夢みたい

味がわかったり音楽がきこえたりする夢ってふしぎ。どこかに大事にしまってる感覚が登場してるのかな。ときどきは夢の中でも寝ている。たいてい面白い夢、ときどきの悪夢。

ずいぶん前に一度きり、ひろい草原でオーロラみたいに色を変えながら光る大きな樹を見た。背の高い馬に乗って眺めた すごくきれいな景色だった。見たこともない、ブラックホールみたいなうねりを見せながら、たくさんの色が揺れてた。現実で出会うことは難しいだろう、夢ならではの景色かも。

いっとき悪夢をよく見ていたのか 夢の状況をコントロールできるという明晰夢を見たくなって、挑戦してみたらほんとうに、夢のなかでこれは夢だと気づいてしまった。会いたい人を呼び出せた覚えもあるけど、、「いま夢のなかに居る!」っていう意識は奇妙で、なんだかそのまま目覚められなくなる気がして、そこから覚めたきり見ていない。明晰夢は もうそんなに見たくないかな。

生活も現実も、夢みたいなもんだなとよく思う。いつから持ってきたものなのかわからないけれど、かろうじて自分の意識があって、行動や考えをある程度コントロールすることができる、夢。気づいたときから見てた夢。そこからなにが起こるか、相手にどう反応をもらうかは決められなくても、どうしたいのかは考えられるし、行きたい場所へ繋がっている世界。悲劇に喜劇、ときどきの奇跡や、色んな種類の魔法だってある世界。ここからもいつかは目が覚める日が来ちゃうんだな、さみしいような、救いのような。

目が覚めて 見ていた夢を思い出すのと似たように、むかしを振り返るとき その場面をあたまのなかで再生することがある。そこには、過ぎてきた日の数だけ自分が存在してるような気がする。自分はひとりのはずだけど、わたしが思い返す自分や、だれかに覚えられている自分、他人の空似、とか、ひとりから間違いなく世界は広がっているのだな。

身の回りの人から色んなやさしさをもらい受けているわたしとか、目にしてる楽しい景色とか、ひたすらつづいているこんな現実が 夢みたいだ、ふたつの意味で。春の自律神経の、覚束ない、たよりないふわふわ感も影響してそう感じるのかも。でも こんなにいろんな人に会えて、その数だけの関わりを持ってさ、休んでいる夢の中でそんなこと考えられないよね。だからこそほんとに夢みたい。ずーっと大事にしていたい夢。それを只つないでゆくこともわたしの夢。


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