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世の中の役に立つ子の育て方

人間は好きな事をする為に生まれてきている。
その信念はずっと揺らがない。

最近『響け!ユーフォニアム』や『青のオーケストラ』といった学園ものの音楽関連アニメを観る機会が多い。その度に羨ましい気持ちでいっぱいになる。
私もこんな風に学生時代を過ごしたかったなあ。喧嘩したり、先輩と話したり、コンクールに向けて頑張ったり・・・アニメに描かれているような、親と対等にする『喧嘩』もしてみたかった。我が家のはもっと一方的で、強圧的で、時には拳だって飛んできたのだ・・・。
どうしようもないことだけれど、失った時間を思うと凄く悔しい。

親の無理解を愛情がなかった、とは今は言わない。
でも、あの頃だったらそう言っても許されたのではないか、物分かりの良い娘を演じる必要はなかったんだ、と思う。自分の意見をハッキリと言い切ってしまったら、案外親は真剣に向き合ってくれたかもしれなかった。
今となってはカモカモ話、であるけれど。

人間は好きなことをトコトンするように、神様から仰せつかってこの世に生まれてきている。その使命を全うする為、何も他ごとを考えずにひたすら好きなことに向かっていくのが、子供の本来あるべき姿であると思う。
大人が手垢の着いた古くさい価値観を一方的に押し付けて、やれ勉強せなあかんやの、運動できなあかんやのと子供を追い立てるのは、百害あって一利なしである。
もっと言うなら神への冒涜である。折角神が子供という生命体に、ちゃんと最適なミッションを与えて地上に行かせているのに、勝手にそれを変更してしまうなんて、どうかしている。
ここら辺をちゃんとわかっていたのが、エジソンのお母さんとかになるんだろう。かく言う私とて、神を冒涜していた方の人間である。

好きなことをトコトンするのは、きっと誰かの役に立つ。
『誰かの役に立つ』為には、必ずしも自分を犠牲にする行動を伴わなくて良い。
自分が楽しくて、夢中になれて、それをやることで最高にハッピーになれることを、ずうっとブレずにやっていれば、自然と『誰かの役に立つ』ように、世の中は出来ているのだと思う。
周りが『そんなことして何になんねん』とか『それがなんの役に立つねん』とか言っても、全く気にしなくて良い。
親の役割は周りがなんと言おうと、自分達だけは最後の最後まで子供の味方でいてやることのみ、である。

小学校の時の知人に、ピアノのとてもうまい男の子がいた。
お父さんはバスの運転手。お母さんは専業主婦。ピアノはお姉ちゃんがやっていたから、ついて行くついでに習っていたらしい。
ところが彼は姉以上にピアノにのめりこんだ。
先生が「自分では教えきれないレベルになってしまったから」とより高名な先生を紹介し、彼はドンドンピアノを極めていった。
高校で初めての音楽の授業の時、先生がポロンとピアノを鳴らして
「自己紹介がわりに、この和音から自分でワンフレーズ作ってみて」
と言った時、彼は即興でワンフレーズどころでない素晴らしい曲を披露し、みんなをあっと言わせた。このエピソードは暫くの間、同級生の間で語り草になった。
校歌の伴奏はいつも彼。いつの間にか『音楽と言えばアイツ』みたいな雰囲気が学年全体で共有されていた。
その後彼は超一流の芸術大学で音楽を学び、今は教える仕事もしているらしい。今でも何かの折に、音楽家としての彼の名を目にすることもある。

ウチの母が彼のお母さんに会った時、彼の話になり、「スゴいねえ」と言ったら、
「あの子はなんでか分からんけど、ピアノさえ弾いてたら機嫌が良いんでやらせてたんよお。私らドレミもようわからんのに、おっかしいやろお」
とのんびり笑っていたというのを聞いて、羨ましいなあと思ってしまった。
もしこの親御さんが
「音楽なんかでウチの子が食べていけるわけがない。ピアノばっかり弾いてないで、勉強しなさい」
と言っていたら、どうなっていたか。
彼が今教えている学生は、彼に巡り合えていなかったかもしれない。彼の作る曲を聴いて感動する人はいなかったかも知れない。つまり、彼が『誰かの役に立つ』機会を親が奪っていたかもしれないのだ。
神から課せられた彼の使命を受け容れ、自分達や世間の想像する道とは違っていても、彼の進みたいように進ませてやることで、結局この親御さんは子供を『誰かの役に立つ』ように育てたことになっているのである。

子供を『誰かの役に立つ』人に育てたいなら、その子の好きなことをとことんやらせてあげれば良い。その子が我を忘れて夢中になれることなら、何でも良いのだと思う。
子供にとっての正しいゴールは、他者が先に示してやるものではない。子供が勝手に好きなことに夢中になっていれば、自ずと見えてくるようになっている。
子育てを終えた今、反省と後悔に苛まれつつ、腹の底から思う。

でも今更後悔しても始まらない。
これから私のなすべき事は、遅まきながら『自分の好きなこと』に真っ直ぐ向かっていくことなんだろう、と思っている。