OmachiKazumi

東京藝大の博士課程でソルフェージュ教育を研究している作編曲家・伴奏ピアニストです。アイ…

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東京藝大の博士課程でソルフェージュ教育を研究している作編曲家・伴奏ピアニストです。アイコンは「ソルフェージュおばけ」です👻

マガジン

  • 和声法と和声聴音の基礎感覚

    西洋クラシック音楽の和声について、音楽学校の授業で勉強する人や、参考書を読んで独習する人の補助となるようなコンテンツを目指しています。和声を理解するための根本的な考え方を、私なりに解説する試みです。

最近の記事

板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」展より覚書

 2024年4月13日(土)に、板橋区美術館で開催されていた「シュルレアリスムと日本」展を観てきました。以前にSNSで本展覧会のことを知り興味を持ったのですが、なかなか行けずにおり、しかし会期が4/14(日)までで終わってしまうということでなんとかギリギリに行った次第です。  さてこの記事のタイトルで「より覚書」としたのは、ここでは展覧会の総括的な感想を器用に書くのではなく、その一部、というよりある一作品に関して書き留めておくという目的によっているからです。その作品とは阿部展

    • 音楽の「フレーズ」について

       西洋クラシック音楽の演奏を学んでいる人であれば、「フレーズ感のある演奏」を目指して試行錯誤することが多かれ少なかれあるでしょう。師匠から「もっと大きくフレーズを感じて」などと何度も注意された経験がある人もいるかもしれません。しかし結局のところ何をどうすれば「フレーズ感がある」演奏と認められるのでしょうか?  そもそも「フレーズ」という語は、元来文章における用語であり、「句」と訳されるものです。このフレーズ(句)は複数の単語の意味的なまとまりであり、センテンス(文)より小さ

      • ベートーヴェンの「第八」

         日本では年末になるとベートーヴェンの交響曲第9番(「第九」)が盛んに演奏されるのが風物詩ですね。実際これによって多くの声楽家やオーケストラ奏者が仕事の場を得られるわけで、日本の西洋クラシック音楽界にとって相当な恩恵があることでもあると思われます。  と言いつつ私自身は実は「第九」をあまり聞いたことがないことをここに白状しましょう。もちろん先輩や仲間が心血を注いでいる舞台を観たいと心から思っていますし、応援したい気持ちもあります。ただ正直なところ私はあの作品が少々苦手なので

        • 和声法と和声聴音の基礎感覚 第2回

          §1 声部の書法② 前回(https://note.com/haydnique_1210/n/n0edb8dd3b3f9)からえらく時間が経ってしまいました。正直自分でも忘れていたのですが、思い出したので執筆します(需要があるかどうかはさておき)。  前回は各声部の旋律線を大まかにどう設計すれば良いか、ということを考察しました。今回はいよいよ声部間の関係の原則について述べていきます。そもそも和声法の理論における声部間関係の規範は、ルネサンス以降のポリフォニー音楽の技術(対位

        板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」展より覚書

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        • 和声法と和声聴音の基礎感覚
          3本

        記事

          「アナリーゼ」の奥行き

           西洋クラシック音楽の世界において、多くの演奏家や作曲家が既存楽曲の「アナリーゼ」(分析)をすることは重要であるという認識を持っているのではないかと思います。しかしアナリーゼとはどのようなことを行えば良いのでしょう?あるいはどのように進めれば良いのでしょう?そう問われると、実のところ多くの演奏家や作曲家は曖昧な口調で曖昧なことを述べるしかないのではないでしょうか。  そもそも日本語のアヤとして、我々が漢語で「楽曲分析」と言うのとカタカナ語で「アナリーゼ」と言うのとでは、微妙

          「アナリーゼ」の奥行き

          2022年11月14日「ソルフェージュとは何か?〜藝大大学院生からのメッセージ〜」終演

           先日11/14(月)、私が所属する東京芸術大学ソルフェージュ科が企画した公演「ソルフェージュとは何か?〜藝大大学院生からのメッセージ〜」(於トーキョーコンサーツ・ラボ)が開催されました。まずお越しくださった皆様に深く感謝いたします。  当日は作曲家であり音楽教育者であり、その他多彩な音楽活動、のみならずテレビタレントとしてもご活躍されている青島広志先生をゲストにお迎えし、前半では「青島広志先生との対話」と題してシンポジウムを、後半では「アンサンブルの探求」と題してデュオの

          2022年11月14日「ソルフェージュとは何か?〜藝大大学院生からのメッセージ〜」終演

          “伴奏者”としてのプライド

           伴奏をするピアニストの中には「伴奏」という言葉に対して否定的な感覚を持っている人もいるようです。その背景にはどうも「伴奏」という言葉のニュアンスが「添え物、主役にくっ付いているおまけ」のようなあまり好ましくないものという観念があるでしょう。それは国語的に言って必ずしも妥当ではない一方で、実際に「伴奏(者)」が軽んじられる文脈と共にこの言葉が発せられる場面に何度も遭遇すれば、そうした忌避感が生まれてしまうのも致し方ないことだと思います。代替表現としては「共演(者)」が望まれる

          “伴奏者”としてのプライド

          対話の力場

           ふと思い立って、下手なエッセイのようなものを書いてみる。普段とは異なる文体で。そういえばそもそも、最近noteを書いていなかったのであるが。  他者と対話することはとかく難しいと日々感じる。ここで私は私自身が「コミュ障」であると喧伝したいわけではない。そうではなくて、私と他人であれ、他人どうしであれ、対話には普遍的な難しさがある。とりわけ個人と個人との間の関係性における継時的な対話の蓄積(より省略して言うならば、対話の積み重ねが関係性に与える影響)に注目したい。  対話

          対話の力場

          私がときどき聴きたくなる曲たち(5選)

           私は特定の曲を頻繁に何度も何度も聴くということはしないのですが、それでも気に入っていてときどき聴いている曲がいくつかあります。今回はその中から5曲を選んで簡単に紹介してみることにしました(当初10曲のつもりだったのですが記事が長くなりそうだったので半分になりました)。要するに私のオススメというわけです。もちろん幅広くバランス良く取り上げようなどという考えは一切無く、私の偏った好みが全開となっておりますので、そこのところはご了承下さい。 ①F. ショパン:バラード第4番  

          私がときどき聴きたくなる曲たち(5選)

          12年前の演奏試験の話

           私が桐朋の音楽教室で学んだことは以前に書きましたが、先日ちょっとしたきっかけがあって、そこでの中学三年生時の「卒業試験」の審査講評を目にすることになりました。桐朋音楽教室の教育課程は中学生まででひとまず終わりであり(年によっては高校生クラスが開設されることもありましたが)、「卒業試験」は最後の実技試験ということになります。細かいシステムの話は複雑なので割愛しますが、この試験は本部校である仙川教室で受験すると自動的に「卒業演奏会」の選抜オーディションへの参加を兼ねることになり

          12年前の演奏試験の話

          東京藝大「ソルフェージュ科」について

           先日↓のようなツイートをしました。(※C年というのは年次を音名に対応させていう音大のスラングで、学部一年生のことです) なぜこのようなツイートをしたかというと、一年生は入学早々にソルフェージュの授業(必修)のためのクラス分け試験を受けなくてはならず、それに関するなかなか阿鼻叫喚みのあるツイートがいくつも流れてきたからです。もちろん皆さんの多くは、諧謔のセンスをもって敢えて大袈裟な表現でツイートしていたと思いますが。  で、ふと気付いたのですが、以前このnoteで私自身に

          東京藝大「ソルフェージュ科」について

          和声法と和声聴音の基礎感覚 第1回

          §1 声部の書法① 今回と次回では、四声体和声においてそれぞれの声部がどのように書かれるか、声部間の関係はどのように調整されるか、についての原則を示すことを目標とします。  前回(「和声法と和声聴音の基礎感覚 第0回」)各声部は「旋律」であると述べました。ただしこの場合の「旋律」とは、必ずしも(私たちが「旋律」と聞いて想像するような)歌い甲斐のある・独立性の強いラインであることを意味しません。確かに全ての声部が素晴らしい旋律になれば理想的かもしれませんが、そのようになるのは

          和声法と和声聴音の基礎感覚 第1回

          和声法と和声聴音の基礎感覚 第0回

           とりあえず「第0回」と銘打ってみたものの、ちゃんとシリーズとして続いていくかどうかは謎です。普通に「これ別に需要無いなあ」と悟ったらやめます。  私がこれから記述しようと試みるのは、西洋クラシック音楽の和声の仕組みを学び、実際に和声を耳で認識するために、どのような考え方が有用か?ということです。もちろん巷には偉大な先生方が執筆された和声法の参考書が既に何種類もあり、ことさら真新しいことを書き加える余地は無いように思えます。とはいえ一方で、音楽大学に入学した(作曲科以外の)

          和声法と和声聴音の基礎感覚 第0回

          プレトニョフ&東フィル(2022年3月10日)感想文

           少し時間が経ってしまいましたが、去る3月10日にサントリーホールで行われた、ミハイル・プレトニョフ氏の指揮による東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた雑感を書き留めておきたいと思います。プログラムはベドジフ・スメタナ(1824-1884、チェコ*)の6曲から成る連作交響詩《我が祖国》を、休憩を挟んで前後半に3曲ずつ演奏するものでした。  この公演はもともとコロナ禍の前から企画されており、何回もの延期を経て実現しましたが、悲しい皮肉にも目下のロシアによるウクライナ

          プレトニョフ&東フィル(2022年3月10日)感想文

          暗譜をめぐる喜怒哀楽

           今回は「暗譜」をテーマに書いてみようと思います。「暗譜」とは何か一応説明しておくと、曲を暗記して楽譜を見ずに演奏することで現在西洋クラシック音楽の世界では非常に広く実践されている慣習ですが、これに苦しんだ・苦しんでいるという意識を持っている音楽家も少なからずいることでしょう。そのため今までに多くの人が自分なりの「暗譜のコツ」や「暗譜法」を発信していますし、そもそも暗譜という慣習に従わせる圧力を無くしていくべきなのではないかという議論もときどき見られるものです。  実際、歴

          暗譜をめぐる喜怒哀楽

          入試ソルフェージュ対策の一助

           前回の記事↑では入試ソルフェージュについて少し批判的な観点を示しました。とはいえ現実にはまず入試を突破しないと話が始まらないという人のために、聴音・視唱のちょっとしたコツをアドバイスするというお節介を働いてみます。ただし以下に書くことはあくまで私の個人的な意見であることに注意して下さい。 ☆旋律の聴音:一回めの聴取では、とにかく最初から最後まで拍から脱落せずに聴き通すことを優先しましょう。音を立てなければ手を動かして拍を取ることは認められています。余裕があれば各小節の頭の

          入試ソルフェージュ対策の一助