見出し画像

蓋を開けて本音を取り出す作業

こんにちは!
MACRAME KANOの石野です。

さて、久々のブログになってしまいました、が。
今回は「これからの10年とその先のため」にここ数年、石野が思い悩んできた悩みと、その恐怖に向き合い決意をしたというお話を書きました。

かなり長い内容になるので、結論は目次の最後
≪隠しきれていない好きなもの≫
をご覧いただけましたら幸いです°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

この5か月間。いや、去年の10月からかな。
それとももっと前か、マクラメを専業としてスタートしたころかその直前からかもしれないのですが。

重い腰を上げて、ずっと思い悩んだ結果、活動を続けていくために封じ込めていた気持ちと本音と思いに向き合う覚悟をしてきました。


≪専業のために平坦な道を歩くのがベスト、という勘違い≫

私が10年ほど前、マクラメを始めた当初。
丁度ハンドメイドブームの最盛期で、CMはバンバン流れるし、大小さまざまなハンドメイドECサイトが作られ、勢力を争っていた時期でした。

既に超有名な作家さんが活躍されていたり、TVに出演されていたり。
当時の主婦の副業の一つとして、内職とはまた違った「ハンドメイド」=「自宅で自分の好きや特技を生かして仕事にする」という新しい価値観が育ち始めた頃でした。概念の定着までにはやはりまだ世間が追い付いていない雰囲気もあり、ハンドメイド=趣味。ハンドメイド=主婦の暇時間を活用した手仕事。ハンドメイド=安い、手軽、お小遣い稼ぎというイメージが今以上に社会通念として根底にあった時期だったと思います。

外に働きに出るのが当たり前で、家の中で引きこもって内職のような仕事をするより、パートでも何でも会社に勤めて働きなさいと実母に何度言われたことでしょうか。(公的な資格がないんだから、何でもいいから入れる会社に入って働け、とも言われました。母は看護師で、そうした資格を持っていないことを非難するようにかなり強く言われたりもしました。今思えば心配だったのだとは思うのですが、あまり快くはありませんでした)

だからこそ、絶対に外に働きに出るくらいの収入を得て、求めてもらえるものを作って広げていくんだ!と意固地になっていた気がします。

ただ一過性の趣味の延長ではなく、価値を認めていただき、欲しいと思ってもらえるような商品を作り続けるためには、選ばないといけないこと、捨てないといけない選択などがありました。当時、生活もかかっていたため、なるべく早く全てを整えてスタートをしなければ、他の競合にもまれて消えてしまうという恐怖もありました。

ハンドメイドにはこうすればこうなる。こうすれば絶対に成功する!という全ての作家に当てはまるセオリーのようなものはありませんが、比較的どの選択をし、どのように整えていくのかで「見てもらえ、選んでもらえる」道というのがあります。

天然石のアクセサリーだけで当時は、「天然石ブレスレット」と検索すると10万点以上がハンドメイドのECサイトの検索に引っかかることもあり、その中から全く無名の自分の作品を見つけてもらい、さらには厳しい選別を生き残って選んでいただくためには、かなり超特急であらゆることを整えねばなりませんでした。

そうした中で、私は「好まれる良さ」「選ばれる良さ」に全振りしつつ、自分ならではのエッセンスを加えて煮込んで調理し、お出しするという方法をとりました。間違った選択ではなかったにしろ、自分ならではのエッセンスの分量の塩加減をかなり加減し、他のスパイスを入れるのをためらい、自分の店の味を前面に押し出しきれない食堂の一つになってしまったのではないかと今では思っています。

平坦で他の人と同じルートに行けば、好きなことを続けられると思った最初の大失敗です。最速がいいわけではないのですが、確実性が自分に合っているか、その確実な道を選ぶ中で私は自分の大切なものをちゃんと握りしめていないといけなかったんです。

蓋をして進んではダメだったということなんですよね。

≪らしさと特徴のレシピが行方不明に≫

こうした環境の中に在って、それでも長い間思い煩っていた一つの「悩み」がここ数年。年月を重ねながら製作をしていくうちに、抑えきれないほど膨らんできてしまいました。

それは、「らしさ」と「特徴」がわからないことです。

沢山の作品を作っても、たくさんのアイディアを出しても、自分から「らしさ」であったり、自分の「特徴」がよく見えませんでした。

数千、数百万以上存在するハンドメイド商品の中で、様々なジャンルや業態の作品と競合をしていくうえで「らしさ」や「特徴」。その根底である「コンセプト」はハンドメイド作家においてはなくてはならない、とても大きな指標です。

私は昔からあっちやこっちに気がそぞろになってしまうタイプで、一つのことを継続してやり続けることがとても苦手な性格です。色々なものに興味があり、昨日まで好きだったものが、明日からは別のものというようなこともよくあります。

だからこそ「地図」としてのコンセプトであったり「案内板」の役割でもある「らしさ」や「特徴」がとても大切なのに、私は自分でずっとそれがわかりませんでした。

このコンセプトとらしさや特徴というのが本当にくせ者で。

平坦なルートを確実に、時間がかかってもいいから昇っていく途中で、一番大切にしないといけなかった「道を歩く理由」だったり「この先どうしたいか?」という意味などに繋がる、本当にやりたい好きなことをくだらない理由で蓋をして歩いてしまったが故の失策でした。

私は専業としてハンドメイド作家をする、と決めてからこのジャンルのとある方向性を向かないと心に決めてすべてを整えてきました。その反対側で、商品の価値を伝えていけるように勉強し、同ジャンルや他業種を研究し、データを集めて分析し共通点を見つけて、自分の方向性とすり合わせる作業をしながら今日までやってきたはずでした。

でもそれが、自分の本音ややりたいこと、欲求や趣味や好みに合うかというとまた別問題で、本当はこっちじゃなくてあっちに行きたかったのに、こっちの道の方が長いけど平坦にならされているし、目的を達成するためには今歩いている道の方がいいよね、大丈夫だよね、そうだよね?という感じで進んできました。

それは間違いではなかったのですが、自分の本音ややりたいこと、欲求と離れている部分も多く、また自分が本当ならやりたかったことをしている別の方を見てとても羨ましく思ったり、自分を卑下して絶望し自信を喪失したりすることもありました。

中でも失敗だったな、と思うのは
「自分のやりたいことや好きなことを押し出すことによって、嫌われたり、白い目で見られたり、あるいは応援してくださっているお客様にそぐわないものになってそっぽを向かれてしまうのではないかという恐怖」
によって身動きが取れなくなり、自分が好きだったもの、やりたかったものを封じ過ぎた結果、何が好きでやりたかったことなのかわからなくなってしまったという状態に陥ったことでした。

≪この先、「このまま」続けていく恐怖≫

そういう状態がもう何年も続き、心も疲弊してしまった中で、その都度都度で色々なことがありました。

中でも一番大きかったのは、マクラメの編み過ぎで作業する手首周りの軟骨がすり減って動かすと痛みが出たり、指先が痺れてうまくいかないことだったりします。長時間の痕を詰めての製作が難しく、蓄積した眼精疲労や肩こり、小さい頃事故に遭ったための後遺症である片頭痛など、なかなかに大変な状況に直面しています。

一番ショックだったのは、マクラメを編んでいて「楽しさ」が少しずつ削れるように薄れていったことでした。

とても楽しそうに製作をされているたくさんのジャンルの作家さんたちの表面だけ見て、(目に見えない大変な部分や苦悩はあると知ってはいるけれど)、いいなぁ、羨ましいなぁ。あっちに行きたかったなぁ。と指をくわえていたのです。

なんのために今の仕事をしているのか。
どうして今の仕事をしているのか。
これから今の仕事をしていけるのか。
今後も続けていくのか。
5年後は、10年後は?
引退は?
70歳になったらどんな生活をしていたいの?

自分から少しずつ削れていった好きや楽しいという感情が、ぺらんぺらんになった気がして昨年からは手首のことなどもあり、本当に廃業を考えました。来年には10年を迎えるのに、10年を待たずして廃業はしたくないという思いと。もうしょうがない、やめてしまえ!という心と。

もうずっとこの閉塞した箱の中で一生を終えてしまうのだろうかという、「このまま続ける」選択がとても怖く、にっちもさっちもいかない状況になりました。

≪石野、自分の好きと向き合う≫

そうした心の中の葛藤に右往左往する中で、いったい何が原因で、どうしてこんなことになってしまったのだろう?と原因を直視するきっかけがありました。それは、自分の好きなことを見直す、という単純な作業でした。

34を超えてから、少しずつ趣味や好きの範囲が変わっているな、とは思っていたのですが、具体的にどのように変わっていったのかはあまり気にしていませんでした。それらを分解し、見つめていくと、「小さなころすごく好きだったもの」を集めていたり「小さなころ憧れていたもの」を選んでいることに気づいたのです。

カジュアルでシンプルなデザインの中の、きちっとしたイングリッシュスタイルのシャツ。タータンチェック。大好きで集めている陶器のデザインや印象や種類。子供の頃夢中になった絵本や好きな洋服メーカーやそのディティール。

そうしたものを分解して共通点をさらって行くと、「自分の好きなもの」がまっすぐ見えてくる気がしました。

他人の目を気にしすぎて育っていくうちに、自分の好きなものを隠し、自分の好きなものや好きなことを表現したり周りに語ることがすごく恥ずかしいことだと思っていました。

好きなことを喋ると白い目で見られたり、笑われたり、指をさされたり、避けられたりするのが怖くて高校からその好きなことを押し隠して過ごしてきた弊害かもしれません。

周りにそういう人たちが誰もいないのにもかかわらず、相変わらずこの年になってまで私は自分を隠して生きてきて、自分の好きを楽しんでいる人たちをうらやましいなぁと思うだけの日々を過ごしていました。好きでやっていると思っていたハンドメイドでさえも、好きから外れるようなことを長い間してきたんだなぁと気づいたのです。

≪万人受けしない、ニッチな好きを楽しんでいく人生を≫

私が好きなことは万人受けはしないでしょう。
そして、今まで支えて応援してくださったお客様にそぐわないものかもしれません。
それでも、ああ、これ以上今のままの状態をし続けてしまうと、自分が嫌いを通り越して無難で面白みもない、すごくつまらない人生を送ってしまうと気づいたんです。

開拓されていない獣道をどんどん進んでいくことになるでしょうし、足を滑らせて失敗したり、道に迷ったり、霧に惑わされて現在地がわからなくなってしまうかもしれません。

でも、それでも「すきなこと」を自分で選んで、平坦でない未開拓の山を進んで行った方が楽しいだろう、と思えるようになりました。

小さい頃好きだったものを大切に、それを成長させて、自分の好きなことに生かして生活をしていく。

その中に、仕事を創り楽しむ人生を送りたい。

自分の好きなものは、意外と自分のすぐそばに落ちている。
自分の外側だけでなく、内側にそのヒントがある。
灯台下暗し。

ものすごく悩んだあと、
それらを教えてくれたのが、面白いことにルーン文字の「カノ」。
屋号のMACRAME KANOの由来の「く」の形のルーン、「カノ」だったりします。

自分の内面にある、好きなこと、やりたかったこと、表現したかったこと、楽しみたかったこと。「たかった」ではなく現在進行形にしていった方が、大変かもしれないし何が待っているかわからないけれど、楽しいだろうということ。

来年10年目を迎えるのに、また1年生に逆戻りではあるのですが、
これから先はMACRAME KANOらしく。
表現したいもの、好きなもの、好きなこと、やりたいこと、楽しいこと。
そうした石野の好きをたくさん詰め込んで、万人受けしない、ニッチな楽しさを一緒に楽しんでいただけるような作品作りに力を入れていきたいと思います。

≪隠しきれていない好きなもの≫

既に滲み出ているので、そんなん前から分かってたし!(笑)
石野何言ってんの?(爆)
と言われるかもしれないのですが、

小さい頃から物語やアニメやゲームなどに慣れ親しんだ私は、ファンタジー、幻想的なもの、神秘的なもの、魔法や魔術や錬金術やそうしたものが大好きです。

そうした要素をふんだんに詰め込んで、日常で使えるかもしれないけれどちょっと恥ずかしいかもしれないディティールに凝ったアクセサリーや、日常でも使えるディテールに凝ったアクセサリーや、日常使いできるけれど根底にそういった趣味がかなり垣間見られるアクセサリーを中心に、お届けしていこうと考えております。

また、そうした、好きの環でゆるく繋がる人間関係や会話や日常を、今以上に前のめりで楽しんでいきたいと考えております。

コンセプトが日常で使いやすいシンプルでカジュアルなアクセサリーから
魔法やファンタジーの要素を詰め込んだ

身に着けると魔法が本当に使えそうな
それでいて日常使いできる
「魔法を装う」アクセサリー


趣味と好きと楽しさ全開でお届けしていきたいと考えております。

これまでと作風や製作する作品たちの趣が変わってくるかと思うのですが、
これまで以上に作品作りに魂を注ぎ、楽しさと喜びに繋がるようなアクセサリーをお届けできるよう精進してまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の私の小さな夢は
ミモザやユーカリやオリーブの木やたくさんのハーブを庭に植えて
日向ぼっこをしながら魔法使いのおばあちゃんのようにマクラメを編み
たまに来るお客さんと趣味や鉱物やおいしいお店の話をして
クッキーやスコーンを焼いて一緒に楽しみ
家族と穏やかに過ごしながら
日々をまったり過ごす生活をすることです。

鉱物とマクラメとアフタヌーンティーがこだわりの茶器で楽しめる
魔女の隠れ家のような小さなお店を
いつか作りたいと思っています。

天然石を極細の糸で編むマクラメクリエイター。天然石をマクラメの技法を駆使して宝石いっぱいのペンダントにしています。