音楽の「フレーズ」について

 西洋クラシック音楽の演奏を学んでいる人であれば、「フレーズ感のある演奏」を目指して試行錯誤することが多かれ少なかれあるでしょう。師匠から「もっと大きくフレーズを感じて」などと何度も注意された経験がある人もいるかもしれません。しかし結局のところ何をどうすれば「フレーズ感がある」演奏と認められるのでしょうか?

 そもそも「フレーズ」という語は、元来文章における用語であり、「句」と訳されるものです。このフレーズ(句)は複数の単語の意味的なまとまりであり、センテンス(文)より小さな単位であり、具体的に長さの基準があるわけではないものの、通常はそう長くはないものをイメージするでしょう。英語の表現に"in a phrase"という(それこそ)フレーズがありますが、「ひとことで言うと」などと訳されます。

 それに対して音楽において「フレーズ」という場合は、音の大きなまとまりをも指すことが多いように思われます。そういう意味では文章におけるセンテンスや、場合によってはパラグラフ(段落)に近いかもしれません。またしばしば「大きいフレーズ/小さいフレーズ」という言い方をするように、私たちは音楽の階層的な––––コンマ(点)の区切り、ピリオド(丸)の区切り、パラグラフの区切りがあるような––––なまとまりの単位のうち、ある程度以上大きなものを全て「フレーズ」という語でもって表そうとする傾向にあるようです。

 こうした音楽の構造を読み解くために、やはり調性や和声についての、あるいは主題や動機の展開についての、分析的な観点は強力な助けとなることでしょう。ですから音楽的フレーズの理解というのは、感性やらセンスやらの問題として片付けてしまうべきではありません(もっとも高度に音楽を親しんだ人であれば、わざわざ「考えよう」としなくても「感覚的に」把握できることは多いわけですが)。

 とはいえ問題はむしろここからです。音のまとまりの様子を理解できたとして、その「まとまっている感じ」を実際に演奏というアウトプットに反映するにはどうすれば良いのでしょうか?またしばしば「フレーズが細切れになる」といった問題が生じてしまうのはなぜでしょうか?これは単一の要素によって説明できるものではなく、何通りかの方法、あるいはそれらの複合によってなされるように思います。

 音楽のフレーズを表現する最も簡単な方法の一つはレガートでしょう(「簡単な」と言うのは語弊があるかもしれませんが。というのもレガートの演奏技術自体は案外簡単ではないからです)。フレーズの始めから終わりまでをレガートで演奏し、フレーズの変わり目で一旦音を切り分けるのです。このやり方は旋律を歌い上げるスタイルの場面では有効です。ただし音を繋げさえすれば事足りるということではありませんし、そもそも細かなアーティキュレーションを含むテクスチャーでは適用できません。

 今一つの有名な方法は、フレーズ中の一点を重心とした連続的な強弱変化です。すなわち、フレーズの中のある一箇所(必ずしも中央とは限りません)を「重心」=最も盛り上がる箇所と定めて、フレーズの始めから重心に向かってクレッシェンド、重心から終わりに向かってデクレッシェンドするのです。このやり方はフレーズの表現の「基本」として語られることがあるほどですが、とはいえこれもまた決して万能ではありません。確かにある種の力点を作ることは作曲家にとってフレーズを構成するための一般的な戦略なのですが、その一方で繊細な音の濃淡あるいは疎密による「押し引き」の機微というものもあります。それを単調な一本線のクレッシェンド・デクレッシェンドで塗り潰してしまうべきではありません。もっとも、逆に細かな濃淡や疎密のことばかりを考えていては、ましてやそれを過度に強調する表現をすれば、いちいち継ぎ足しているような演奏になり、それをもって「フレーズが細切れ」と言われてしまうでしょう。

 同様に、テンポに関する方法も使いどころに注意が必要です。例えば––––まるでスキーで滑るときのように––––フレーズの「滑り出し」の後にテンポを前向きにし(=わずかに速くし)、フレーズの終わりでテンポを収める(=わずかに遅くする)といった。なかなか広く使えるやり方なのですが、匙加減は難しいかもしれません。はっきりと大袈裟にやればやるほど良いというわけではないのが面白いところで、程度が過ぎるとエキセントリックに走ったり止まったりを繰り返しているような、乱脈な印象を与えてしまいます。

 どうにも分かりやすい「答え」は見えてこないまま、なんだかグダグダな文章になってきてしまいました。とどのつまりはフレーズの一つひとつに個性があり、それを読み取った上で適切な表現手段を選んでいかなければならない、という毒にも薬にもならなそうなことを述べるしかないのでしょうか。「ここまで読んできてそれかよ」と読者を失望させるであろうことは心苦しいものです。

 音楽のフレーズは分析上の観念であり、フレーズを分析することは作曲家の「音による語り」の構成戦略を読み解くことに繋がります。演奏家にとってはこの語りの呼吸、語りの間合いを生き生きと現出させることが最も重要なのであり、「フレーズはこう演奏するべき」という型にはめることを考えるのは、実は目的と手段がひっくり返ってしまっているのかもしれません。豊かに演奏するためにはまず豊かに捉えなければならない––––このことを胸に刻んでおくとしましょう。

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