言って、袋からごろんとハンバーガーを出し、フライドポテトを並べた。
私と妹は歓声を上げて、食卓に駆け寄った。
日頃から「食べたいね」「おいしそうやね」「お父さんあかんって言うやろうな」「大人になったら食べられるかな」と二人でコソコソ話しては、よだれを垂らしていたからである。

この時の母の表情を、私は不思議なほど覚えていない。
ハンバーガーに気を取られていたのだと思うが、ひょっとして母は後ろめたい表情をしていたのかな、とも思う。
子供達がハンバーガーを食べたがっているのは知っていても、買って帰れば夫に何を言われるか分からない。そう思うと一緒に喜ぶ気にはなれなかったのに違いない。
思えばこの頃、ウチの近所にはこんなものを売っている気の利いた店など、一つもなかった。当時は母も免許を持っていなかったから、きっと電車とバスを乗り継いで買いに行ってくれたのだと思う。
夫が不在の日、子供達に憧れの味を食べさせてやるチャンスだと考えたのだろう。

初めてのハンバーガーは、ビックリするくらい美味しかった。
冷めたポテトなんて今では遠慮したいが、当時の私と妹は夢中になって食べた。小さな破片みたいなポテトまで、綺麗に食べた。
私達の喜ぶ顔を見ていた母の表情もまた、私の記憶にない。
覚えているのはクシャクシャになったハンバーガーの白い包み紙と、塩のいっぱい付いた手を妹とペロペロしてから洗いに行ったこと、くらいである。

あの時、母はどんな表情をしていたのだろう。自分も母親になった今は、なんとなく想像がつく。
喜ぶ子供の顔が見られて嬉しい。自分も夕飯作りを一回休めて、身体は楽だ。だが夫への罪悪感がどうしても拭い去れない。
母は何も言わなかったが、私と妹はこの食事のことを父に告げることはしなかった。言えば母が怒られる、喜んで食べた自分達も後味が悪い思いをする、というのがわかっていたからである。

この後、母がハンバーガーを夕飯に買って帰ってくることはなかったが、この時くらいから、父が不在の時には『子供は大好きだけど父は嫌がる』メニューが食卓にのぼるようになった。
母には夫のいない時の夕飯くらい気を抜いて楽したい、という気持ちもあったろうが、子供達の喜ぶ顔が見たいという、純粋な気持ちもあったと思う。他の家庭の子供達が普通に、当たり前のように口にしている食事をたまにはさせてやりたいという、母心だったのだろう。
父は『身体に悪い』と言っていたが、栄養って口からだけでなく心からも摂るんじゃないかなあ、と思う。

近所のハンバーガーショップの傍を通る時、店の袋を提げ肩を寄せて笑いあう親子連れを見ると、この時の食卓を懐かしく思い出す。