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顔を上げて

我が家の植え込みには今、朝顔とひまわりの種が蒔いてあり、どちらもすくすくと成長中であるが、難敵に悩まされている。
ダンゴムシである。
コイツラは柔らかい葉が好きとみえて、出たばかりの葉を狙ったように食べる。植え込みを整理して汚かった落ち葉や、以前植えられていた植物のこぼれ種から好き勝手にはえた植物等を処理し、スッキリさせたら、奴らの食べる物がなくなったようだ。

雑草は暑くなると、何にもしなくてもあっという間にメキメキ成長するので、ダンゴムシ達には是非こちらを食して欲しいと思うのであるが、競うようにして僅かばかりの新芽を食べにくる。
雑草も食べた形跡はあるのだが、モリモリ食べてはいない。かじった程度である。
美味しくないのか、硬いのか、いずれにしてもお好みではないようだ。上手く行かないものである。

殺虫剤も売られてはいるが、何となく使いたくない。気持ち悪いから抹殺するというのは、人間の勝手で酷すぎる気がする。
そんな事をしたら、我が家の小さな生態系ピラミッドがアンバランスになるかも知れない。
頼む、どっか行ってくれと祈りながら、日々植え込みを黙々と整理している。

ただ手をこまねいている訳ではない。忌避剤兼肥料として、木酢液を朝顔とひまわりにやっている。
ただ忌避剤として使用するなら、もっと濃い濃度で撒かねばならない。しかしその濃度だと、新芽が枯れてしまう。
なので、肥料として薄い濃度で撒いている。肥料としては役立つかも知れないが、忌避剤としての効果はほぼないだろう。
まあこちらの気休めである。

かじられまくってほぼ葉がなくなってしまった朝顔の苗を見ていると、失礼だがふと今日退職する同僚のMさんの事を思い出した。

Mさんは新入社員で、とてもおとなしい人である。殆ど声を出さない。あまり笑わない。伏し目がちで、いつも何かに怯えているようで、なんとなく痛々しい思いを周囲に抱かせる。意地の悪い人になら、格好のターゲットにされるだろう。

お客様に何か少しキツイ事を言われるとすぐ涙目になり、うろたえる。可哀相なので助け舟を出すと、後から物凄く申し訳なさそうに何度も謝る。
みんなお互い様なんだから良いよ、気にしないで、とこちらも軽く言うし、本当にそう思っているのだが、本人は人の手を煩わせてしまった、と酷く落ち込むようだ。
こうなると助け舟を出すのにも、良いのかな、大丈夫かな、とMさんの様子を伺いながらになる。立て込んでいない時はこういった配慮も出来るが、繁忙時にはそもそも助け舟を出す事すら難しい事もある。
Mさんも、私達同僚も、勿論お客様も、誰も悪気はない。

こういった事のあった日、Mさんは体調を崩す事が多い。人数ギリギリで回している売り場だから、正直言うと困るのだが体調不良ではどうしようもない。周囲は協力してなんとかする。
するとMさんは申し訳なさで翌日以降もしんどくなってしまう。
休んだ翌日、出勤したMさんに「もう大丈夫ですか?無理しないで下さいね」と声をかけると、更に小さく首をすくめてうなだれている。
気の毒で何も言えなくなってしまう。

同僚は皆良い人ばかりなので、本心から「新人なんだから、色々わからなくて当然。もう少し遠慮せず甘えてくれても良いよ」と言う。
だが折角のその思いは、残念ながらMさんには届かないようだ。

Mさんが僅かに微笑むのは、こちらがお礼を言った時である。
何かをしてもらった時「ありがとうございます」というと目が笑う。
そういう時のMさんは、私には可愛い普通のお嬢さんに見える。

退職理由は、長引く体調不良であった。
その報を聞いた時、何か自分達がしてあげられる事はなかったのかな、残念だね、と同僚と話した。

Mさんが顔を上げさえすれば、周囲には沢山の人が手を差し伸べている事に気付くだろう。
世の中はそんなに冷たくない。だけどMさんが差し伸べられた手を取るのは、もう少し先の事になるのかも知れない。

かじられまくった朝顔の新芽に薄い木酢液の混じった水をやりながら、Mさんの前途に幸多かれと心密かに願っている、暑い朝である。