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その無表情に興味津々

最近、近所の行きつけのコンビニに新しいバイト君が入った。
見たところ二十歳前後だろうか。背はあまり高くない。色白で小さな顔に太い黒縁眼鏡がよく似合っている。髪は薄い茶色。目線はいつも俯きがちだ。
私はこのバイト君のことがちょっと気になっている。断じてイケメンだから、ではない。
ここ数カ月間、彼の表情が動いたのをただの一度も見たことがないからである。

実はつい最近まで、声も聞いたことがなかった。
店に入った時に彼と出くわしても、レジをしてくれても、彼が『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』や『〇〇円お預かりします』といった店員として当たり前に発する挨拶をするのを、一度も聞いたことがなかったのだ。
だが数週間前、店長らしき人に向かって彼が『オーナー』と呼びかけるのを初めて聞いて、『ああ、この子は口がきけないわけではなかったのだ』と感心した次第である。

彼には愛想の欠片もない。黙ってレジを打ち、レシートをこちらに突き出す。しかも片手で、である。勿論無言で表情も全く動かない。その間も彼の視線がこちらを見ることは決してない。
同じレジ係という仕事をしている私から見ると、彼の態度は信じられない。まるで入社した時に見せられた『接客マニュアル』にあった、大きく赤でバツをつけた『悪い例』の絵の態度のようだ。
ああいうマニュアルにはかなり極端な、『実際にこんな態度取る奴おらんやろ』とふき出したくなるような例が挙がっているが、彼の態度はまさにその『極端なまでに悪い態度』そのものなのである。
初めはこの子は単なる照れ屋なのか、とも思ったが、いつまで経っても同じ調子なので『おやおや、照れ屋って訳ではなくこういう子なのかな』と思うようになった。

バイトの時だけこういう感じなのかも知れないし、思ったよりつまらなくて時給が低くて不満なのかも知れない。愛想良くする要因を仕事に見いだせず、ふてくされているようにも見える。
それにしても『いらっしゃいませ』くらい、呟くようにでも言っても良いような気がする。
なにが彼をあんなに黙らせているのだろう。日々謎は深まるばかりだ。

こんなに不熱心な様子ではきっとすぐに辞めてしまって、そのうち見かけることもなくなるのでは、と思っていたが、現在に至るまで案外長く勤めている。
駐車場を箒で掃いている彼の姿を、朝の出勤時に見かけることもある。やっぱり俯いて、無表情である。
熱心に掃除している風でもない。いつもウダウダとつまらなそうだ。小さな箒が重そうに見える。塵取りにちゃんとゴミを入れているのかどうかすら、怪しい。
彼の行動全てに、常に『無気力』が付きまとっている。

彼にも家族がいて、友人がいて、もしかしたら彼女も居るかも知れない。それらの人々に普段の彼は一体、どんな表情を見せているのだろう。
ここまで徹底して無表情だと、変に興味をそそられる。人間、こんなに長い時間表情を動かさないで居る事が出来るんだろうか、と不思議でしょうがない。
年齢的に息子に近い。息子よりは随分年下だろうが、この年代の子にしかわからない何かが、彼にもあるのだろうか。
色々想像を逞しくしてみるが、どうもわからない。

例え血を分けた肉親であっても、他人の内心の思いを百パーセント理解することは不可能だ。だから赤の他人の私があのバイト君の不愛想の訳を知ろうなんて、土台無理な話だ。
表情と内心は必ずしもリンクしている訳ではない。だから彼だって、本当はそこまで不愛想な人間ではないのかも知れない。
彼が片手で黙って突き出すレシートを受け取る時、私はついつい興味津々で彼をちらりと見てしまう。でも目が合ったことはただの一度もない。
不快な思いはしない。哀れに思うこともない。ただ、『変わった子だなあ』と心の中で密かに首を傾げるだけである。

彼にとって、私は大勢来店する客の内の一人に過ぎない。その中にこんな風に自分の背景について考えている変なオバサンが居るなんて、彼は想像もしていないだろう。いや、彼にとってはそんなこときっとどうでも良いのだ。知ったところで『ほっといてくれ』といわれるのがオチである。もしかしたら、彼はそれすらしないかも知れない。
でも私の方は、彼の不愛想がどうも気になってしょうがない。どうしてここまで無表情になれるのだろうか。理由が知りたくて仕方ない。
彼がここに居る限り、私は彼を訝しい思いで眺め続けるだろう。
でも彼が私の視線に気付く日は、永遠に来ないような気がしている。