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思いがけない嫁ぎ先

子供の三輪車というのは、成長段階において必要なような、不要なような、微妙な位置づけの乗り物であると思う。乗る期間は本当に僅かなので、なければないでどうにでもなりそうなのだが、その僅かな期間が非常に退屈で、三輪車でもないと時間を持て余してしまうときているから、「やっぱり買おうかあ」と言いながら子供に与えてしまうのだ。
しかし子供の方の扱いは、他の玩具とあまり変わらない。新しくて珍しいうちは喜んで乗りもするが、自分で走った方が速いし、出せば片付けるのは面倒だし、しばらく経つとすぐに飽きてしまう。振り向かれなくなった三輪車は段々出番が少なくなり、やがて我が家ではベランダの片隅で枕干しの台になったりしていた。

子供が大きくなると、いつの間にか「いつ捨てるか」ということのみが話題になるようになっていた。買ったのは子供が幼い頃だったが、最初の引っ越しをする頃にはもう自転車にも乗っていたし、「どうする?」と言いつつ、何故か新しい引っ越し先に持ってきてしまった。
引越し先のベランダは大変広く、物がいくらでも置けたため、三輪車はすんなりと隅っこに収まって、それまでと同じように静かに眠っていた。
子供はこの地で小学生になった。お友達の妹さんや弟さんに使ってもらうにはあまりにも古びていて、三輪車の出番はこの先もなさそうだった。今度も「いつ捨てるか」という話ばかりしていた。
捨てる必要に迫られないまま、子供はとうとう小学四年生になった。

運動会が近づいたある日のこと、子供が息せき切って帰ってきて、
「お母さん!ウチの三輪車、学校にあげても良い?」
と張り切って訊くのでビックリした。
「へ?なんに使うん?あんなボロ、恥ずかしいてあげられへんわ」
私の本音だった。子供はわかってる、と何度も頷くと、
「オレな、ちゃんと先生に『ボロボロやで』って言うた。先生な、『それでもええ、欲しい、貰いに行ったらくれるか』って言わはった!」
という。
畏れ多い!こんなぼろ三輪車を、お忙しい先生に取りに来てもらうなんて!それにしても・・・
「何に使うねん?」
疑問はそれ一つである。子供は鼻を膨らませて顎を上げた。
「運動会でな、オレら四年生は障害物競争すんねん。途中でな、三輪車乗らなあかんねんけど、今学校にある奴では数が足りひんねんて」
なあるほど。それなら倒そうが、引きずろうが、存分にしてもらったら良い。
すぐに担任の先生に電話した。

「在間です。子供から三輪車をって話を聞きまして・・・かなり古いものですが、よろしいんですか?」
四年生の担任は、少し年嵩の女の先生だった。
「お母さん、すいません。ありがとうございます。探してるんですが、皆さん処分されてしまってて、あまり集まってないんです。下のお子さんがいらっしゃるところはまだ使っておられますし・・・大変ありがたいです。頂けるなら、取りに伺います」
そうよねえ、と苦笑いする。子供が四年生になっているのだから、普通はとっくに捨てている筈だ。我が家は物持ちが良いのか、単に面倒くさがりのぐうたらな家というだけなのか。
それにしてもあまりに申し訳ないので、
「先生、持って行きますよ」
と言ったのだが、
「いえいえ、今から頂きに上がります!」
と先生が大変急ぐご様子だったので、お言葉に甘えることにして、電話を切ると子供と一緒に、急いで三輪車を綺麗に拭きにかかった。
雨ざらしにしたことはないけれど、置いていたのが戸外であることは間違いない。長い間に日に焼けて、赤かった三輪車は薄いベージュみたいな色になっている。書いてあった文字も半分以上読めない。こんな姿になってから急にお嫁入りが決まるなんて、ビックリである。
急におめかしされて一番驚いていたのは、当の三輪車かもしれない。

やがて先生が来られ、恐縮するくらい丁寧にお礼を言って下さって、三輪車は子供の手によって先生の車に運ばれ、学校へと連れて行かれた。
「捨てんと置いといて良かったねえ!」
子供は嬉しそうに私を見た。
「先生が『家に要らない三輪車ある人~』って言うから、『はーい』って手ェ挙げたら、みんなに『マジ!?』ってめっちゃ驚かれてん」
子供は得意満面だったが、ちょっと恥ずかしかったのは言うまでもない。

運動会当日、三輪車は皆と一緒にこけたり、明後日方向に漕がれたりして大活躍していた。
いつもの運動会なら我が子を一生懸命見るだけなのだが、障害物競争の時は
「あ、あの三輪車、今○○君乗ってる!」
と夫と二人、大いに笑わせてもらった。

今もあの子は、小学校の倉庫の片隅で、年に一度の出番を待っているのだろうか。
秋になると思い出す、運動会にまつわるちょっと変わった思い出である。