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根強すぎる日本の駅伝文化

数日前、Xに上がっていたあるネットニュースが僕の目に止まりました。

内容は「駅伝シーズンがある限り、世界との差は埋まらない。ただ、駅伝はチーム運営に必要なものであり、今後どう活かしていけるか」というもの。
これに幾つかの選手が反応。
まず3000m・5000m日本記録保持者の大迫傑選手

次に5000m日本歴代2位の遠藤日向選手

そして今年の世界陸上3000m障害で決勝進出を果たした青木涼真選手。

これまでの僕のnoteを見ている方はご存知の通り、僕自身も駅伝否定派の考えであり、以前駅伝に対して物申す記事を執筆しました。これら4つの意見を見て、似たような意見が広まりつつあるのが嬉しかったのと、上記で紹介した3選手は全員世界の舞台を経験しているからこそ、このような考えにたどり着いたのかなと感じました。
※下は以前書いた駅伝についての記事

ただ、今後このような意見が増えてきても、日本中長距離界の駅伝至上主義というものは続いていくと思います。それはなぜか。駅伝が日本という国にとって大きなイベントであり、スポンサー企業に多大なる影響を生み出してしまっているからです。

数ある駅伝の中で最も注目される駅伝は毎年1月2日と3日に行われる箱根駅伝であり、視聴率は毎年30%前後を記録しています。以前執筆した「駅伝大国・日本が世界で通用しない理由」で、僕は駅伝の位置付けを変えなければいけないと書きました。ここで詳しく説明させてもらうと、あくまでトラックシーズン中心で、駅伝はトレーニングの一環レベルと捉え、距離もよりトラック種目に近い各区間5㎞程の小規模なものにすべきというものです。個人的にはかなり良い案だと思っていますが、そうすることでどんな影響が出るのかというと、距離が一気に減ることで20㎞という長い距離で生み出される箱根駅伝特有の感動ドラマは生まれくくなり、「100年続く伝統を壊すな」といった世間の反対意見が飛び交います。そうなると間違いなく箱根駅伝を始めとする学生駅伝の人気が低下するとともに、視聴率も下降。駅伝関連のスポンサー企業やマスコミ、そして箱根駅伝を放送する日テレも放映権を失い、大ダメージを受けることになります。

また、学生駅伝の上位に食い込む大学の中で、ある程度駅伝の戦力になる選手はNIKEやadidas、asicsなどといったメーカーから無料でシューズなどを提供されることがあります。しかし、大学を卒業し、実業団に進むとほんの一部の選手しか提供されません。これも実は学生駅伝が大きく影響しています。実業団における最高峰駅伝は元旦に行われるニューイヤー駅伝であり、各地方で予選会も行われますが、箱根駅伝を始めとする学生駅伝に比べると、世間の認知度は低く、注目度もそこまでないのが事実です。つまり、メーカーにとっては実業団選手よりも注目度の高い学生駅伝に出場する選手の方が各メーカーの宣伝となり、経済効果が大きいと捉えているのです。
こういった面からも、駅伝の位置付けを変えることは難しい話となってしまいます。

ここまで述べたような、陸上中長距離界が駅伝至上主義になってしまった原因はどこにあるのか。一番は世界と差が広がる理由を考えず、経験値だけでしか物事を考えれない古き指導者たちの存在です。5年ほど前までは、世界で中長距離種目の上位を占める選手はほとんどケニアエチオピア出身といった黒人の選手でした。彼らは身体能力も高く、子どもの頃から過酷な環境を生き抜いていることもあり、勝負に負けても人種の違いを言い訳にすることができていました。しかしここ数年、マリウス理論が欧州・欧米を中心に浸透し、閾値トレーニングがトレンドな練習法に。特に中距離種目ではここ数年、黒人選手ではなく、欧米・欧州の選手が上位を占めるようになり、やり方1つ変えるだけでアフリカ勢に対抗できることを証明しています。そんな状況にもかかわらず、日本ではいまだに駅伝至上主義が横行し、新しい取り組みには一切触れようとせず、国内という枠組みでの勝利しか考えていません。そして、トラック種目中心で取り組みたい選手の受け皿になるような環境がほとんどなく、駅伝中心の大学・実業団に流されてしまい、特に一部の大学においては駅伝で使えないと見切られると、捨てられてしまうのが現状なのです。このような状況を良しとせず、もっと早く改革に取り組んでいれば、ここまで世界との差が広がることはなかったでしょう。
現状に甘んじて、取り返しのつかない状況までにした日本中長距離界の古き指導者たちの罪は重い。

あまりに根強すぎる日本の駅伝文化。それでも僕は負けません。
異端児と言われようとも、自分を信じ、前に進んでいきます。

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