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覚えんしゃい

「お前、明日休みやろ?」
夕飯後、夫が声をかけてきた。あー、もう。ため息が出る。
「明日は定期演奏会の強化練習で、朝から夕方まで出るって言うたでしょ」
「そうやったっけ」
そうですよ。しかも何回目ですねん。年末からかれこれ十回以上は言うてます!今週に入ってからはほぼ毎日言うてます。いい加減、覚えんしゃい。
「何回も言うてるやん」
「知らん、初めて聞いた」
「じゃあ覚えといてや」
いつものことなので、怒る気にもならない。翌朝になったらまた訊かれそうだ。

私の方は、夫の予定をいつも頭に入れている。出張、飲み会、休暇、京都の舅の病院に行く日、などは事前にわかるので、聞いたら覚えるようにしている。家族のカレンダーにも記入する。
私の予定も決まり次第、夫に伝えている。出勤日が変更になったり、楽団の練習日が増えたりといった程度だが、一応カレンダーにも書き入れる。なのに夫は私の予定にはてんで無関心とみえて、今まで一度たりとも
「お前、明日は○○やったな」
と夫の方から正確に確認されたことはない。
逆はある。休みの前の日に、
「お前明日は会社行くんやな」
などと言われようものなら、ちょっと待てい、となる。悪気はないと分かってはいても、『そんなに働かせたいんかい』とツッコミを入れたくなってしまう。

別にどうでも良いと言えば良いのだが、なんだかフェアじゃない気がしてならない。どうして私は夫の予定を覚えているのに、夫は私の予定を覚えないのだろう。
一つには、夫の行動予定は私の行動予定と大きくリンクしていることがあると思う。
夫が出張で夕飯を食べて帰るなら、食事の買い出しは少なくて良いし、夕飯は作らなくて良い。実家に帰るなら着替えの用意をしなければならないし、休暇の日に私が出勤なら、夫の昼食を置いておく必要がある。色々と私の方に段取りが要るのだ。
片や、私の行動予定は夫の行動予定と全くリンクしない。嫁が出勤しても、楽器を吹きに行っても、自分の生活に支障が出なければ全くノープロブレムである。だから覚える必要性は皆無に等しい。

もう一つは夫が、私を含めた『自分以外の人』の行動に対して、全くと言っていいほど関心がない人間であることだ。
この人は良くも悪くも、他人に関心が薄い。ないと言った方が良いかもしれない。初めて夫に会った時にチラリと感じた違和感の正体はこれであると思う。『異常』といって良いかもしれないレベルである。よく連れ添ったもんだと、いつも自分を褒めている。
本人に悪気はないし、自覚も当然ない。変わった人間も居たもんだとは思うが、これにイチイチ反応して『酷いわ!!』とハンカチを嚙んでみたところで暖簾に腕押し糠に釘であるから、無駄な抵抗はよして『こういうところのある人』とだけ、認識することにしている。追求しても自覚がないから、狼狽えるだけだ。だから今はもうしない。
『自分ワールド』に頭から足の先までどっぷり浸かっている夫には、他人のことに興味関心を向けることが不可能に近いのである。
現在進行形の他人の行動に対してすらこういった具合だから、これからの予定なんて尚更である。
覚えられない訳だ。

若い頃はこういう夫の気質に苛立ち、
「なんでそう、言うた事覚えといてくれへんの!!」
とムキになって食ってかかっていた。でも夫には酷く悪いことをしているつもりが全くないから、夫はなぜ私が泣きそうになって怒るのか全く分からず、いつもそんな私を持て余しつつイライラしていた。
当然、夫婦の仲は険悪な雰囲気になることも今よりずっと多かった。
今となっては懐かしい。

正直、嬉しくはない。ちっとは覚える努力をしてくれよ、とは思う。
だがこの人はそういう人。そういうところのある人だからって、冷たいわけでも意地悪なわけでもない。
ちゃんと私のことも家族のことも考えてくれている。ただこういう気質だから傍目に分かりづらい、というだけだ。
こう思えるようになったのは、四半世紀を経て、二人で様々な紆余曲折を乗り越えてきたからであろう。ああまたか、しゃあないな、もうええわ、という言葉を脳内で呟いておしまいにしている。

でも夫よ、妻としては聞いた予定はやっぱり覚えておいて欲しいんですよ。
なんとかならんかねえ。