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便利なセリフ

昨日、仕事から帰りがけに歩いていると、スーツを着た一人の若い男性が話しかけてきた。手にマンションのパンフレットを持っている。
「奥様、最近このお部屋、内装のリフォーム済みまして、非常に綺麗になっております。一度ご見学如何でしょうか?今からでもご案内させて頂きますが」
彼が指し示すマンションは、ウチの道を隔てた隣にある。ちょっと前まで賃貸だと思っていたくらい、少し昭和な雰囲気の残る古い物件である。住んでいる人はやや高齢の人が多い印象だ。
「どうですか、ちょっと覗くだけでも」
彼は必死に食い下がる。熱心だなあ、とは思ったが、生憎こちら関東で、しかもマンションに住む気は今のところない。
期待させるだけ可哀想だから、こういう時はこのセリフでズバッと断ることにしている。
「スイマセン。ウチ、転勤族なんです」

このセリフの効果は瞬時に出る。件の彼も、
「そうですか。失礼しました。またよろしくお願い申し上げます」
とすぐさま大人しく立ち去った。
「太陽光パネルを設置しませんか?」「電力会社を変えませんか?」「マンションを買いませんか?」など、この手の勧誘は山ほどある。固定電話を取っ払ってからは格段に減ったけれど、以前は電話を取ればこの類の話で、うんざりしたものだった。
「転勤族なんです」は、こういうセールスを断る言葉としては絶大な効果がある。
そこに住み続けられないんです、と言った時点で相手にはなんの旨味も与えられない人間であることが明確に、一瞬で分かるからだ。
より成約の可能性の高い顧客を追い求める為に、時間の無駄を少しでも省きたい彼らには親切な言葉だとも思う。

実際に私が営業の仕事をしている時も、『転勤族なんです』という先にはあまり込み入った商品を勧めなかった。同じ会社の支店があるところに移って行かれるならまだ良いが、ない所に行かれる場合は全部解約しなければならなくなり、商品によってはお客様の損になってしまうこともあるからである。
支店がたまたまそこにあっても、口座の移管手続きはなかなか面倒くさい。短時間では終わらないし、手数料も取られる。そしてお住まいが支店の近くかどうかはわからない。
つまり、お客様にご負担をかけてしまう可能性が高い。
それが分かっていて、セールスする気にはなれなかったのだ。

子供が幼稚園の年中の時、PTAの役員を務めたことがある。
この頃も転勤の可能性は常にあったが、いつやってくるか分からないものを理由に役員から外してくれ、とは言えず、取り敢えず引き受けるしかなかった。もし任期途中で転勤が来ていたら、補欠の人にやってもらうことになっていただろう。
結果的に年長に上がる直前に転勤が決まり、実際に移ったのは五月だったからご迷惑はかけずに済んだ。ちゃんと後任も決められたし、引き継ぎも出来たので、偶然とは言え良いタイミングだったと思う。
友人に話すと
「『転勤族です』って断ってしまえばやらずに済んだのに!」
と言われてしまったが、なんだかそれもズルいような気がして、結局言わずじまいだった。

関西で所属した楽団では、当初このセリフを盾に、面倒くさい運営役員に入ることを拒み続けていた。
しかし、不可抗力によって転勤が二回もふいになり、在団十年に近づいてくると、さすがにこの言い訳は使えなくなってきた。
とうとう已む無く、という形で引き受けたが、頭の中には常に『自分はいつかここから立ち去る人間』という意識があった。だから自分の役職をどのタイミングで、誰に、どんな風に引き継ぐか、を想定して、いつも準備していた。
周りはどう感じたか知る由もないが、準備していたお陰で、理想的な引き継ぎが出来たと思っている。

『転勤族だから』というセリフは、私にとって、諸々の面倒くさい事を問答無用で断ち切る便利な言葉だ。だがこれまでを振り返ると、その伝家の宝刀を抜くか抜かないかは、私がその土地でその時の人間関係の中でどう在りたいと思っているか、にかかっているようだ。

もう定年後再雇用の夫には、転勤は原則来ない。雇用延長の期限になれば、関西に帰る選択肢がある、というだけだ。それすら何も具体的には決まっていない。しかしここから居なくなる可能性の高い人間であることに変わりはないから、この先もこのセリフを使う機会は少なからずあるだろう。
ここを立ち去るまでに、私はあと何度この便利なセリフを口にするのだろう。
この地で過ごす時間が長くなるにつれて、その機会が減っていっているような気がするのは、私の気のせいなんだろうか。