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100分de名著『偶然性・アイロニー・連帯』リチャード・ローティ


100分de名著



「間違っているかもしれないことを、どう話すか」

「逆説的ですが、それが公共的な課題になっています」

100分de名著、リチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』。解説の朱喜哲さんがそう話してくれた。

少年期に「社会的不正義の解消に人生を捧げる」と誓ったローティ。彼には、自生の蘭の採集に夢中になる可愛らしい面があった。ただ、社会に何の意味ももたらさない私的な趣味を恥いりもした。

自分の中に、公的な使命感と私的な趣味が混在している。矛盾を克服するためローティは哲学の道へ進む。

20世紀を代表する哲学者となった彼は、著書で「バザールかクラブか」と問う。公共の場と私的な集まりを別個に持とうというのだ。

おおやけしかない世界


言われてみると、今の世界はバザール(公共の場)ばかりの世だ。どんな場でも正論を吐かねばならないし、知的な人間とは正論を吐く人とされる。

そこに本音の交流はない。

「不適切発言をも許容する、私的なクラブがあってもいい」

ローティはそう考えた。

人は公共の場と同じく、私的な場を求める。

バザールで身につけるべき礼儀が紳士であることなら、クラブの礼儀は何か。

クラブでの礼儀をわきまえている人を、ローティは「リベラル・アイロニスト」と名付けた。

リベラルは「自由」、アイロニストは「皮肉屋」。直訳すれば「自由な皮肉屋」である。

奇妙な造語だが、ローティは著書でリベラル・アイロニストを高く評価している。

皮肉屋と言うと、昨今流行りの弁舌鋭い論客を思い起こすかもしれない。だが、リベラル・アイロニストは他者でなく自らを皮肉る。

ファイナル・ボキャブラリー


自らの最後を支える言葉がある。ロックンローラー、詩人、学者。尊敬する方からの言葉。ローティはそれを「ファイナル・ボキャブラリー」と名付けた。

「江戸っ子は気風の良さが命」
「誰にも俺の信念を変えさせねぇ」

江戸っ子もその一つ。彼がクラブでこんな風に問われたとしよう。

「社交界の優雅さだって、格好良くないか?」

リベラル・アイロニストならこう言うだろう。

「・・・それも悪くないかもしれねぇなぁ」

ファイナル・ボキャブラリーすら皮肉ることができる者。それがリベラル・アイロニスト。酒場の人格者だ。

バザールかクラブか


バザールで正論を吐き、クラブで極論(ファイナルボキャブラリー)を吐く。

バザールでは強さが礼儀で、クラブでは弱さが礼儀だ。

エフェクチュエーションのサラス・サラスバシーは、こう語った。

「近代世界は一色で塗り固められてきたが、エフェクチュエーションの世界は多色で成り立つ」
「クレイジーキルトのように」

バザールかクラブか。

僕らにはバザールとクラブの重層世界が必要だ。単層な世にもう一つの世界を作る。

新世界は誰でも作ることができる。私的理想クラブの紳士となれば、そこが新世界。寄せ集めの場で自らの最も譲りたくないものを皮肉って。

本音の話し合いは酒場に生まれ、縁もそこに生じる。

世界は個人経営の小さな酒場に築かれる。

新世界は本当に新世界だった


お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

下のリンクで拙著『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』の前書きを全文公開させていただきました。

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